日本は何故アメリカと戦争したのか?(18)改めて石油禁輸は何だったのか?その4・昭和16年11月5日の鈴木貞一の説明

 日本がアメリカとの戦争を決意するのは、昭和16年(1941年)11月5日の御前会議。よく知られているが、それは最終決定では無く、12月1日までに交渉妥結しない場合には開戦するという決定。そして12月1日、その通り機械的に最終決定が下された。

 その11月5日の御前会議では、種々の説明が成された。そのひとつが企画院総裁・鈴木貞一のそれで、その一部↓(他に船腹の見込みや、石油以外の物資についても説明されているが、略)

南方作戦実施ノ場合ニ於キマヌル石油ノ総供給量ハ第一年八五万竏第二年二六〇万竏第三年五三〇万竏デアリマシテ之ニ国内貯油八四〇万竏ヲ加へ需給ノ見透ヲ付ケマスレバ第一年二五五万竏、第二年一五万竏、第三年七〇万竏ノ残額ヲ有スルコトトナリ辛ウジテ自給態勢ヲ保持シ得ルモノト存ジマス、航空燃料ニ就キマシテハ其ノ消費状況ニ依リマシテ第二年若クハ第三年二於テ若干危険ヲ感ズルコトト予想セラレルノデアリマス

 要するに、物資関係からしても戦争は出来る、ということだった。

 一応説明すると、その時の日本は840万キロリットルもの大量の石油備蓄があった。なのだが、備蓄が大量でも消費も大量で、戦争しなかった場合でも2年しか持たない状況だった。そして戦争になると、更に一気に大量消費される。だから戦争するのであれば、その昭和16年の12月までに開戦する必要があり、それならなんとかなるという見込みが↑だった。

 そして鈴木禎一はその後に蘭印からの取得見込み量や航空揮発油の説明などを説明し(ここでは略)、要するにその説明は、緒戦には必ず勝てる、それを利用してその後の長期戦も戦えるで、その結論が↓

之ヲ要シマスルニ支那事変ヲ戦ヒツツ更ニ長期戦ノ性格ヲ有シマスル対英米蘭戦争ヲ行ヒ長期ニ亘リ戦争ノ遂行ニ必要ナル国カヲ維持増強致シマスコトハ中々容易ナコトデナク万一天災等不慮ノ出来事デモ起リマスレバ益々其ノ困難ノ度ヲ増シマスコトハ明ラカデアリマス然シ緒戦ニ於ケル勝利ノ確算ガ充分デアリマスル故此ノ確実ナル戦果ヲ活用致シ他方一死以テ国難ニ赴カントスル国民志気ノ昂揚ヲ生産各部面ハ勿論消費其ノ他各般ノ国民生活ノ部面ニ展開致シマスルナレバ座シテ相手ノ圧迫ヲ待ツニ比シマシテ国力ノ保持増強上有利デアルコトト確信致スノデアリマス

 要するに、物資需給の観点からしても戦争するべきだ、日本はアメリカとの戦争に勝てる、確実では無いがその見込みはある、ということだった。



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