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本日の読書 #040 「“技術”としての作文」
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参考書籍:『日本語の作文技術』本多勝一
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第一章 なぜ作文の「技術」か より
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“技術”としての作文。
1976年刊行のロングセラーに、面白い記述があった。
すなわち「作文」は「技術の集合体」だと言うことである。
本書で取り上げられている例を挙げてみよう。
以下の文を読んでみてほしい。
おはよおございますあれるすかなおはよおございますどおもるすらしいなはいどなたですかあどおもおはよおございますしつれえしますじつわはあじつわわたしこおゆうものなんですが
私は途中で読むのをやめた。それほどに読みづらい。
これを生まれ変わらせると、このようになる。
「おはようございます」
(あれ、留守かな?)
「おはようございます」
(どうも留守らしいな)
「はい。どなたですか」
「あ、どうも。おはようございます。失礼します。実は……」
「はあ?」
「実は私こういうものなんですが……」
格段に読みやすい、そして見やすい。
じゃあ最初の文は、一体何だったのだろうか?
二つ目の文を声に出して読んでみると、その正体が分かる。
一つ目の文章は、「聞いたままに文字に起こした」ものだ。
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つまり本来は読めたもんじゃない「音のかたまり」を、様々な「技術」を使って、読みやすく整えたものが「作文」ということである。
具体的にどのような技術を使ったのかも、本書に親切に記されている。
①現代口語文の約束に従うカナづかいに改めた。
②直接話法の部分はカギカッコの中に入れた。
③独白やつぶやきの部分はマルカッコに入れた。
④句点で文を切った。
⑤段落を使って、話者の交替を明らかにした。
⑥漢字を使って、わかち書きの効果を出した。
⑦リーダーを使って、言葉の中途半端さを示した。
⑧疑問符を使って、それが疑問文であると示した。
⑨読点で文をさらに区切った。
noteで記事を書いている人ならば、全員がこの手の「技術」を、それを特別に技術だとは認識せずに使っているだろう。
しかしこれらを明確に技術だと認識することで、それら一つ一つを磨こうとする意識が生まれたり、他人の記事を読んだときに何を参考にするべきかが見えてくるかもしれない。
たとえば「マルカッコの使い方をマスターしたい」とか、「この人の記事、読点の使い方が上手いな」といった願望や憧れ、気付きは、それを技術だと意識しなければ生まれないだろう。
いま、『段落論』という本が気になっている。
「段落」という技術をマスターすることができれば、また一つ文章を書くのが楽しくなりそうだ。
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