39 ガンディーの説く無所有とは
おはようございます。
わたしの好きな歴史上の人物の一人がマハトマ・ガンディーです。
インド独立の父と呼ばれているあまりにも有名な人です。
彼が説く「無所有」とは何か。
それを紐解く書物が「獄中からの手紙」(森本達雄・訳)です。
ガンディーは、「6 無所有即清貧」でこう説いています。
「そしてわたしたちは、たえず理想を視野におき、その光にてらして、己の所有物をきびしく吟味し、その節減に努めなければなりません。
言葉のほんとうの意味における文明は、需要と生産を増やすことではなく、慎重かつ果敢に、欲望を削減することです。
このことだけが、真の幸福と満足感を増幅し、奉仕の力を倍加するのです。」
そして、ガンディーは無所有の効能をこうも説いています。
「人びとはやろうと思えば、欲しい物を減らすことができます。そして欲しい物が少なくなればなるほど、人びとは幸福に、いっそう心安らかに、健康になるのです。」
ガンディーにとって、無所有とは、目的ではありません。手段なのです。
では、その目的とは何か。
「このことに気づくとき、わたしたちは完全な自己放棄の理想に到達し、そして肉体が存続するかぎり、奉仕のためにこれを用いるべきことを知るのです。
ーこうして、やがてはパンではなく、奉仕がわたしたちの生命を支える糧になるのです。わたしたちはただひたすら奉仕のために、食らい、飲み、眠り、目覚めるようになります。このような心がまえがわたしたちに真の幸福をもたらし、やがて時満つるにおよんでは、[神にまみえる]至福のビジョンがもたらされるのです。各自、この見地から自己をふりかえってみようではありませんか。」
ガンディーは、奉仕こそが自分たちの生きがいになるのだと説いています。
そして、そのために食う、寝るという基本的な欲求を満たしていく。
無所有になることは手段で、目的は人類への奉仕です。
これを、わたしに置き換えてみれば、無所有になりながら、小学校教師として子どもたちの教育のために奉仕する。
こんな感じでしょうか。
ここまで聖人君子のようにはなれませんが、一考する価値があります。
わたしは、ガンディーに共感するのです。
巷のFIREみたいに自分のことしか考えずに、お金だけしか頼らずに生きる寂しい人生を歩むのではなく、
無所有でも、子どもたちに囲まれながら、その子たちと共に成長していく時間がかけがえのないものなのです。
その上で、自分の好きなことも遠慮なく続けていきましょうと自分に毎日語っています。
人生は、奉仕でもあり、楽しみを味わうことでもあるのです。
気長に、身軽に、好きなことを継続していきましょう!
好きなことが、ちょっとでもいいから他人への奉仕になるのだとしたら、それは最高だと思います。
今回も、読んでいただき、本当にありがとうございました!
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