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まちづくり幻想 木下斉 〜地方創生はなぜこれほど失敗するのか〜

待ちに待った本が届いた

 2021年がスタートしてから比較的多忙な毎日を過ごしている。それはEV関連のプロジェクトにかける時間が多くなってきたことと、なんといっても受験のシーズンに突入したからである。3月も半ばになり、まだ結果が全て出たわけではないものの、受験のサポートもひと段落した。
 このタイミングで木下さんの本が出たというのは、インプット不足の自分に対する天の声であろうと思い10冊買って仲間に配りながら読むことにした。まずは第一弾の5冊が手元に届いてちょっとワクワクしながら開封した次第だ。

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付箋が貼れない(笑)

 私はビジネス書を読む時には次回読むときのガイドとして付箋を貼りながら読むようにしている。読み終えたときの付箋の数がその本への評価だったりもする。しかし、この本については付箋を貼るべきところが多すぎて、パイナップルみたいになりそうだったのでやめた。
 私は胸を張ってまちづくりに関わってきたとは言えないが、そもそも市議会議員に出馬した直接のきっかけは七尾市のまちづくり基本条例の策定に関わり、これを地域に実装するという目的のためだったし、落選以降も地域づくり協議会のいちプレーヤーとして関わりつつ、地域交通分野の仕事にも携わっている。その意味ではいろいろな視点でまちづくりというものを眺めてきたし、様々な立場で関わってきたつもりである。
 そんな私にとってこの本に書かれていることはどれも自分の(ほとんどが失敗ぎみの)経験の全てに関連する内容だと言っていい。読めば読むほどに自分の未熟さを痛感するとともに、それでもなおこれまでのチャレンジに価値がないわけではないという励ましをもらうことができる一冊になった。これからも繰り返し読むことになるだろう。

 こうして久しぶりにキーボードに向かってnoteを書くからには、自分の経験に照らしてこの本の章立てに合わせて内容をなぞってみたいと思う。長文になるかもしれながお付き合いいただければ幸いだ。

1章 「コロナ禍で訪れる地方の時代」という幻想

 日本で最も密な都市である東京はコロナ禍において最も住みにくいエリアとなり、その結果として東京から地方への人の移動が始まる。こんなことを前提として何かに取り組むと大変な間違いをおかしますよという話だ。
 私の大学時代の友人のかなりの割合が東京をはじめとした都市部でビジネスマンとして家族とともに暮らしている。今でも付き合いのある何人かとはSNSで情報交換したり上京した折には食事をしたりする。そんな時に私が必ず問うのは「君や周囲の人でもう東京は嫌だから地方に移住しようかなとか言ってる人はいる?」という質問だ。こちらが期待するような返事が返ってきたためしはない。特に子どもが学校に通うようになって以降は一層「無理だよ。」という話になる。データに基づいた分析については本書に譲るとして、前提を間違えたまま突きすすもうとしている取り組みは少なくないと感じる。せっかく国が地方に配っているコロナ関連の予算を幻想にもとづいた分野に投じるのは本当にやめた方がいいと強く主張しておきたい。
 どんな施策や取り組み、或いはビジネスとて特に地方においてはそれほど短期的に成果は出てこない。特に規模の大きいものになると尚更その傾向が強い。だから失敗したときのダメージは大きく修正もしにくいことがほとんどだ。東京をはじめとした都市から地方への人の流れを作りたいなら、必要なのは都市住民へのプロモーションではなく、今地域に住んでいる人たちの暮らしの豊かさの実現である。それが実現できた時に、もしかしたらそれを求めて都市から人がやってくるかもしれないし、来ないかもしれない。でも来なくたって構わない。なぜなら大切なのは住民の暮らしなのだから。

 地方創生が膨大な予算を投じてもなぜうまくいかないか?
 最も重要な点である域内経済を持続可能なものにしていくためのヒント
など具体的に書かれている。本章を読むだけでもお腹いっぱいになるほどの内容だ。

2章 偉い人が気づけない、大いなる勘違い

 議員のくせに偉そうだ(笑)と思われていた時期はあるかもしれないが、私自身は議員だから自分は偉いと思って仕事をしていたことは全くない。だけど、この本に書かれているように「えらくなるほど勉強しなくなる国、ニッポン」という指摘には胸が痛い。成功事例を求めて視察に足を運び、研修センターでの講義を受けて質問原稿を書く。地域の声を受けて行政と折衝する。こうしたことに汗を流してきたつもりであるが、責任ある立場に見合ったインプットとアウトプットをしてきたかと問われれば、不十分の誹りを免れない面はあると反省する。
 恐らく偉いかどうかというよりは、ある程度の立場になれば情報というものは自ら取りに行くものではなく、向こうから提供されるようになるという勘違いも私の中にあったのだと思う。その慢心が勉強不足を招いたのだろう。そういう意味では現在の方が学びの多い毎日を過ごさせてもらっている。お世話になっている皆さんに感謝の毎日だ。

 最近はファクトフルネスという言葉がかなり浸透してきたと思うが、一定の立場になるとそれが難しくなるのではないかと想像する。少子化対策について論じていると、必ず「ウチは貧乏だったが兄弟は○人もいた。貧乏人の子沢山なんだよ」と言って手厚い支援の必要性を認めない人をたくさん見てきた。少しデータを見ればその当時と現在で経済のトレンドが変わっていることや、そもそも貧乏の質が異なっていることに気がつくはずだが、そうしたファクトを見ることができないのだ。「貧乏人の子沢山」という言葉に一理あると考えている人と少子化対策の議論をすることほど疲れることはない。大体こちらが先に折れてしまうので、一層ファクトが固定されたままになってしまう。

 こうした幻想に起因した意思決定が不幸の始まりであることは言うまでもないわけだが、もう一つ困ったことがある。それは私も経営者の端くれとして誰かを雇用しようとしたときについつい頭をよぎる間違った4つの願望だ。
 1、いい人材が欲しいけど、給料はあまり上げたくない
 2、終身雇用はしないけど、会社には忠実でいてほしい
全部書くわけには行かないので、後の二つは本を購入して確認して欲しい。いずれにしてもこんな考えで若者を酷使している地域に若者が残らないのは間違いない。

 50歳も見えてきて、偉くなってはいないが後輩がだんだんと増えてくる世代となった私には本当に大切な戒めとなる章である。

3章 「地域の人間関係」という泥沼

 ここは、なんだか毒を吐いてしまいそうなので省略(笑)
 ただ一般論として、地方では絆が強いので他人をほっておくことができないという傾向が強い。これは困っている人の手を差し伸べるという形で発露することもあっていい面も大きい。だけど自分の知っている人が何を考え、何をしようとしているのかをついつい知りたくなってしまう傾向と、わからないと言うのが恥ずかしいので理解不足を否定という形で表現してしまう人が少なからずいるのは事実だと思う。「どうせ無理」という言葉をいろいろなところで耳にするけど。それを投げかけられたのが私なら「今に見てろ!」となっても、身軽な若い人は「じゃあ別のところでやりますよ」ということになってどこかへ行っちゃう。「俺は君の言っていることはよくわからんけど、頑張ってみるといいよ。一つといわずいくつか買うからもっておいで」とか言ってチャレンジを温かく見守ることができる人の割合が高い地域や組織に人がこれまでもこれからも集まるというシンプルな話なんだと思う。これは毒を吐いたうちには入らない、、、はず(笑)

4章 幻想が抱く「よそ者」頼みの失敗

 話は飛んでしまうことになるが、私は憲法改正論者である。9条がどうこういうつもりもないわけだけれども、私が全体を通して気になるのは「日本国憲法って天皇に関する部分を除けばどこの国でも使えるのではないか?」ということだ。つまり日本の国柄や伝統や歴史を踏まえて未来を描くという意志が不足していると思うのだ。それはなぜか?GHQという「よそ者」が自由や人権や平等という観念や理想、その実現のための原理原則をもとに作ったからではないかと私はみている。歴史的な事情であの当時において他に選択肢がなかった可能性は否定できないものの、それを金科玉条のごとく押し頂いてきた戦後に私は少なくない嫌悪感を抱いてもいる。
 話を元に戻すと、これと同じことが各地の「地方創生総合戦略」においても当てはまるのではないだろうか。人口減少対策をはじめとしたほとんどのストーリーを職員が住民とともに徹底的に議論して作り込んだ自治体は多くないだろうし、それに対してたくさんのパブコメが寄せられたという話も聞かない。具体的な地名や基礎的なデータの部分を除けば、その自治体でなければ実現できないことや、その自治体だからこそ価値のある内容と言えるものはなかなかお目にかかることがない。こうして外注の結果として似たような総合戦略に基づくアクションプランで間違った金太郎飴が量産されることになる。都会の有名コンサルに金を払えば立派なものが出てくるという幻想もさっさと捨て去ったほうがいい。全くその通りだと思う。
 本章にはこのほかに地域おこし協力隊や地方における事業開発の課題について触れられており、地域の内外の人材がシナジーを生み出すためのヒントがちりばめられている。

5章 まちづくり幻想を振り払え!

 本章で最も印象的なフレーズを紹介したい

先を行く地域は「過去の幻想」ではなく「未来への夢」を見ている

 この一言に尽きるのではないだろうか。たまに学び多き経験談を伺うこともあるものの、(自分が後輩についしてしまうことも含め)先輩の”武勇伝”のほとんどは聞いていても参考にならない。それは人生においてのみならず、地域の歴史についても同じだろう。「かつては○○で盛り上がった。あの頃の俺たちはすごかった。」というだけでは何も次の手は打てない。まして、このデフレ下の中で若者が経済的苦境に追いやられ、地方ではさらにその傾向が強いにもかかわらず、昔と同じことをやれと言われても状況が違いすぎるのだ。
 必要なのは「未来への夢」を語ることと、それに向かって進む実践である。これにあたって注意すべき点は「みんなの共感を得て、いつかやりたい」という曖昧な考えを捨てて、「すでに共感しているチームで、戦略をたてて迅速にやる」という尖ったアクションであろう。

 「みんな」という人はいない

 「いつか」という日は来ない

信頼できる「仲間」と限りある「時間」と大切な「お金」を最大限に活用して「具体的な取り組み」を進めるしかない。幻想ではなく現実と向き合って汗をかいていくしかない。

 地方創生が実現するとしたら、そんな小さな取り組みを次々に生みだし、そして人が減っても豊かさを失わない暮らしを手間暇かけて作り込んでいく営みを地道に重ねていくしかないのだ。地方においては政治も行政もそれを支援できるかどうかが成否を分けると言っていい。

 そのためにまずは幻想を振りほどいて地域を観察することから始めよう。この本はそのための必読の書であると、強く推薦しておく。

予想通り長くなってしまいましたが、さいごまで読んでいただきありがとうございました。

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