アメリカとイタリアのピザの歴史【まとめ】
【ピザの語源】※諸説あり
・「(指で)つまむ」を意味するpizzicare(ピッツィカーレ)から派生。
・フラットブレッドを意味するギリシャ語、アラビア語、あるいは
ヘブライ語からきてる。
・ラテン語=piceaが語源
色々な説があるがはっきりとは分かってない。
【ピザの故郷】
ピザのルーツをたどれば古代までさかのぼるが、実際ピザが食べられるようになったのは、18世紀にイタリアのナポリで食べられるようになりました。
【当時ピザを食べる人は貧しい人】
ピザを食べる人たちの大半は、ナポリの貧しい民衆で、通りの露天商からピザを買い、そのまま通りで食べた。彼らにとってピザは平日に食べるもので、日曜日には一週間働いて稼いだお金でマカロニを買うのが習慣だった。
ナポリではピザを食べることが貧しい人たちの文化の一部になってた。
なぜナポリで貧しい人達がピザを食べるようになったのかというと、価格は抑えられているが、栄養価が高い食べ物だった為、この町に住む貧しい民衆の間で人気になったといわれてる。
現代のピザ(パン、チーズ、トマト)は、ナポリで食べられていた初期のフラットブレッドが進化したものである。最も一般的で価格が抑えられたピザは、ホワイトピザと呼び、フラットブレッドに、にんにく、ラード、塩をトッピングしていた。
もう少しだけ贅沢で値段も少し高い物になると、カチョウカヴァッロ(ハードチーズの一種で、かつては馬のミルクから作られていたが、現在は牛か水牛のミルクで作られる)とバジルをのせたものや、シラスをのせたチチニエリと呼ばれるピザがある。
【ピザのトマトについて…】
トマトについては、いつ、どこで、何をきっかけに使われるようになったかは正確な所は分かってないが、ナポリではパスタ商人がマカロニやヴェルミチッリ「スパゲッティより細いパスタ」にトマトをかけて売っていたので、
ピザ職人たちもパンとトマトを組み合わせて売ることに対抗したと言われてる。
【イタリアンピザの特徴】
イタリアのピザの一般的な特徴は、パリッとしたクラストと新鮮な材料を使っていることである。イタリアのピザの大半は、まき窯でピザを焼き、新鮮なトッピングを使い、客の好みに合わせて熱々のピザを出してる。
本式のピザの判断基準は、レンガ製のまき窯を使用してること。
【真のナポリピザとは…】※VPN認定
・マルゲリータ(トマト、オリーブオイル、バジル、モッツァレラ)
※王妃が愛したピッツア
・マリナーラ(トマト、オリーブオイル、オレガノ、にんにく)
※マリナーラは船乗りのことで、腹を空かせた漁師たちが朝食にピザを
たらふく食べたことが由来。
・マルゲリータ・エクストラ
(トマト、生のチェリートマト、モッツァレラ、オイル、バジル)
【レンガ製のまき窯(ピザ釜)とは】
ピザ釜とはドーム型の形をしたピザを焼き上げる釜のことである。
なぜピザ窯でピザを焼くかというと…
・ドーム型のピザは短時間で高温(400℃~500℃)遠赤外線効果により
外側はパリッと中がモチモチしたピザとなります。
【ピザ窯の道具「ピザパドル」とは】
・ピザパドルとは、ピザを出し入れする時などにピザを扱う道具のこと。
ピザパドル(木製):窯でピザの出し入れをする時に使用。
ピザパドル(金属製):窯の中で、ピザを回したり火加減の調整をする。
【王妃が愛したピッツア・マルゲリータ】
当時王族はフランス料理を食べていたが、王と王妃はフランス料理に飽きて、イタリアらしい料理を望んでいた。
そこでピザ職人が呼ばれ、王妃の為にピザを3種類用意された。
その中で、王妃が気に入ったピザは、トマトとモッツァレラとバジルをのせたピザで、ピザの名前は、「ピッツア・マルゲリータ」という名前に変わった。
こうしてピッツェリア・ブランディはマルゲリータ発祥の店となった。
トマト、モッツァレラ、バジルは、イタリアへの愛国心を表現するイタリア国旗と同じである。
【ピザのシンデレラストーリー】
質素な料理が王妃に気に入られ、世界中で大人気の食べ物になった。
ピザは次第にイタリア全土に広まるとともに、ナポリからの移民が西ヨーロッパ中の移住先にピザ店を開いて知名度が向上したことにより、ヨーロッパを代表する料理になった。
こうしてピザは、ヨーロッパだけではなく、やがて19世紀後半にイタリア移民とともにアメリカに渡ります。
【アメリカピザ発祥の店「ロンバルディ」】
1905年に、ピザを売るための商業ライセンスを初めて交付されたのが、ジェンナーロ・ロンバルディであった。そのためニューヨーク市内にあるロンバルディがアメリカのピザ発祥のお店となる。
ロンバルディは1930年代までには彼の食料雑貨店兼ピザ屋をレストランに改装し、シンプルなパスタ料理とピザを出すお店にした。ピザ好きたちはロンバルディの店をアメリカで最初の、そして最も重要なピッツェリアとして敬っている。このレストランはのちに「リトル・イタリー」と呼ばれる地域の中心地になった。オペラ歌手から通りの浮浪者たちまで、誰もがロンバルディのお店に集まったため、そこから社会的平等の象徴としてのピッツェリアの伝説が生まれた。
もうひとつの伝説は、ロンバルディの店に置かれたピザ釜である。溶鉱炉のような窯で焼かれるロンバルディのピザは、パチパチ音を立て、材料が泡立ち、チーズとトマトが溶けて混ざり合う。クラストはパリッとして、ふっくらしたり茶色になったりはせず、黒く焦げることはない。「ロンバルディ」は間違いなく、ニューヨークのピッツェリア現象の生みの親である。
こうしてアメリカの北東部からピザは広まった
少ない食材で作ることができるピザは、イタリア系アメリカ人のストリートフェアで人気になり、やがて全米のフェアやカーニバルでも売られるようになりました。アメリカでは、フランチャイズやチェーン店を通して、アメリカピザのベースが出来た。1960年代に市場に出回りはじめた冷凍ピザは、80年代には驚くほどバリエーションが増えた。
アメリカには地域独自のピザが数多くありますが代表的なピザは…
【アメリカの代表的なピザ】
【ニューヨークピザ】
・イタリアピッツア(ナポリピッツア)に近いピザ。
【カリフォルニアピザ】
・ニューヨークスタイルをベースにカリフォルニアの地元料理・地元食材を
組み合わせたピザ。
【シカゴピザ】
・パイやキッシュのような見た目をしており、大量のトマトソースとチーズ
を使って作り上げるピザ。
【戦後のアメリカでピザが大人気になった理由】
【冷凍ピザの誕生】
冷凍ピザの発売は、1950年代のアメリカの食生活を特徴づけるふたつのトレンドに目をつけた。
・手軽な食品が好まれるようになったこと
・ソウルフードを求める動き
戦後になると、個人向けのピザが生まれ、自宅のキッチンやダイニングで自分一人で、あるいは家族だけでピザを食べるようになった。それを後押ししたのが、冷凍ピザ技術の発達とスピーディーな宅配サービスが広まり、やがて全米へとチェーン展開しました。
【アメリカの老舗チェーン店】
【ピザハット】
・ピザハットはフランクとダンのカーニー兄弟が1958年に創業した。
【ドミノピザ】
・ドミノ・ピザは、トムとジェームズのモナハン兄弟が1960年にミシガン州
イプシランティで「ドミノック」として創業
ピザが生まれたのはイタリアではあるが世界中にピザを広めたのは、アメリカである。
今現在、世界で一番ピザの消費量が多い国は、アメリカです。
はじめて食べたピザはアメリカンピザの方も多かったとは思いますが、ピザの発症がイタリアのナポリと聞きますとイタリアンピザも食べてみたいですね。
日本のピザハットはデリバリーサービスが大半だがアメリカのピザハットにはピザレストランがありバイキング方式でピザ食べ放題で最高です。
アメリカに行く際はおすすめです。
またアメリカではドミノピザが人気でデリバリーが好評です。アメリカ人の中にはイタリアンピザが好きな方もいるみたいですが大半の方は、アメリカンピザがお好きな方が多いようです。
みなさんはどんなピザがお好きですか。
ピザは人の期待を裏切らない素晴らしい食べ物だと私は考えてます。
本日はお読み頂きありがとうございます。
ビジネス基礎/雑学/お金の知識を身につけ人生を豊かにする@グリフィン研究所/https://griffin-dandm.jimdofree.com/
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