女の美学 ~中年をぶん殴ってくれるモノ~
本物、ニセモノ、という表現を安易に多用したくないのだけど
圧倒的本物を目の前にすると、ニセモノ、妥協、の薄っぺらさが恥ずかしい、という感情が湧いてしまう
それはもちろん自分の姿勢に対しても。
今はコンビニエント、早く、適当、程々、緩く、がもてはやされる時代のような気がしている。
実際にはグラデーションで同時に色んな世界が存在しているのだけど、大きな時代の流れとして昔よりは、という感覚で。
とにかくがむしゃらに頑張れ!はもう若者たちには通用しなくって、一歩間違えると「ハラスメント」になってしまう
ブラックだろうが何だろうががむしゃらに頑張れば右肩上がりでいいコトがあった時代の価値観なんて今の時代に通用しないのはあたりまえで、
ある意味それは今の時代を賢く生き抜く知恵として、自分を守るためにも正解なのだろう。
でも、だからこそ、なのか
こんな時代に、物事に「がむしゃらに」「ストイックに」「向き合っている」姿勢の大人って、貴重だ。
真面目に頑張っている弱者が搾取される社会の構造は一朝一夕に解決できる問題じゃないから仕方ない部分もあるが、そういうことを嫌がって努力を避けるのは勿体ない。
ゆるく生きる
突き詰めすぎない余白
それらの大切さ、良さ、ももちろんある。
なんでも一概に言い切れるモノではなくて
なんでも時と場合によることは前提として
自分にも、物事にも、本気で向き合う経験というのは人生の中で必ず一度は必要なんだよな。
慣れてきた頃に始まる「手抜き」「妥協」が、自分のためや全体の効率化に必要な時もあるのは事実で、「こだわりの本格派」は時として単なるエゴイストになりかねない。
これは「ヒト」以外のなにかしらの「モノやサービス」を対象の仕事に限定される話だが
たとえエゴイストだと言われたとて、周囲を困惑させてでも、自分のこだわりを形にするためには、周囲を巻き込むほどの実力やコミュニケーション力も必要だ。
敵、というよりか、信念を貫こうとするほどに、合わない人や場所もはっきりしやすいだろう。
そんな多大なエネルギーを消耗する面倒な作業、なかなか簡単に出来るものではない。
若いころの、まだ社会に無知ゆえの「熱さ」とか「勢い」を失い、守るべきもののために妥協することも覚えてしまった中年がそこまでのエネルギーを再度注げる何かを見つけるのも、人によっては容易ではないかもしれない。
でも、果たしてそれでいいのか、圧倒的本物の努力を目の当たりにすると、頭をガツンとぶん殴られる
一度と言わず、何度でも、人生の中でそういう転機は訪れる。
真剣に物事と向き合うと、人ってすごいんだな。
圧倒的プロのクオリティは何歳になっても、感動する。
その裏には計り知れない努力や涙がある、搾取されてもめげない根性、貫く信念。
年齢や経験を重ねていくほどに「見慣れた景色」は増えていき、自分の限界点のような「諦め」に近い、楽でいるボーダーラインをなんとなく引いていたりする。
だからこそ、年齢や経験を重ねても尚、自分はまだまだ!と思わせてくれる大人の存在は貴重。
でも、元々の気質によるところと、頑張れるその仕事に対する向き不向き、の問題は大いにあるような気もする。
努力をした経験自体は向き不向きに関わらず、後々自分の自信に繋がるけれど
出来ないことを無理に頑張りすぎてもあんまりいいことは無い。
自分の見極め、も必要だけれど
大人たちはもっともっと、本気にならなきゃダメなのかもしれない。
中年が腰抜けではあかん。
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