人生一路
あるかなきかの可能性しかない儚い夢のコレクションから、その場しのぎの癒やしを汲み上げようとしている限り、やがて人は現実から目をそらし続けることにもついには失敗するしかなくなるほどの行き止まりまで、必ず追い詰められてしまう。
というなんともやるせないお話を前項(『夢で塞がれた未来』)でしたわけだがこの要約は正しくない。
どうでも人は夢を見ずにはいられない。ならどうせなら、自分にも叶えられるような堅実な夢にしとこうぜという、実は前向きなお話なのだ。
他ならぬこの自分だけが叶えるべき、そして叶えられもする夢。それはどんなものなんだろうということを知るには、まず自分自身を認められるようにならなくてはいけない。
「またそれかよ」と思われそうだが申し訳ない。またこれだ。
私はこの先も何度でも言うつもりだ。本来の自分を認めることだけが、幸福へと至る唯一の方法であると私は確信している。
「本来の自分を知る」ではなく、「本来の自分を認める」と言っているのには訳がある。おそらく大多数の人は、本来の自分の姿をすでに、それも人生のごく早い段階で知っているはずだからだ。
まったく知らないものを否定したり拒絶したり忘れようとしたり覆い隠そうとするなんてことは、できるはずがない。
私たちは素のままの自分の姿を知っている。知ったうえで、「こんなものは自分じゃない」「こんなのが自分だなんて嫌だ」と強烈に思い、どうにか否定しきろうとして、身勝手でかつ完璧で理想的なレイヤーをこれでもかとばかりに重ねがけして完全に覆ってしまおうとする。そうやってできた分厚くて硬い殻を本来の自分の姿と誤認して、それでもって人生に立ち向かおうとする。それこそが長い長い不幸のはじまりなのだが。
自分で自分を否定するようになってしまったきっかけを私は覚えていない。たぶん素のままの自分としてふるまってみた結果、(おそらくとても重要だった)誰かからこっぴどい拒絶をされてしまったとか、そういうことがどこかであったのだろうと思う。
その、本来の自分を拒絶しようとする心の働きの強さには、途方もないものがある。本来の自分から生涯目をそらし続けて誰の目からも隠し通そうとするためだったらできないことなんて何もない、というぐらいにこの動因は強烈だ。
私は自分の家族が嫌いだった。実家を出られる日のことだけを心待ちにして、一日でも早く大人になりたいと願った。実家から遠いところで暮らせるのならどこでも構わなかった。たとえその後の人生がどんなに惨めなものであろうとも、今よりは絶対にマシなはずだと思っていた。
高校の卒業までを急ぎ足で駆け抜けて、なんだかんだと理由をあげつらって両親をとりあえず納得させ、なかば逃げるようにして乗り込んだ東京行きの新幹線から見た景色と、そのとき感じた野放図な解放感を、私はけして忘れないだろう。自分の人生における最初で最後の目的は、これでようやく果たされたのだと強く感じた。
その後の生活は、恐れていたほどには過酷ではなく、かといって密かに夢見ていたほどにはバラ色でもなかった。いわゆる普通の二十歳そこそこの青年らしく、楽しんだり期待したり苦労したりほどほどに悲観したり悩んだりしていた。なんだかんだつらいことがあってもご飯を食べて一晩眠ればたいがいのことは忘れてしまえる若さでもって、自由な身の上をそれなりには満喫していたと思う。
ただ相変わらず家族のことは嫌いだった。いや、はっきりと憎んでいた。
もう二度と自分には関わらないでほしかった。それが無理なら全員死んでほしかった。天涯孤独な身の上にものすごく憧れていた。
そういえば、親というのは我が子の微笑ましいエピソードをいくつも大切に心のなかにしまっているものだ。そして何かにつけてそんな思い出を語る。私はそれがとても嫌だった。侮辱されているとしか思えなかったからだ。
その口を閉じさせるためなら何でもした。ときには罵倒すらしてその場の空気を変なふうに濁らせて、たいがいの場合はその場から文字どおり逃げた。何をやってるんだろうなおれはと、さすがにいつも思っていたが、自分を抑えることはどうしてもできなかった。
将来のことなんてなんにも考えずに過去を振り返ったりなんてこともせずに、家族とも完全に縁を切り、ただ気ままになんなら自堕落なまま生きていたい。それだけを私は望んでいたのだが、しだいにそうもいかなくなるのが残念ながら道理というもので、若さという動力源も次第に目減りしはじめると、私は不純な逃げ道に目を奪われるようになった。ギャンブルと酒だ。
ギャンブルでの勝利は「働かないでバクチだけで生きていけちゃうかも!」というアホみたいな夢を見せてくれた。酒は自分という粗悪な機体の操縦桿から、ひととき手を放すという危なげな解放感をくれた。どちらも私はすっかり気に入ってしまった。薄っぺらくてお気楽な、新しい日常がはじまった。
しかし、そんな危なっかしく展望もないがそれなり自由でもある生活に、ときおり差し込んでくるひどく憂鬱な影はやはり、家族というこの上もなく厄介な存在だった。
彼らは頼れる味方などではなかった。常にじわりじわりと包囲を狭めてこようとする敵だった。電話やメールの着信が一回あっただけで、平穏な気持ちは瞬時にしぼんで、かわりに追い詰められるような強い不安とパニックに陥った。
生きている実感がない。まるで死んだままで生きているようだ。実際に起きていることなのに奇妙に現実味がない。何もかも他人ごとのようにしか感じられない。記憶が常にあいまいで、長く覚えてもいられない。自分も他人も誰も実際には存在していないんじゃないかというバカげたこの世の心象が離れていかない。
そういった離人症的感覚の根源を、私は家族に仮託した。
それだけではない。自分が努力できない、そして上手に生きられもしない理由のすべてを私は家族になすりつけた。
あの人たちが1人でもこの世にいる限り、どうやったっておれはおれの人生を十全に生きることはできないのだ。そう考えて、自分の人生を自分自身のこの手に取り戻すため、家族全員の死を願った。
いや、願っただけではなかった。
私には、自分の家族を皆殺しにするための完璧なプランを構築することに没頭していた一時期がたしかにあった。
あのあまりにも強すぎる家族への憎悪はいったいどこから来ていたんだろうというのが、人生最大の危機をなんとか切り抜けられたあとでも依然不可解だったのだが、最近になってようやくわかった気がする。
私が家族を憎んでいたのは、彼らが本来の私の姿を知っていて覚えているに違いないからではなかったか。
本来の自分自身の姿をある日目の当たりにして、こんな自分では駄目だ、絶対に幸せにはなれないに違いないと思って、必死で自分を否定して葬ろうとしてどれだけあがいても、本来の自分の姿を絶対に忘れてくれない人物がこの世に1人でも存在している限りは、何をやってもすべては無駄になる。
だから私はいつも無気力だったし、あれほどまでに強く家族という存在を憎んでもいたのではないだろうか。
私はずっと生きづらかった。この生きづらさは私が私である限り消えないものなのだと思っていた。だから別の人になろうとした。そのために本来の自分を否定しようとした。本来の自分を知っているすべての人が目障りで、殺したいほど憎かった。
理想の自分になることを夢見て目指す、その姿勢を世間は称賛し支持する。しかし多くの人がイメージする理想の自分というのは空に浮かんだ浮島のようなもので、どこにもつながっていない非現実的な存在だ。
ただ歩いていっても絶対にたどり着けない。いくら飛び上がってもとうてい届かない。しかし理想の自分をあきらめることはすなわち、嫌で嫌でたまらない今までの自分に引き戻されることだからそれはできない。だから人はいつしか理想の自分を演じるようになる。理想の自分を素のままの自分に投影して、理想そのものになれたという勘違いに酔ったままで生きていこうとする。
だがやはり、そううまくはいかない。理想の自分を演じ続けることにいつかは疲れて失敗する。裂けた化けの皮の下から覗いた自分の姿は単なる自分本来の姿でしかないのだが、それがたまらなくグロテスクなものに思えてショックを受ける。誰かに見られはしなかったかという強烈な不安にとらわれる。
失敗を帳消しにするためリセットを試みたくなる。SNSのアカウントを消す。職も住まいも変えて自分のことを知っている人が誰もいない環境で人生をリスタートすることを望み、ときには実行する。それまでの人間関係の、可能な限りの範囲を断ち切る。そういうことを何度もくり返すようになる。
自分自身を誤認したままで生きていると世の中は理不尽だらけの地獄だ。周囲はごく普通に接しているだけなのに、なぜ自分がこのような扱いを受けるのかと不満や不公平感や苦しみを常に抱くことになる。理想の自分はいつまでたっても誰からも認知されない。理想の人生との格差は凄まじい勢いで広がっていく。時間だけがただ浪費されていく。
曲がり角をいくつ曲がっても食パンを咥えた美少女は激突してこないし、いつまでたっても白馬にまたがった石油王は現れないし、つらくてつらくてたまらないのにぜんぜん異世界には転生しない。
(でもいつかはもしかしたら。今の自分は本当の自分じゃないし本当の人生はきっとまだ始まってもいないんだ。)
そんな事を考えていたら現実を生きるのはそうとう大変だ。
ポテンヒットを何回も許してしまう野手のように、どの打球も自分が掴むべきものだとは思えない。そのうえエラーをしても自分のせいだとは思わず、周囲の手厚いサポートと理解をどこまでも求め続ける。自分が頑張れない理由を自分以外のところに探す。社会が悪い。国が悪い。指導者が悪い。親が悪い。時代が悪い。自分は何も悪くないのに。なんて世の中は不条理なんだろう。
「自分のせい」と「自分が悪い」とは、イコールではないのだが。
足元がぐらついて踏ん張れないのは、支えとなるべき地面がしっかりしてないからではない。逃げ道をいくつも残したままでいる自分自身のせいだ。
覚悟という言葉は、「さとる」という意味を持つ2つの漢字でできている。仏教でいう覚悟とは、迷いを捨てて悟りを得ることを指す。そして『悟』という漢字は、『吾』と『忄(心)』でできている。
私たちは一般生活者であって宗教者ではない。私たちが求めるのは宗教的な智慧ではなくて幸せに生きるための知恵だ。としても、迷いを捨てて本当の自分として目覚めることはやはりとても重要なことだと思う。
迷いとは何か。それは可能性のほどをあえて確かめないままにして心のなかに後生大事に並べておいている儚い夢たちのこと、現実には用をなさないただの気休め、逃避先のことではないか。
本当の自分とは何か。それは一度捨てられたイメージではないか。人生の比較的始めのほうのどこかで、私たちはちゃんと本当の自分を自覚していて、自覚したうえで「こんなものが自分であるはずがない」と否定して捨ててしまった心と体のありかた、それこそが結局はやはり本当の自分なのではないか。
別の自分や別の人生といった、迷いのもとにしかならない幻想を捨てて、「これが私です」「これが私の人生なんです」と、きっぱりとそういって覚悟を決めたら、もう逃げ場はない。しかし逃げられないからこそ、人はその場で踏ん張り、最大の力を発揮することができようになる。その力はとても強い。
数年前まで私は、優しくて穏やかな年配の女性と知り合うといつも、(ああ、こんな人が私の母親だったらな)と夢想した。
しかし明らかにそんなことはあり得ない。そんなことはあり得ないのだと心底思えたときに、ようやく私は実母と向き合う気力と理由を得た。私の母はこの人以外にはあり得ないのだと思えてからようやく、少しずつだが母という人物の素顔が見えてきた。
そして、ただごく普通にあたり前に親に愛されることだけをいつも願っていた、幼い頃の私の素直な心を思い出した。
それから先は早かった。気がつけば私と母とは嘘みたいにあっけなく和解することができていた。
リアルでは『ひょんなこと』は実際、なかなか降り掛かってこない。だが人はただ待ってることしかできないような無力な阿呆ではない。
人生は一本道だ。過去は変えられないし、現状はたくさんの可能性のうちでもっとも妥当なものが実現し続けてきた結果にすぎない。この世は不条理なんかではない。むしろ徹頭徹尾、あたり前のことしか起きていないのだ。
人生において巻き起こる良いことも悪いことも、その多くは自分自身に由来している。そうでなければ何が自分の人生か。
一つの人生とたった一人の本当の自分。となれば、未来もまた不安になるほど狭められた、自由のない一本道にしか見えない。人によってはそんなものは絶望でしかないと思うだろう。どこまでいっても自分自身からは逃げられないのだから。
だがそれでいいのだ。まだ見てもいない未来を恐れて叶わない夢に逃げ込んでいる間にも時は進む。現実はただ淡々と結果だけを提示してくる。言い訳なんか聞いてくれるような慈悲はない。受け入れるしかない。そのために覚悟が必要なのだ。
覚悟を決めて全部を自分のせいとして受け止める。そのうえで考える。自分にできることを。自分が本当に叶えたいと願う夢はなんなのかということを。
無限の可能性なんてない。あるのは、きちんと現実に結びついた、現在の延長線上にあって自分の足でそこまで歩いていける、いくつかの選択肢だけだ。
自分自身を受け容れればその瞬間に膨大な夢は消える。しかしそれが大人になるということだ。役に立たないただの慰めはもう必要ないから消えたのだ。そのかわりに、もはやなんの迷いも恐れも心の中にはないことに、あなたはそのとき気づくだろう。
夏目漱石の作品に『夢十夜』というのがある。その第六夜で、稀代の仏師である運慶の腕前をさしてある登場人物がこんなことを言う。
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」
私たちの本当の姿はどこか隔絶された空の上にぽっかり浮かんでいるような非現実的な代物ではない。それは私たちのなかに今もあり、虚飾と盛土に埋もれて出られずにいるのだ。
それを恐れ忌避するしかなかった子どもでは、私たちはもうない。別の自分として生きようとすることの限界ももういくらかはわかり始めているはずだ。だったらもう、何をすべきかは言わずともわかるだろう。