イングリッシュスコーンの幻覚
スコーンを焼きたい。
これだけ全国同じ状態になっていると、普通に考えるようなことは大抵やられていて、今スーパーからホットケーキミックスやら無塩バターやらが無くなっているらしい。
暇だし子供の菓子でも手作りしてやろうという気まぐれが同時多発的に起こると一時的な品薄すらも引き起こせるというんだから人間という種の冗長性は恐ろしい。
調べたわけじゃないけど、”日記もどきをネットに垂れ流し始める”というのもそういった全国的なムーブメントの1つなのだろう。
僕自身は安易に大衆に迎合するを良しとしない気丈な人柄で売っているわけではないので、寝つきの悪い夜半にこうして思いつきを垂れ流すに至っている。
スコーンを焼きたい、と思ったのは以前に比べて時間的余裕があることが理由の一つではある。
しかし、さしもの僕もそこまで安直で捻りのない人間だと思われるのは若干癪なので、スコーンを焼きたいという心的状態に至った経緯についてあれこれ言い訳を陳列することで溜飲を下げようと思う。
話は小学6年生の頃にまで遡る。
小学校最後の調理実習は自由に作りたいものを話し合って作れというものだった。
僕の班は確か5-6人くらいで、女子は2人くらいしかいなかった気がする。正直言ってよく覚えていないが、幼馴染で仲のいい男子が一人と、女子が一人いたのははっきり覚えている。名前を仮に男子H、女子Mとしようか。
その女子Mさんが、「スコーンを焼く」と言い出した。僕やHを含む男子は驚くべきことにスコーンというものを一人も知らなくて(まぁ駄菓子屋が存在するような田舎の小学校だったので仕方ないけれど[1])、それが何かも分からないまま唯々諾々と指示通り調理したのだった。
得体のしれないものの調理過程というのは存外グロテスクだ。とても美味しそうには見えない小麦粉のねばねばしたやつに、辛うじて単体では美味しそうなチョコレートチップ(しかしこれも食べなれた板チョコではなくてよく分からん小袋に入った)が無慈悲に混入し、一通りねりねりされて整形されていく。昼休みにサッカーをするしか能のない男子が成す術無く見守る中、そいつは突如として見事に焼きあがった。オーブンからしずしずと出てきたのは三角形を象った、見紛うことなきスコーンのイデアである[2]。
味のことはよく覚えていない。ただ、完成したあと「美味い…」と呟いたHを見てMさんが得意げな顔をしたのは覚えている[3]。こうして、遊戯王の禁止カードと野球の振り逃げルールにだけ敏感だった僕達が「スコーン」という新概念と邂逅したのだった[4]。
あれから、僕は一度としてスコーンを焼いていない。スタバでスコーンを見かけると、ちょっと美味しそうだなとは思うけどめったに頼まない。実際そんなすげー美味いもんでもないから(諸説あり)。
そういうわけで、スコーンを焼きたい。
食べたいというより、焼きたい。きっと焼きあがったら満足するだろう。一度焼いてしまったが最後、この霞がかった記憶も蒸発しきって二度と思い出さなくなるような気がしている。もしかしたらこの記憶も幻覚みたいなものかもしれないし。
スコーンを焼きたい。
買い占めは不毛だからやめようね[5]。
ーーー
[1] 都会に生まれるとマジで駄菓子屋で300円以内の菓子を購入する経験をせずに大人になるらしいな。ガブリチュウは意外と高いとか、知らない?
[2] スコーンてなんか三角形をしていないといけない気がしてるんだけど、なんで三角形なんだ。サンドイッチといい、イギリス人はやたらと食い物を三角形にしたがるよな。
[3] 何か書きながら(これ、小学校じゃなくて中学校の記憶じゃないか?)とか思えてきて完全に自信を失っている。僕のスコーンの原体験であり、これだけははっきり記憶していたと思っていたそれが、こうして記憶の奥深くに仕舞っていると勝手に蒸発していってしまうんだな。
[4] 悲しいことに全員野球が下手だったので、振り逃げというルールが曖昧な形で知れ渡ってから振り逃げ上等のクソゲームばかりになった。
[5] 特にパスタを買い占めているやつ。やめようね。