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雲一つない空へ向かって。

12/15は、義妹の四十九日と、母の命日でした。
なんだかなー。弟と、早いような遅いような。と、話しましたが、本当に、なんとも言えない感じです。
 
母の時は延べ300人ほどの方が来てくださり、葬儀までの長い日々も、驚きと悲しみと混乱の弔問客を対応し続けて、正直、心身ともに疲弊している中、四十九日を一つの区切りと信じて、お返しの手配まで突っ走ったと記憶しています。

一方、義妹は家族葬。私は多少の手伝いをした程度ですし、なんだかまだ信じられない。それでも、弟の隣に彼女がいない寂しさを感じることも有りますし、細かな変化に「本当に居ないんだな」と、実感しています。

そして義妹の四十九日、お空に行っちゃうんだね。と、見上げた空の青さ!清々しい気分で、見送れたように思います。

忙しいことに、母の命日でもあるため、この日は88歳になる叔母と、電話で思い出話をしました。先日も、体調崩して3回忌に来れなかったのですが、今日も、飛んでいきたい思いだけど、まだ回復しなくてねぇ…と、残念がってくれていることが、嬉しいです。

母の友人達も、お線香をあげに来てくれて、「今でも信じられない。またね。って言ってたのに」と久しぶりに、母を偲び、思い出話や、母が亡くなった日の事を話してくれました。

そう、突然の出来事で、みんなパニックだったんです。
そして、虫の知らせって、よくある事だと思うのですが、1人の方は、「銀行に年金取りに行く日だから、一生わすれないわ。いつものように、銀行にきたんだけど、なぜか違う道を通ったのよ。そしたら、喪中て貼ってあるから、ちょっと覗くとご主人見えてね、挨拶もせずに、誰が亡くなったんですか!と、入っていっちゃったのよ」と、臨場感あふれる語りをしてくださいました。

母が亡くなった時、本当に大勢の方に声をかけてもらいましたが、母の友人たちからは、慰めの言葉より、たくさんの思い出話しや、自分たちが辛い気持ちを話して頂きました。

いま、冷静に振り返っても、多くの方が、私のことを心配し気遣う言葉以上に、驚きと、自分たちの辛さや、急死した母への思慕を…ただ素直に吐露していただけなのです!!まあ、私に話したのは、慰めや、共感のつもりだったのでしょう。

長年の経験から、お互いに、グリーフの分かち合い効果となることを知っていたのかもしれませんね。


自分たちも高齢で、一年が当たり前の一年では無いと、自覚している。
お線香をあげた帰り際に、「また来年かしら、ね。」と、挨拶されたのも、なんだか嬉しかったです。

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