日本は何故アメリカと戦争したのか?(11)日中戦争だけは日本の勝利で終わらせたいという思惑・その1・『日米諒解案』の誤解
前回の続き。
これまで説明してきたように、日本は1940年7月頃から大東亜共栄圏建設の野望を抱いていた。しかし日本は断固たる決意でそこに突き進もうとしていたわけではなく、「まず日中戦争だけでも解決しておきたい、そうできるならアメリカと暫定的に妥協しても良い」という考えもあった。なので話は複雑になる。
それで要するに『日米諒解案』(1941年4月)だ。そこで日本は、「まず日中戦争だけでも~~」にふらついてしまう。
(『日米諒解案』そのものは伝言ゲーム的錯誤が重なって作成された日本大使館案なのだが、日本大使館はそれをきちんと日本本国に報告せず、日本本国はそれをアメリカ側提案と誤解していた。後に松岡洋右は真相を見抜くが、その判断は共有されなかった)。
ここでは『日米諒解案』そのものの説明は省くが、とにかくそれを受け取った日本本国の反応↓(近衛文麿著『最後の御前会議』より)
(前略)大体の意見は左のごとくであった。
一、この米国案を受諾することは支那事変処理の最捷径である。すなわち汪政権樹立の成果挙がらず、重慶との直接交渉も最近は非常に困難であり、今日の重慶は全然米国依存であるゆえ、重慶との交渉は米国を仲に入れねば何ともならぬという情勢に鑑みれば、このことは明らかである。
二、この提案に応じ、日米両国の接近を図ることは、日米戦争回避の絶好機会たるのみならず、欧州戦争の世界戦争にまで拡大することを防止し、世界平和を招来することの前提になるのではないか。
三、今日の我が国力は相当消耗している。一日もすみやかに事変を解決して、国力の恢復培養を図らねばならぬ。一部に主張されている南進論のごとき、今では統帥部においても準備も自信もないというくらいで、やはり国力培養の上からも一時米と手を握り、物資等の充実を将来のため図る必要がある。
かくして大体受諾すべしとの論に傾いたのであるが、その条件として左のごとき意見があった。
一、三国同盟と抵触しないということを明確にする。これはドイツに対する信義から当然である。
二、日米協同して世界平和に貢献せんとの趣旨をもっとはっきりしては如何、もし日米諒解の結果、米国が太平洋から手が抜けるので、そのため対英援助がいっそう強化されるということになっては、日本としてはドイツに対する信義に反するのみならず、全体の構想が低調になって面白くないから日米協同して英独間の調停をするというところまで持って行きたい。
三、内容が少し煩雑に過ぎる。
四、この原文は旧秩序にまた復帰するという感じを与えるゆえ、新秩序建設という積極面を、もう少しはっきり出したい。
五、迅速に事を運ばないと漏洩のおそれがある。この意味からも外相の帰朝を督促する必要がある。
つまりは日中戦争だけでも日本の勝利で終わらせたい、そうできるなら(ただし物資調達など他の日本側要求も飲ませた上で)アメリカと暫定的な妥協を結んでよい、ということだった。その時点でのそれは、大筋としては、訪欧からの帰路で不在の松岡洋右を除く全員一致だった。
だったのだが、帰国後の松岡洋右が強硬に反対し、それにより以前からの方針に引き戻される。つまり、ドイツがイギリスを打倒することとソ連を日独伊三国同盟に加えて四国同盟にすることを前提として、ドイツとの同盟は堅持する、日中戦争は完遂する、好機を捉えて東南アジア方面に侵攻する、しかしアメリカとの戦争は回避する、という方針に。
ところが前回述べたように、その後に独ソ戦が勃発し、そのような日本の目論見は破綻する。
さらにその後に日本は石油を禁輸され、これでやっと日本はアメリカの真意を悟る。東南アジア方面への日本の侵攻は、アメリカは戦争を賭してでも阻止するつもりなのだと。すなわち、大東亜共栄圏建設の為にはアメリカとも戦争する必要があるのだと。
それにより日本国内は、アメリカとも戦争して大東亜共栄圏建設に突き進もうとする論者と、アメリカとの戦争は回避しようとする論者に分かれる。ただし後者は、単にアメリカとの戦争回避だけで無く、日中戦争など日本の要求はアメリカに受諾させたいというもので、それは前者も同意するものだった。
石油禁輸後に首相の近衛文麿は、アメリカとの戦争は避けようとして日米首脳会談による交渉妥結を軍部に提案する。それは上記のように、単にアメリカに屈するのでは無く日本の要求はアメリカに受諾させるという意図で、だから軍部の同意を得ることが出来た。
近衛文麿はその意図を内大臣・木戸幸一にも伝えており、それは『木戸幸一日記』(昭和16年8月5日)に記されている。その一部が↓
一、大統領のホノルルに来る事は最初の了解案にもある事なるを以て、必ずしも実現不可能とは思はれない。
又、話合も、必ずしも最初より之を絶望視する要なし。
勿論日本の主張は大東亜共栄圏の確立に在り、米国は九ヶ国条約を盾としてゐるので、此の両者は相容れない。併しながら米国も合法的なる方法に依る九ヶ国条約の改訂には、何時でも相談に乗る用意ありとも云てゐるし、又一方日本も理想としては大東亜共栄圏確立を目指すものであるけれ共、此の理想の全部を一挙に実現すると云ふ事は今日の国力の上から見て無理なのであるからして、日米の話合と云ふものは双方が大乗的立場に立って話をすれば出来ない事はないと考へる。
ところが、そこに大きな問題があった。近衛文麿は『日米諒解案』をアメリカ側提案と誤解したままで、だからアメリカにも日本に妥協する意思があると思い違いしていた。
(続きは次回)