夢で塞がれた未来
子どもの頃何度か、親から言われた。
「お前はうちの子ではない。よその子だ」
そう言われて私はうれしかった。いつの日か、(なぜか)とても裕福で愛情深い本当の両親が迎えに来てくれるのだと思っていれば、つらい日々も少しは耐え易くなった。
私は男であるから、周囲の人たちは私がいつか父親になることを疑わなかったし、私自身でもぼんやりとそう考えていた。
でも二十歳ぐらいの頃になってとうとう私は、自分がゲイであることを認めざるを得なくなった。
結婚をして家庭を持つ。父親になる。この2つの大いなる可能性はそのとき閉ざされた。
はずだった。
実際はどうだったか。
その後私は、実に二十年以上も、想像の世界をさまよい続けた。
『モデルかアイドルみたいに超かわいい女の子に一方的に惚れられてあれよあれよという間に結婚しちゃってなんだかんだで子供もできちゃって、おれも普通のお父さんになれちゃうかも!』
『ゲイである私を理解しそれでも求めてくれる女性と知り合って、私たちは友情婚という形で結ばれて、様々な困難に見舞われつつも力を合わせてそれを乗り越え、家族を築いていくのかもしれない』
『私と同じように結婚をせっつかれている同性愛の女性と共謀のうえ籍を入れ、私のパートナーも彼女のパートナーと結婚すれば、二組の普通の夫婦という体裁を整えつつ実際は夫同士妻同士での愛情関係が継続でき、もし合意があれば人工授精等の手段を用いて子を持つことも可能かもしれない』
『(酒に酔っていたか何かの理由で)自分ではまったく記憶にないのだが実は過去に一度とある女性と関係をもっており、そのときにできた子がある日突然私を訪ねてくるかもしれない』
かもしれない。かもしれない。かもしれない。
恥ずかしすぎてここには書けないようなものまで、ありとあらゆるパターンを私は夢想した。
いろいろなことをいったん度外視して、幸福な未来につながるいくつものルートを思い描いた。そしてそれを壊さぬように心のなかにそっと並べておいて、ことあるごとにそれらのレパートリーを眺めていた。「自分だってその気になれば」と考えながら。
そしてたとえば幸せそうな親子連れを見たとき。彼らに対し、「これ見よがしにしやがって」「いつかは自分だって」と対抗心を燃やした。「子どもを作るくらい犬や猫や虫にだってできるじゃないか」と軽んじようとした。「何も考えてなさそうで気楽なものだな」と蔑み、と同時に自分が抱えている困難さをある意味拠り所にしていた。
だがそんなふうに心のなかでどれだけ抗おうとも、処理しきれたためしはなくずっと気持ちはささくれていた。幸せそうな人たちを見ても何も思わないということがどうしてもできなかった。幸せではなかったと思う。けど絶望に落ちきらないようにしてただとにかく生きていくためには、あるかなきかの夢でも失うわけにはいかなかった。それが私の半生だった。
しかし四十代に入っていよいよ、さすがにそんな生き方にも限界が見え始めた。
毎朝の通勤途中で、「大丈夫か? 今日一日やれるか?」と自分に尋ねる癖がついた。あからさまに白髪とシワが増えた。様々な資格の取得機会を失った。いくつかの夢が制度的に事務的に奪われていった。そんななか、私よりもずっと若い人たちが次々と就職し昇進し結婚し子を儲けていくのを、ただ見ていた。
家で酒を飲むようになった。勤務中は退勤後の一杯のことだけを考えてどうにかしのぐ日々が続いた。それでも耐えきれずに職場のトイレで何度も泣いた。ギャンブルにはまり家賃を滞納し食費すらなかったが酒は飲んでいた。ペットボトルの安い焼酎が家に何リットルか常備されていないと不安を覚えるようになった。寝ているときと働いているとき以外は常に酒に酔っていて、あるときとうとう幻聴を聞くようになった。押入れの奥の壁が誰もいないはずの向こう側からドンドンと叩かれる音を聞きながらこの人生もようやく終わってくれるのかもしれないと安堵して気絶するように眠りについた。働いてるときなどに、不意に脳がグラリと揺れるのにも、意識が一瞬途切れるのにも、胸がときおり痛み心臓が変な脈を打ちだすのにも、もうそろそろだぞという予兆を感じられてうれしかった。
結局人は、生きるか死ぬかのギリギリのところまで行ってみるしかないのかもしれない。こんなところでこんな記事を書いている己の行為を無意味にすることにもなりかねないが、やはり他人の単なる言葉なんてそうそう響くものではないのだ。
「現実を見ろ」「身の丈を知れ」「地に足をつけろ」
様々なそういう言葉を私も投げかけられた。そのたびに、ドロドロとした暗い怒りを身内に感じて震えた。
おれのことを何も知らないくせに何もかもわかったような顔をして、夢を見るささやかな自由さえも奪おうとするクソ老害どもめと、そう思った。怒りという新たな対抗手段を私は得てしまった。
心のなかに置いておくだけでよかった夢に、いつから私はすがるようになったのだろう。よく覚えてはいない。
あてにならないことはうすうすわかっていたはずの夢を、いつからかあてにするしかなくなっていた。しかしそれでも叶えるために本気で努力することはなかった。何につけても本気になるということができなかった。
もしも自分がゲイではなかったら。もしも別の家庭に生まれていたら。別の時代に生まれていたら。もっと優れた容姿だったなら。人生を生まれる前からやり直せたら。金持ちだったら。そんなことばかり考えた。
夢が実現する可能性を現実的なレベルにまでもっていくにはもはや、私という人物の設定面に手を加えるしかなかったからだと思う。
それでもしだいに、櫛の歯が欠けていくように、大切に守ってきた夢のいくつかは失われていき、なおさら私は残された夢に執着した。そこにしか自分の未来はないのだと思った。
現実にはまず起こりえないことへの期待を持ち続けるためには、現実から目をそらさなければならない。
新興宗教や怪しげなセミナーに嵌っている人たちを見ればわかるように、現実離れした事柄を信じるためには、人はそのぶんだけ狂う必要があるのだ。
内心ではあてになりそうもないとわかっている夢にすがり、それだけに未来を賭けていた私も同様だ。私は狂っていた。
選べる道は多ければ多いほどいいじゃないか? ひとつの選択肢が消えることは、それだけ絶望へと近づくことなのだから。
そう考えて、なるべくたくさんの夢を心のなかにとっておきたいと願うならコツがある。それは何も確かめないことだ。
人々が織りなす大小様々な歴史を学んではいけない。物質や物事や他人が通常とりうるふるまいについても、詳しくなってはいけない。自分という存在の真の姿に目を向けてはいけない。
知ってはならない。自分探しの無益さを。本当の自分とは今ここにいる自分以外にはありえないのだということを。本当の人生を生きてこなかった時間など過去のどこにもなかったのだという真実を。
夢を見るのは生きていたい心の現れだ。幸福な未来を望む自然な心の営為だ。
「この夢さえ叶えば幸せになれる」「この夢がまだあるから生きていける」そう思えるものが胸のなかにあるかどうか、それが重要となる場面はたしかに多い。しかしそうした夢のほとんどには、ある大きな要素が欠けている。それは適性だ。
だから、「自分だってその気になれば」と思い、そこにどれだけ希望をいだいていようと、実際にはいつまでたってもその気になんてならない。なれない。だからしまいには死にたくなる。
自分自身を認められない者が見る夢は残念ながらたいてい叶わない。
叶わないことは自分でもうすうす感づいてはいる。にも関わらず、それを捨てずに守り抜こうとするから、人はなおも自分自身と現実から目をそらし続ける。そして時の流れとともに人生はますます荒廃していく。
そのようにして、けして叶わない夢が今も多くの人から幸福と未来を奪っているのだ。
つづく
(次項・『人生一路』)