楽園のカンヴァス 原田マハ
新シリーズのスタートです
『学校が休みの間に読む本の紹介』『みんなでReading at Home』という二つのシリーズを通じて約40冊の本を紹介してきました。この二つのシリーズを通じて私は特定のジャンルや作家にとらわれることなく気の向くままに自分が読んだ本を紹介してきました。両シリーズに共通していたのは、新型コロナの影響でステイホームの時間が長くなりがちな毎日に読書で彩をもたらしてほしいという思いでした。
不定期とはいえそれなりの頻度でこうして本を紹介していくことによりこの間にたくさんの本を読むことができました。そしてステイホームのおかげで、一冊一冊を大切に読むことができたのではないかと思います。これは読書だけではないですが、アウトプットを前提としたインプットはただ漫然とそれをするよりはるかに多くのものを得ることができること実感しました。
そして、やはり読書のある暮らしは幸せだということにもあらためて気が付きました。旅と読書と少しばかりの孤独が人を強くて優しい存在にするとかねてから考えていますが、遠くに旅に出るのが難しい状況で読書は私にとって幸せな暮らしのために一層大切な存在になりました。一人で読むのもよし、だれかと同じ本をチョイスして感想を語り合うのもまた楽しい時間です。
前置きが長くなりましたが、読書のある幸せな暮らしを大切にしたいという思いから新シリーズは『Happy life with books』にしました。引き続きお付き合いくだされば幸いです。
新シリーズは原田マハから
一番好きな作家は誰ですか?と聞かれたならば、現役の方々の中では原田マハさんを私は選ぶと思います。私はアートとは無縁の人間ではありますが、それでも彼女の作品を読んでいると小説のテーマとしてアートはラブストーリーともサスペンスともコメディとも相性が良いことはわかります。
アートが生きるために自分を表現することを宿命付けられた人間の存在と切り離すことができないこと。そして彼女が題材にする価値あるアート作品は時間を超えて人間の存在そのものを包摂しうるということを、彼女の作品を読むと少しずつ理解することができるのです。それが私には何とも心地よいからこそ彼女の作品に惹かれるのだと思います。
そんな愛すべき原田マハの代表作の一つを今回は新しいシリーズの皮切りに読んでみようと思いました。これを今まで読まずに原田マハが好きだと言っていたことをおかしいと指摘されるかもしれませんが、彼女の魅力を知ってからこの作品を読んだことは私にとって幸運だったかもしれません。私の生活からは少し遠いところにあるアートを取り巻く人たちの役割や、美術館のマネジメントについて彼女の作品で”予習”をしてあったので物語にスムーズに入り込むことができたからです。(まあ、言い訳に過ぎないのですが、、、)
それでは、原田マハのアートへの愛に満ちた一冊をご紹介します。
アンリ・ルソー 『夢』
楽園のカンヴァスの題材となっている美術品はアンリ・ルソーの『夢』という絵画です。アンリ・ルソー1900年前後に活躍した画家であるが、その評価はとても面白い。この画家の存在について知ることができたことも楽園のカンヴァスを読んだことによる収穫の一つです。ここでは詳しく書きませんが、彼の作品群や彼の評価についてはこちらを見ていただきたいです。
そしてこれが題材となっている『夢』です。一度は見たことがある作品なのではないでしょうか。たしかに密林特有の湿度の高い空気と獣の気配が絵から漂ってくるのを感じます。PCの画面からでもそうなのですから、本物を見たときの感動はどんなものなのか、いつか見に行ってみたいと思います。
アート&サスペンス
アンリ・ルソーの『夢』と『夢を見た』という二つの作品をめぐるサスペンスです。原田マハがたびたび用いる、現在と作品が書かれた当時の二つの時間をパラレルに描くという手法が、文章全体に独特で子気味の良いリズムを与えています。
本作ではアンリ・ルソーがこの絵を描いた当時の様子は、小説の中に出てくる7章からなる物語で描かれています。その7章の物語を二人の主人公が一日に1章ずつ読み進めていくことによって、『夢を見る』を描くアンリ・ルソーの画家としての生涯をたどり、作品の存在をめぐる謎が解き明かされていくというストーリーです。
1章読み進めるごとに二人の心は揺れ動き、『夢を見た』をめぐるさまざまな陰謀にも二人は巻き込まれていきます。手に汗握るような展開では全くありませんが、密林の中を進むときに不意に何か奇妙なものに触れるような、茂みの奥で得体のしれない生き物がガサガサ音を立てるような、そんな不安が常に付きまといます。それはまさに『夢』に描かれた密林の中を歩くのにも似ているかもしれません。
しかし、二人の芸術への探求心とアンリ・ルソーという作家への深い愛情がその不安を解消するため明かりとして常に読む者のの先を照らしてくれているのではないかと思うのです。サスペンスなのに暖かい気持ちで読むことができるのは、そのおかげではないかと思います。
主人公の一人、早川織絵は岡山県倉敷市にある大原美術館の監視員という設定だ。本作の冒頭はその織絵の監視員としての日常から始まります。名画と最も向き合い続けるのは監視員であるという点で、彼女は美術館の監視員という仕事が気に入っているようです。彼女の作品ではこうして美術館の日常が描かれ、どこかの美術館の成り立ちや収蔵作品についての解説がさりげなく綴られます。私はそこを読むだけでワクワクするのです。いつか足を運んでみたい場所が増えることは人生の楽しみが増えることでもありますから。
そんな織絵は幼少のころから美術館巡りが大好きで、アートを「友だち」と呼ぶ彼女にとって美術館は「友だちの家」だったと織絵の母は言いますが、この表現は『デトロイト美術館の奇跡』でも登場します。この感覚は作者本人の間隔なのだろうと推察します。原田マハにとっては今もなおアートは友だちで、美術館は友だちの家なんでしょう。
おそらく二人の主人公ほどアートに対する造詣を深めるためには、寝る間も惜しんで研究に没頭した日々があったことだと思います。もしかしたら原田マハにもそんな日々があったのかもしれません。しかしそれでもたった一人の画家、たった一枚の絵画のすべてを知ることができないほどにアートは奥が深い。それでいて初対面で心を撃ち抜かれるほどの感動を与えもする。だからこそアートは人間の存在全てを包摂してそれをカタチにし得る営みと言えます。それを人生の「友だち」として日々を送ることができるなら、きっとそれはとても幸せな毎日だろうなと、またうらやましくなって楽園のカンヴァスを本棚に収めました。
『楽園のカンヴァス』という全編を通して心温まるサスペンス。これを本棚の一冊に加えることをぜひともお勧めします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。