本日の読書 #019 「親ガチャとペアレントクラシー」
参考書籍:『ペアレントクラシー「親格差時代」の衝撃』志水宏吉
第一章 ペアレントクラシー化する社会──何が問題か より
親ガチャ。
親としては聞きたくもない、胸が締め付けられる言葉だ。
何でこんな表現が生まれてしまったのだろう、と常々感じてきた。
でも一方で、この言葉に向き合わなくてどうするんだ、とも思う。
だって「親は選べない」だなんて、先史時代からずっとそうじゃないか。
「ガチャガチャ」だって、私が幼少の頃からずっとある。
いまこの時代に「親ガチャ」という言葉が出てきたのには、そして流行したのには、何かしらの要因がある。
その背景を、親として知っておく責任もある。
そうして本書を手に取った。
もともと現代は「メリトクラシーの時代」といわれる。
これはマイケル・ヤングというイギリスの社会学者が作った言葉で、言い換えれば「学力至上主義」だ。
ちなみにそれまでは「アリストクラシーの時代」で、これはいわゆる「身分至上主義」。
つまり「生まれで人生が決まる時代から、努力で人生が決まる時代になった」ということで、これ自体は人種差別などを緩和している点で、評価できる。
一方で「自己責任論」の温床になってしまっている問題も根深い。
(このあたりの話は 橘玲・著『無理ゲー社会』 が分かりやすい)
近年ではこのメリトクラシーが行き過ぎてしまい、日本では「ペアレントクラシー」に移行しているというのだ。
これは「親の財力と意向で人生が決まる」というものだが、必ずしも「親の財力があるから良い」や「親の教育意識が高いから良い」ではないことに注意が必要だ。
いま、東大の“現役”合格率は70%を超えている。
これは著者によれば「周到に親が用意した子育て・教育の賜物」であり、親の意向が子どもの人生を決める「ペアレントクラシーの帰結」だ。
実際、私の友人にも現役で東大に合格した秀才がいた。
そいつは全国模試でも2ケタ順位常連みたいなすごいヤツで、その代わりに親からは勉強を強いられ続けていた。
結果的に東大に入ったが、恋愛で大きな挫折をして大学に行かなくなってしまったと耳にした。
このたった一つの例で何かを結論付けるつもりはないが、行き過ぎたペアレントクラシーが子どもを不幸にする可能性があることは、肝に銘じておきたい。
少なくとも私は、子どもに学歴を付与することが絶対だとは思っていない。