あらかじめ言っておくが根拠はない。タイトルにもある通り妄想にすぎない。どうかそこはご容赦願いたい。そのうえで結論から言わせていただくと、幽霊の正体は(夢や幻覚や誤認などを除けば)『情報』なのではないかと、ずいぶん前から私は考えている。 もう少し詳しく言わせてもらうと、『幽霊の正体は(不明な機序によって)場や物に転写された誰かの知覚情報や感情や意思が、(不明な機序によって)読み取られて脳内で再生されたもの』ということになる。 (不明な機序によって)が二回も出てくるため説得
本稿では、精神的にタフな人とそうでない人の違いを、できるだけわかりやすく説明していきます。それではさっそく始めます。 思いのほか見づらくなってしまいましたが……こちらの画像には全面に小さな点がびっしりと並んでいます。仮にこれを、人間社会の縮図であるとしましょう。 見やすいように拡大しました。ここに配置されている全ての点が、それぞれ別個の、ある特定の個人を表しているのだと想定してください。 すべて同じに見えるおびただしい数の点の中から、自分を示す点を間違うことなく
まずは数年前までの私の状態を参考に、自分に自信がない人の特徴を思いつくままに書き出してみる。 ・常に不安で、自分が周囲からどう見られているのかが気になって仕方がない。 ・他人と自分との違いや差が気になる。 ・公私において非効率的なふるまいをよくしてしまう。 ・仕事や人付き合いが上手にできない。 ・誰かと接していると身構えてしまったり逆に逃げ腰になったりして、リラックスした状態で人と関わるのが難しい。 ・気分の上がり下がりが激しく、イライラしたりカッとなることも多いが、制御
問題の解決を目指し、情報を集めよく考え努力もしているのに、なかなか前進できない。そういうときは、そもそもの段階にまで立ち戻ってみると好転のきっかけが掴める場合もある。 その問題というのが自己肯定感の低さである場合は、たとえばこういったことを考えてみると、もしかしたらいいかもしれない。 「肯定する」とはどういうことか? 自己に関するあれこれをいったん忘れて考えてみれば、誰でも答えはわかる。バカバカしいほど簡単だ。「肯定する」とは、「否定しない」ことだ。 「肯定する」
あるかなきかの可能性しかない儚い夢のコレクションから、その場しのぎの癒やしを汲み上げようとしている限り、やがて人は現実から目をそらし続けることにもついには失敗するしかなくなるほどの行き止まりまで、必ず追い詰められてしまう。 というなんともやるせないお話を前項(『夢で塞がれた未来』)でしたわけだがこの要約は正しくない。 どうでも人は夢を見ずにはいられない。ならどうせなら、自分にも叶えられるような堅実な夢にしとこうぜという、実は前向きなお話なのだ。 他ならぬこの自分だけ
子どもの頃何度か、親から言われた。 「お前はうちの子ではない。よその子だ」 そう言われて私はうれしかった。いつの日か、(なぜか)とても裕福で愛情深い本当の両親が迎えに来てくれるのだと思っていれば、つらい日々も少しは耐え易くなった。 私は男であるから、周囲の人たちは私がいつか父親になることを疑わなかったし、私自身でもぼんやりとそう考えていた。 でも二十歳ぐらいの頃になってとうとう私は、自分がゲイであることを認めざるを得なくなった。 結婚をして家庭を持つ。父親になる
パンドラの箱の伝説は有名すぎるくらいに有名なのでほとんどの方はご存知かと思う。 開けてはいけないとされていた箱を好奇心から開けてしまった結果、それまでこの世にはなかった災厄や悪意が解き放たれてしまったのだが不幸中の幸い、箱の中にはまだ希望が残っていましたよというもの。 その話を子供の頃に読むか聞くかして知って以降、はじめはほんの些細なモヤモヤだったなにやらヘンな気持ちは、しだいにはっきりとした疑問へと変わっていった。 Q1.箱を開ける前の世界には悪いものは何もなかっ
「自信に満ち溢れた自分でありたい」 「いつでも自分らしく堂々としていたい」 「人の言葉や態度に振り回されるのはもう嫌だ」 「やたらと自信満々な人が苦手だ」 「不安ばかりの毎日を終わらせたい」 「限られた人生の時間を、自信を持って自由に幸せに生きていきたい」 そう思う人は多い。多いというか、そういう人が実は大多数なのではないかとすら感じる。 それなら、ということで「自信」「自信とは」などのワードで検索をかければ、自己啓発系のブログや記事はたくさんひっかかる。そこで言われて
高校の修学旅行か何かでだったろうか。私は就寝中に「眠れない!」という寝言を叫んで、ひとしきり場を沸かせたことがある。遠い昔の、他愛なくも楽しい思い出だ。 しかしその後私の寝言は、長い年月のうちに少しずつひどくなっていったらしい。らしいというのはなにせ寝ている間のことなので記録も記憶もないからだが、私と寝所を伴にした相手から「ゆうべ寝ながら怒ってたよ」といったようなことを聞かされる機会は、どうも歳を重ねていくごとに増えてきてるようだと、あるとき気づいたのだ。 これはどれ
私がまだ20代だった頃(1990年代)、ディアゴスティーニ社からマーダーケースブックというシリーズが発売された。毎週ひとりのサイコキラーを取り上げて、犯行から逮捕までの経緯とか犯人像と逮捕後の様子などをまとめた写真多めの読み物だった。 ある日、私がそれを実家で読んでいると父がやってきた。父は私が読んでいるのがどういう雑誌なのかを知ると顔を歪めてこう言った。 「なんでそんなものを読みたがるんだ。おまえはやっぱり異常だな」 おまえは異常だというのは父の口癖だったので気にはし
身近な人が「死にたい」と言ったら ( https://note.com/grin/n/n915e77f8a7fc ) なぜ人は子を生すのか ( https://note.com/grin/n/ne4b1f6b7fa0e ) 人生の意味 人間はなぜ、なんのために生きるのか。人生の意味とは何か。 数千年ものあいだ、人はその事を考え続けてきた。数え切れないほど多くの天才的な哲学者や作家や学者や宗教家が生涯をかけてその問いに取り組んだ。にもかかわらず、最終的な結論はいまだ出ていな
通話で、メールで、SNSで、アプリで、対面状況で。自分の身近な人が「死にたい」と言ったらどうするか。 大部分の人は止めようとするだろう。自分は止めないという主義の人も中にはいるだろうが、実際にそうした場面に接しても意見を変えずにいられるほど達観を極めている者はそういない。 だから今は、死にたがってる人を止めるのは正しいのか? というそもそも論はとりあえず脇に置き、どうすれば他人の自殺願望に待ったをかけられるのかを考えていく。 1番多い働きかけは、シンプルに「死なな
今さら説明は不要かもしれないが『緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦』というのはテレビ東京の人気特番シリーズで、日本全国の池沼(ネットスラングではない)の水を抜いて住んでいる生物を捕獲して分類し、在来種のみを元の環境へ戻すという活動を番組化したものだ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8A%E6%80%A5SOS!%E6%B1%A0%E3%81%AE%E6%B0%B4%E3%81%9C%E3%82%93%E3%81%B6%E6%8A
愛というテーマに向き合うのがときに難しいのは、誰もが愛の当事者だからだ。愛についてのそれぞれの考え方があり、そしてそれは人生を生きていく上で重要な基礎の一部を成している。 人はあまり愛について語らない。愛をテーマにした作品は無数にあるのに、自分個人にとっての愛とは何かというような話を誰かとする機会はとても少ない。どうしても一般論になってしまう。でも興味はすごくある。もどかしい。そんな感じだと思う。 一言で愛と言ってもそれが指す関係性はさまざまある。恋人同士の愛、家族
差別との戦い その1 ( https://note.mu/grin/n/nac0efe9fb15c ) 差別との戦い その2 ( https://note.mu/grin/n/n953098a7ceff ) 差別との戦い その3 ( https://note.mu/grin/n/n3042005d8b02 ) 差別との戦い その4 ( https://note.mu/grin/n/n7b66b740d332 ) 差別との戦い その5 ( https://note.c