日本は何故アメリカと戦争したのか?(12)日中戦争だけは日本の勝利で終わらせたいという思惑・その2・昭和16年9月6日の『帝国国策遂行要領』

 前回の続き。石油を禁輸された後、近衛文麿は日米首脳会談による交渉妥結を目指した。しかしアメリカは、はっきり拒否はしなかったが、乗ってもこず、それは頓挫していた。

 そして昭和16年9月6日になり、『帝国国策遂行要領』が御前会議で決定される。それは外交優先ではあったものの、「十月上旬頃ニ至ルモ尚我要求貫徹シ得ル目途ナキ場合ニ於テハ直チニ対米(英、蘭)開戦ヲ決意ス」という戦争決意の一歩手前の決定だった。

 実はここにも若干の紆余曲折がある。この時点で、陸軍大臣・東条英機、参謀総長・杉山元、軍令部総長・永野修身は、ほぼアメリカとの戦争を決意していた。しかし総理大臣・近衛文麿と海軍大臣・及川古志郎は、まだ戦争に反対。そこで不透明な妥協が行われた結果が、上記の決定だった。

 そしてそこで決められた日本側要求は、支那事変・国防上の安全・物資獲得の三つ。つまりはこれも「日中戦争だけは~」の思惑だったと言える。そしてこの点は全員一致だったとも。

 なのだが、外交優先と言ってはいても、それはアメリカと協議して妥協点を探そう、というものではなかった。それは、アメリカ側の意図や事情は考慮せず、日本の要求を一方的にアメリカに受諾させようというものだった。

 アメリカの譲歩を引き出すためには、日独伊三国同盟の破棄または死文化が必要だったのだが、日本はそれを誤解したままだった。日本は「日米対欧洲戦争態度ハ防護ト自衛ノ観念ニ依リ律セラルベク又米ノ欧洲戦参入ノ場合ニ於ケル三国条約ニ対スル日本ノ解釈及之ニ伴フ行動ハ専ラ自主的ニ行ハルベキモノナルコト」としていたが、それは「右ハ三国条約ニ基ク帝国ノ義務ヲ変更スルモノニアラズ」でもあった。

 そして近衛文麿は、その9月時点でも日米首脳会談に望みをつないでいた。しかしそれは、10月2日の米国側回答で潰える。

(続く)。



帝国国策遂行要領

 昭和十六年九月六日 御前会議決定

帝国ハ現下ノ急迫セル情勢特ニ米、英、蘭等各国ノ執レル対日攻勢、「ソ」聯ノ情勢及帝国国力ノ弾撥性等二艦ミ「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」中南方ニ対スル施策ヲ左記ニ拠リ遂行ス

一 帝国ハ自存自衛ヲ全ウスル為対米、(英蘭) 戦争ヲ辞セサル決意ノ下ニ概ネ十月下旬ヲ目途トシ戦争準備ヲ完整ス
二 帝国ハ右ニ並行シテ米、英二対シ外交ノ手段ヲ尽シテ帝国ノ要求貫徹ニ努ム 対米(英) 交渉ニ於テ帝国ノ達成スヘキ最少限度ノ要求事項竝ニ之ニ関聯シ帝国ノ約諾シ得ル限度、別紙ノ如シ
三 前号外交交渉ニ依リ十月上旬頃ニ至ルモ尚我要求ヲ貫徹シ得ル目途ナキ場合ニ於テハ直チニ対米(英、蘭)開戦ヲ決意ス

対南方以外ノ施策ハ既定国策ニ基キ之ヲ行ヒ特ニ米「ソ」ノ対日連合戦線ヲ結成セシメサルニ勉ム


対米 (英) 交渉ニ於テ帝国ノ達成スベキ最少限度ノ要求事項竝ニ之ニ関連シ帝国ノ約諾シ得ル限度

第一 対米(英) 交渉ニ於テ帝国ノ達成スベキ最少限度ノ要求事項

支那事変ニ関スル事項
一 米英ハ帝国ノ支那事変処理ニ容喙シ又ハ之ヲ妨害セザルコト
(イ)帝国ノ日支基本条約及日満支三国共同宣言ニ準拠シ事変ヲ解決セントスル企図ヲ妨害セザルコト
(ロ)「ビルマ」公路ヲ閉鎖シ旦蔣政権ニ対シ軍事的政治的竝ニ経済的援助ヲナサザルコト
(註)右ハN工作ニ於ケル支那事変処理ニ関スル帝国従来ノ主張ヲ妨グルモノニアラズ而シテ特ニ日支間新取極ニ依ル帝国軍隊駐屯ニ関シテハ之ヲ固守スルモノトス
但シ事変解決ニ伴ヒ支那事変遂行ノ為支那ニ派遣セル右以外ノ軍隊ハ原則トシテ撤退スルノ用意アルコトヲ確言スルコト支障ナシ
支那ニ於ケル米英ノ経済活動ハ公正ナル基礎ニ於テ行ハルル限リ制限セラルルモノニアラザル旨確言スルコト支障ナシ

帝国国防上ノ安全ヲ確保スペキ事項
二 英米ハ極東ニ於テ帝国ノ国防ヲ脅威スルガ如キ行為ニ出デザルコト
(イ)泰、蘭印、支那及極東「ソ」領内二軍事的権益ヲ設定セザルコト
(ロ)極東ニ於ケル兵備ヲ現状以上ニ増強セザルコト
(註)日仏間ノ約定ニ基ク日仏印間特殊関係ノ解消ヲ要求セラルル場合ハ之ヲ容認セザルコト

帝国ノ所要物資獲得ニ関スル事項
三 米英ハ帝国ノ所要物資獲得ニ協力スルコト
(イ)帝国トノ通商ヲ恢復シ且南西太平洋ニ於ケル両国領土ヨリ帝国ノ自存上緊要ナル物資ヲ帝国ニ供給スルコト
(ロ)帝国ト泰及聞印トノ間ノ経済提携ニ付友好的ニ協力スルコト


 第二 帝国ノ約諾シ得ル限度

第一ニ示ス帝国要求ガ応諾セラルルニ於テハ

一 帝国ハ仏印ヲ基地トシテ支那ヲ除ク其ノ近接地域ニ武力進出ヲナサザコト
(註)「ソ」聯ニ対スル帝国ノ態度ニ関シ質疑シ来ル場合「ソ」側ニ於テ日「ソ」中立条約ヲ遵守シ且日満ニ対シ脅威ヲ与フル等同条約ノ精神ニ反スルガ如キ行動無キ限リ我ヨリ進ンデ武力行動ニ出ヅルコトナキ旨応酬ス
二 帝国ハ公正ナル極東平和確立後仏領印度支那ヨリ撤兵スル用意アルコト
三 帝国ハ比島ノ中立ヲ保障スル用意アルコト

(附)
日米ノ対欧洲戦争態度ハ防護ト自衛ノ観念ニ依リ律セラルベク又米ノ欧洲戦参入ノ場合ニ於ケル三国条約ニ対スル日本ノ解釈及之ニ伴フ行動ハ専ラ自主的ニ行ハルベキモノナルコト
(註) 右ハ三国条約ニ基ク帝国ノ義務ヲ変更スルモノニアラズ


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