日本は何故アメリカと戦争したのか?(23)自存自衛という建前、アジア解放という建前

 昭和16年(1941年)12月8日に太平洋戦争は勃発する。(なお、当時の呼称では大東亜戦争、戦後の一般的な呼び方が太平洋戦争。今ではアジア太平洋戦争という言葉もあるが、それはまだ一部の人々が使っているに過ぎない。筆者的には、歴史の上でアジア太平洋戦争という言葉が使われたことは無いので、それは誤りだと思う。また言葉という観点からは、正しい呼称に固執するのも誤りだ)。

 そして日本の戦争目的は、自存自衛とアジア解放だった。開戦の詔書がそうなので、建前上そうだったことになる。そして実のところ、それらは本当に建前に過ぎなかった、というのが今回の話。

 それで、まず自存自衛の方から。この文言は『杉山メモ』中に何カ所も出てくるので、当時の日本がそれを本当に考えていたことは間違いない。なのだが、これについては発端から見直す必要がある。
 要するにこういうことだ。
(1)1940年7月頃、日本はイギリス・オランダとの戦争および東南アジア方面への侵攻を目論む。
   ↓
(2)その思惑から日本はドイツと同盟する。それにより日本はアメリカ・イギリス・オランダと敵対関係になる。
   ↓
(3)だから日本は、それらの国から経済圧迫を受ける。および、日本の攻撃を警戒して東南アジア各地の防備が強化される。
   ↓
(4)日本はそれを脅威と見なし、余力が残っているうちに戦争しようと考える。

 とどのつまり、以上が当時の日本にとっての自存自衛だったのだが、おかしいのは日本の方だよね?という話。
 ABCD包囲陣(Aはアメリカ、Bはイギリス、Cは中華民国、Dはオランダ)とは言うけど、当時は日中戦争真っ最中なので、中華民国が害敵手段を取るのは当たり前。イギリスとオランダはドイツと戦争中で、そのドイツと同盟した日本に対して対抗措置に出るのは当たり前。アメリカはまだ参戦していないが、この点は同様。日本がそれに文句を付けるのは勝手だが、しかしそれは日本自身がそれらの国に敵対したことが原因であり、客観的には日本の方が間違っている。ところが当時の軍部は、それを本心から日本の危機と思っていた様で、それが「戦争するしか無い」と判断される大きな理由となった。

 それからアジア解放だが、その類いの文言は、太平洋戦争勃発前には全然出てこない。おそらく太平洋戦争勃発前に唯一登場するのが昭和16年2月3日の『対独、伊、蘇交渉要項』なのだが、しかしそれも「民族独立ノ件ハ朝鮮ノコトモアルカラ慎重ナルヲ要ス」(2月3日の連絡懇談会)。そうである以上、こちらは後付けで掲げて見せた心にも無い建前と考えられる。
 ちなみにだが、当時のアメリカ・イギリスも大西洋憲章で植民地解放を宣言している。だから太平洋戦争は、植民地解放の建前を掲げる国同士の戦争だったことになる。



対独、伊、蘇交渉案要綱 昭和16年2月3日 連絡会議決定

一、蘇聯ヲシテ所謂「リッペントロップ」 腹案ヲ受諾セメ右ニ依リ同国ヲシテ英国打倒ニツキ日、独、伊ノ政策ニ同調シムルト共ニ日、蘇国交ノ調整ヲ期ス

二、日、蘇国交調整条件ハ大体左記ニ拠ル
 (一)独逸ノ仲介依北樺太売却セシム
    若シ蘇聯カ右ニ不同意ノ際ハ北樺太利権ヲ有償放棄スル代リニ向フ五ヶ年間二百五十万頓ノ石油供給ヲ約サシム尤モ之カ為要スレハ我方ニ於テ北樺太ニ於ケル原油増産ヲ援助スルモノトス
    右両者ノ何レニ依ルヘキカハ事態如何ニ依リ決定ス
 (二)帝国ハ蘇聯ノ新疆外蒙ニ於ケル地位ヲ了承シ蘇聯ハ帝国ノ北支蒙疆ニ於ケル地位ヲ了承ス新疆外蒙ト蘇聯トノ関係ハ蘇、支間ニ於テ取極メシムルモノトス
 (三)蘇聯ヲシテ援蒋行為ヲ放棄セシム
 (四)満、蘇、外蒙間ニ速カニ国境劃定及紛争処理委員会ヲ設置ス
 (五)漁業交渉ハ建川提案(委員会案)ニ依リ妥結ニ導ク尤モ漁業権ハ日、蘇国交調整上必要ナレハ放棄シテ差支ナシ
 (六)日、独通商ノ為相当数量ノ貨物輸送ニ必要ナル配車ヲ為シ且運賃ノ割引ヲ約セシム

三、帝国ハ大東亜共栄圏地帯ニ対シ政治的指導者ノ地位ヲ占メ秩序維持ノ責任ヲ負フ
  右地帯居住民族ハ独立ヲ維持セシメ又ハ独立セシムルヲ原則トスルモ現ニ英、仏、蘭、葡等ノ属領タル地方ニシテ独立ノ能力ナキ民族ニ付テハ各其能力ニ応シ出来得ル限リノ自治ヲ許与シ我ニ於テ其統治指導責ニ任ス
  経済的二八帝國ハ右地帯内ニ於ケル国防資源ニ付優先的地位ヲ留保スルモ其他ノ一般的通商企業ニ付テハ他ノ経済圏ト相互的ニ門戸開放機会均等主義ヲ適用ス
四、世界ヲ大東亜圏、欧洲圏(「アフリカ」ヲ含ム)、 米洲圏、蘇聯圏(印度、「イラン」ヲ含ム)ノ四大圏トシ(英国ニハ豪州及「ニュージーランド」ヲ残シ概ネ和蘭待遇トス)帝国ハ戦後ノ講和会議ニ於テ之カ実現ヲ主張ス
五、日本ハ極力米国ノ参戦ヲ不可能ナラシムル趣旨ヲ以テスル行動施第二付独逸当局トノ諒解ヲ遂ケ置クコトトス
六、独、伊特ニ独ハ蘇聯ヲ牽制シ万一日満両国ヲ攻撃スルカ如キ場合ニハ独、伊直チニ蘇聯ヲ攻撃ス
七、日本カ欧洲戦争ニ参加スル場合ニハ独、伊等味方諸国間ニ単独不講和協定ヲ締結ス
八、支那全面和平ノ促進ニ就キテ尚独ト懇談ヲ遂ク
九、松岡外相ハ渡欧ノ上独、伊、蘇各国政府ト交渉シ前記要領ノ貫徹ニ努力シ要スレハ条約ヲ締結ス


「リッペントロップ」腹案内容

日、独、伊ヲ一方トシ「ソ」聯邦ヲ他方トスル取極ヲ作成シ

一、「ソ」聯ハ戦争防止、平和ノ迅速回復ノ意味ニ於テ三国条約ノ趣旨ニ同調スルコトヲ表明シ
二、「ソ」聯ハ欧亜ノ新秩序ニ付夫々独、伊及日ノ指導的地位ヲ承認シ三国側「ソ」聯ノ領士尊重ヲ約シ
三、三国及「ソ」聯ハ各々他方ヲ敵トスル国家ヲ援助シ又ハ斯ノ如キ国家群ニ加ハラサルコトヲ約ス

右ノ外日、独、伊、「ソ」何レモ将来ノ勢力範囲トシテ日本二ハ南洋、「ソ」聯ニハ「イラン」印度方面、独ニハ中央「アフリカ」、伊ニハ北「アフリカ」ヲ容認スル旨ノ秘密了解ヲ遂ク


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