本日の読書 #014 「ドネルケバブ・エピステモロジー」
参考書籍:『学びとは何か』今井むつみ
第六章 「生きた知識」を生む知識観
ドネルケバブ・エピステモロジー。
言葉が難しすぎるので、しっかりと説明する。
まず「エピステモロジー」だが、これはフランス現代理論の一分野で、本書においては「知識に関する思い込み」の意味で使われる。
そして「ドネルケバブ」というのは代表的なトルコ料理であり、肉片を積み重ねて作られている。ナイフで削ぎ落として食べる。
つまり「ドネルケバブ・エピステモロジー」とは、
「知識がドネルケバブのようになっているという思い込み」
のことだ。
まだ分からない。
いちばん分かりやすく言いかえれば、
「ただ暗記しただけの知識に価値があるという思い込み」
ということ。
ここまで噛み砕いてあると、耳が痛い。
学校教育や受験戦争の弊害で、日本人にとって知識とは「覚えた事実」になってしまっている。
そしてそれをドネルケバブよろしくペタペタと積み重ねただけのものを評価しているのだ。
だが著者の今井むつみ氏によれば、本当の知識とは「システムを構築すること」であり、これこそが「生きた知識」である。
「1+1=2」という数式を見たとき、「2」だけ覚えても意味がない。
それはドネルケバブ様の知識だ。
一方で生きた知識とは、
「1+1=2ということは、1+1+1=3なのかもしれない」とか、
「1+1=2っていうけど、例外は無いのだろうか」とか、
そういうことを考えるものだ。
つまり、ただの事実から広げて考えることが「生きた知識」である。
この「ドネルケバブ・エピステモロジー」を学んでからというもの、
我が子が投げかけてくる疑問に答える上で、私が気を付けていることがある。
それは「一問一答にしない」ことだ。
「この漢字、何て読むの?」と聞かれたとき、単に「車だよ」と言わない。
「車だよ。よく見てみるとここがタイヤっぽい形だね」と言う。
「救急車とか消防車にも使われている漢字だね。だからシャとも読むよ」と言う。
そういった「知識に広がりが生まれるキッカケ」を少しだけ付加することで、その知識は肉片ではなくシステムとなり、最後には巨大なネットワークにまでなると信じて。
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