自分の内側を表現する、ということ

自分の内側の声を外に出すのは、
結構怖いものだ。

怖いと思いながら、書いてみようと思う。

私は元来、我が強いというか、
クセが強いというか...

決して万人受けするタイプには生まれなかった。

一昔前まではそれがすごく嫌で、
「優しくって、聞き上手で、みんなから愛される、明るい人」
みたいなところを目指していたこともある。

けど、その(無理した)自分を好いてもらっても
なんだろう。
徒労感、虚しさ。

当然疲れるし、
「嫌われない=幸せ」ではないと経験から学んだ。

学生時代にいじめられた経験がある人は心が脆くなるらしい。
私がお豆腐メンタルなのは、そのせいにできたらいいななどと思う。
(実際本当にそうかもしれないし、その可能性は否めない。
けど、もともとのような気もする)

いじめられていたというか、
事実はほんの少しの期間、
クラスではぶかれただけだった。

でも、すごく怖かったし、情けなかったし、悲しかったし、心が傷ついたんだと思う。
初めてでくわした「敵意」にどう対処していいか13の私はわからなくて、ただただ怯えた。

フレネミーなんて言葉は当時は知らなかった。
(まだなかったかもしれない)


あの頃の自分に声をかけられるなら
「大丈夫、あなただけが悪いわけじゃない。
たしかに、自信過剰、自意識過剰なところは良くないかもしれない。
でもそこを改善すれば、堂々とした素敵な女性になっていけるよ。」
と教えてあげたい。

そう、私は自意識過剰で、
自分が大好きすぎて
承認欲求の強い
典型的な「女ジャイアン」タイプだった。

人の恐怖とはすごい威力を持つようで、
そこからの人生、
わりとずっと「顔色を窺う」がスタンダードになっていた。

「嫌われてもいい」

「そもそも私を好きじゃない人に、無理に好かれる必要なんてどこにもない」

そう思えれば、どんなに楽か。

最近でこそ、そこそこそう思えるようになったと思うけど、
まだまだ、相手に寄せてしまうこともある。

(役に立つ面もあるから、
完全にデメリットではない。)

何が言いたいかというと、

結論。

のびのび生きたい人が
のびのび生きられるようになってほしい、なとどおこがましくも思っている。

(それは昔の自分を救いたいからかもしれない。
でも、救うってなんだろう。)


「いろんな生き方があるよね」
「世界線はたくさんあるから、
それなりに選べるよ」
そうどんなに伝えようとしたとて
声が入らない時は入らない。

ただ、

私の文章で、
77億人のうちたったひとりにでも
ほんの少しでも
プラスに働くようなことがあったら嬉しいなと思う。

巷に溢れる自己満足文章かもしれない。

でも、書きたいから書いてみようと思う。

読んでくださってありがとうございます。



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