葬儀を経て
こんにちは。
タロット鑑定師&ハンドメイド作家(現在、活動休止中)の「輝凛(きりん)」です。
先日、こちらのnoteを書きました。
叔父は私の住まいの近所のマンションで一人暮らしをしていました。
しかし、脳梗塞から高次機能障害を発症してしまい、日々の生活における判断が危うかったため、医療保護入院という制度を使って精神科に入院してもらっていました。
その叔父が突然、亡くなりました。
死因は新型コロナウイルスに感染したこと。
叔父が入院していた病棟でクラスターが発生してしまったためです。
まだ病院でのクラスターが落ち着いている状態ではないため、叔父の遺品の引取りのための連絡を含め、病院から叔父のことについて詳細は伺えていません。
叔父の詳細を伺うことや遺品整理以上に、病棟のクラスターが収まることを優先して頂きたいですし、職員様の心労も強いと思いますので、こちらからの連絡は差し控えている状態です。
今回は、叔父の葬儀を終えて今思うことを、書かせていただきます。
叔父が命を落とした原因
叔父の入院先だった病院様から、詳しい話は伺えていません。
ただ、葬儀に必要な死亡届/死亡診断書は葬儀の打ち合わせの際、確認しました。
死因は肺炎。発症から僅か4時間。
肺炎になった原因は、新型コロナウイルスに感染したこと。
この期間は1日とありましたので、恐らく叔父は病院が検査をして陽性と判明して1日で命を落としたことになります。
病院では面会可能な人物は「親族のみ」とされていました。
そのため、病棟にウイルスが入り込んでしまった原因は、面会された患者さんのご家族か、または病棟の職員の方がご家族からの感染やご自身が買い物等で市中感染してしまったように思います。
病院の状況報告を見ると、最初は職員様間での感染が起きたような印象がありますので(あくまで印象です)、後者の可能性が高いようには思います。
原因を探ったところで、叔父の命が取り戻せるわけではありませんし、職員様を責める気持ちはありません。
ただ、私が新型コロナウイルスの件で信用している発信をされている方の一人、科学者の川上浩一先生の以下のツイートは、多くの人たちにご自身の行動や考えを振り返るきっかけになって欲しいと感じています。
また、偶然私のタイムラインにあがってきた、以下の方のツイートについても、ご自身の行動を振り返るきっかけにしていただければと思っています。
私は…、そして母も同じ意見だと申していますが、私の叔父の逝去は病院で感染源になってしまった人に責任があるのではないと思っています。
「感染しても仕方ない」「感染なんて気にしていたら、何もできない」と考えてしまい、自分たちが都合よく動けるようにと、コロナ禍以前の行動を繰り返すことに鈍感になっている人達によって叔父は命を落としたと思っています。
当然、このような方々を今後も一切容認できません。
私の叔父はそのような人たちのおかげで、落とさなくてもいい命を落としたのですから。
本気で反省する、心が痛いと思ってくださるのであれば、何も言わなくてもいいので、行動を今すぐ改めてください。
私の願い、求めることは、ただこれだけです。
感染を防ぐ、減らすことが出来るのは「思考」「感情」「思い」ではありません。
「行動」の変化のみだからです。
また、私自身はかねてより「このような悲劇を1件でも作りたくない」と強く感じているため、コロナが発生して状況がより詳しく見えてきた頃から可能な限りの自主自粛生活を継続しています。
大好きだったバンドの応援も、彼らのライブ再開で愛想が尽きて辞めました。音源再生も一切していません。
ライブを通じて知り合った多くの友達とも一切連絡を取っていませんし、会うつもりもありません。
万が一感染しても早期治療にアクセスできる環境が完成するまでは、今後も今までのように自主自粛生活していくと決意しています。
叔父の件を受けて、上記のような判断をした自分を褒めたいと強く思いました。
もしライブ等にコロナ禍以前のように行っていたら、叔父への罪悪感でいっぱいになっていて、自分をどこまでも責めていたようにも思うためです。
今、私が叔父の逝去に悲しみながらも真正面から向き合えているのは、自分の行動についての判断が、新型コロナウイルスの感染によって誰かの命を落とすことに繋がっていない、その方の遺族の悲しみを生み出していないと心から思えているためです。
母の悲しみ
亡くなった叔父は、母から見て12歳離れた弟です。
母たちは4人姉弟で、叔父は末っ子で長男。
私の祖父母は自営業をしていた関係もあり、夫婦で仕事が忙しかったため、叔父の面倒は母が見ることが多く、叔父もすぐに母を頼ってくることが「当たり前」の状態になっていました。
また、母も何だかんだ言いながら、叔父のことが可愛かったのでしょう。
自分の息子のように可愛がっていたように感じます。
その母に叔父が亡くなったことを伝えると、当然驚きと動揺が…。
母は人前で泣くこと、特に私や弟、つまりは自分の子どもの前で涙を見せることを避けたがります。
その一種の悪い癖が今回も出てきてしまっていました。
「泣きたいときには泣いていいんだし、お母さんが一番悲しむのは当たり前なんだよ」
そう言って、母を正面から抱きしめて、私からは顔が見えない状態にしたところ、思い切り涙を流して泣いていました。
「なんで、あいつの方が先に逝かなきゃいけないんだよぉぉぉ」
このようにも声を上げて泣きながら、申しておりました。
母は現在認知症を患っているので、叔父が亡くなったことを何度も伝えなければいけない状態でした。
その都度、母は驚き動揺をします。
「言わないでいた方がいいのかな…。何度も同じような悲しみを感じさせていいのかな…。」と悩んだりもしましたが、私も自然と叔父の逝去で涙があふれてきていましたから、はぐらかすこともできません。
祖父母の逝去の時よりも長く泣いていました。
また、母が声をあげて泣く姿は初めて見たかもしれません。
私自身も、感情が高ぶりすぎて、泣きすぎてしまい、目が腫れただけではなく、目をこすりすぎて目の周囲が乾燥し、吐き気と頭痛まで起きてしまいました…。
私のように頭痛持ちの人は、嬉しいことも悲しいことも、感情が高ぶりすぎると体調が悪くなる傾向にあるようです。
「泣くことはリラックス効果がある、副交感神経が上がるから、泣きたいときは泣いた方がいい」と言われますが、その程度が強すぎると逆に交感神経が優位になってしまい、頭痛につながることもあるようです。
それほどまで、私も深い悲しみを感じていました。
火葬
母は認知症ではありますが…。
葬儀の申請者は長女である母の名義で行いました。
葬儀の打ち合わせの場には母も同席したので、「代筆で構いません」と母の名義で私が書類に記入をしていきました。
叔父の葬儀は「直葬」と呼ばれる、親族のみで火葬だけを行う方法で執り行いました。
お墓は祖父母と同じお墓に入れることに。
火葬の後、そのまま納骨できないかとお寺さんに確認したところ「どうにかしましょう!」と調整をしていただけたので、火葬の同日に納骨を行うことになりました。
新型コロナウイルスの感染がきっかけでの逝去でしたが、遺体の状態が悪くないこともあり、顔を見ること、火葬の前に棺を開けてもらうことも出来ました。
新型コロナウイルスの感染で亡くなった場合、遺体の状態や斎場の判断によっては、私たちのような対応をしてくださる場合もあるようです。
火葬の際、私が叔父が入院先から介護施設に移転したら絶対に持っていってもらおうと決めていたサッカーボールを棺に入れました。
玄関にずっと飾ってあったサッカーボールです。
叔父はサッカーが大好きで、学生時代は自分自身でもサッカーをしていましたが、「ずっとサッカーをしていたい」という動機から高校教員(体育)になってサッカー部の顧問をしていました。
また、自分自身でも仲間とサッカーをしていましたし、地域のフットボールクラブでも指導をしていました。
棺に入れたサッカーボールには、教え子たちの名前がたくさん書かれていました。
サッカーの名門校の高校名が書かれていたものもあったので、叔父の指導のおかげでそのような高校に推薦入学できた教え子もいたのかもしれません。
また、親戚にも叔父からサッカーの指導を受けていた者がいます。
現在は所属先を日本で改めて探しているようですが、つい先日までは海外リーグに所属していたとのことで、プロサッカー選手の肩書きはあるようです。
絶対にこのサッカーボールは、叔父の介護施設入所には持たせるし、亡くなったときは棺にも入れる。
実は叔父とこのサッカーボールについて話をしたことは一度もないのですが、私はこのサッカーボールを見たときから、このように決めていました。
叔母によると「とても大事にしていたサッカーボールだった」とのこと。
一緒に持って行ってもらってよかったと思っています。
宝物のようなサッカーボールに感じていましたので、これは母から棺に入れてもらいました。
また、叔父の部屋に飾ってあった、高校時代の同窓会の写真、地域の同級生との集まりの写真も棺に入れました。
叔父は特に経済面での判断能力が低下しており、お金のトラブルも頻発していました。
同級生やサッカー仲間からの借金もあったようなのですが、それでも仲間との繋がりが一人でもあると信じたかったんです。
また、借金についても「返して欲しいというのは本音ではあるけど、それ以前に何があったのかが気になる。現在の生活は本当に大丈夫なのか」と気にかけてくださった同級生の方もいます。
あちらの世界からでもいいからしっかりお詫びをして、またこの写真の時のように楽しく歓談して欲しい。
そのような願いを託したつもりです。
お見送りから火葬の間…。
母は祖父母の葬儀の時以上に泣いてしまい、肩が震えていました。
祖父母の葬儀の時には、声を漏らして泣くことはなかったのですが…。
叔父の葬儀ではそうではありませんでした。
私も当然泣いていましたが、母の肩を抑えながら「悲しいね、寂しいよね…」と声をかけ、母を支えることも行っていました。
また、骨上げのときには涙を抑えることはできていたようですが、悲しみのあまり体が震えていたようです。
骨上げをしてくださった斎場の方に「お寒いですか?クーラーの温度を少し上げましょうか?」と言われていました。
母は寒がりではなく、暑がりです。
そのため、クーラーで冷えるということはほぼないので、母の体の震えは悲しみからであり、涙を堪えているからだろうと感じました。
また、骨上げをしてくださった斎場の方に「耳の穴までしっかり残っていらっしゃいます。多くの方は部位が分からないことが多いので、とてもしっかりした遺骨の状態です」と言われました。
やはり、叔父は身体機能が弱くはなっていたけど、内科的に何かを強く懸念されるような状態ではなく、骨格はしっかりしていたんだな、と…。
そう思うと、さらに悔しく悲しくなりました…。
納骨
火葬を終えて、隣の市にある祖父母のお墓に納骨するため、従弟(叔母の次男)が運転する車で向かいました。
平日でしたが、仕事が個人事業主のため「いつでも休める」とのこと。
今は都内に住んでいて、子どもが二人います。
そのため、広い車を持っているので「自分が運転手になるから」と車を出すことを引き受けてくれ、自宅から叔母宅(実家)に向かい、叔母夫婦をピックアップし、斎場まで来てくれました。
母に遺骨が入った骨壺を持ってもらい、霊園に向かいました。
降車の際、従弟が骨壺を持ってくれ「重たいでしょ。いいよ、納骨までは僕が持つから」と、母を労わってくれました。
当日はとても暑く、従弟は礼服のジャケットは省略していたとはいえ、白いワイシャツの背中は汗でびっしょりです。
そのような時でも、母のことを労わってくれて本当に嬉しかったです。
叔父の訃報を知らせた際、親戚一同「ところでお母さんは大丈夫?心配だね…」と声を揃えていましたので、従弟も母のことが気がかりだったのかもしれません。
そして、納骨から従兄(叔母の長男)が合流しました。
従兄は弁護士をしていて、火葬の時間は裁判が入っていたので列席できないとのことでした。
炎天下の中、納骨を行い、住職様に読経をしていただきました。
叔父の火葬と葬儀は、木曜日に行いました。
母と私は、日曜日、つまり納骨を行う4日前に、大阪より帰省していた弟と3人でお墓参りをしたばかりでした。
叔父が新型コロナウイルスに感染していることが判明したのが、仮に日曜日だとしたら、その日に私たち家族は祖父母のお墓参りをしています。
また、6月には私の曾祖父母(母から見た祖父母)のお墓参りで富士宮にも行きました。恐らく、そこに行ったのは35年以上ぶりだったように思います。
母はいつもお墓参りでは、叔父のことを見守っていて欲しい、助けてあげて欲しいとお願いしていたようです。
それは富士宮での墓参でも同じだったとのこと。
何だか不思議な因果、タイミングを感じずにはいられません…。
相続
先ほど、ちらっと書きましたが…。
叔父は私たちの家の近所のマンションに住んでいました。
一括購入で手に入れたマンションです。
同時に、知人への借金などの負債もあるようです。
その債務整理を成年後見人の弁護士の先生に行って頂いていた最中に叔父が逝去したため、成年後見人としての役割は終了し、遺産相続など今後のことは親族が行うことになるようです。
「分からないことは教えます」と、叔父の成年後見人の弁護士の先生からはお言葉をいただいてはいましたが、当然不安も強いです…。
先生に引き続きお願いするためには別途弁護士料がかかるだろうと思っていました。
先述の通り、従兄は弁護士をしています。
成年後見人の弁護士の先生の名前を伝えたら「よく知ってる先生だよ」とのことで「今後のことは先生から引き継いで俺がやるよ」と言ってくれました。
叔母は親族のことで従兄が動くことを嫌がっていました。
しかし従兄は…。
「輝凛が叔父さんのことで、今までも今回もいろいろ動いてくれてたでしょ?
お母さんの気持ちは分かるし、ありがたいよ。
でも、叔父さんとの関係性で見たら、俺も輝凛も同じなんだよ。
甥っ子だし、姪っ子なんだから。
だから俺だってしっかり動きたい。
自分ができることはして、早く問題を解消しておきたい。
そうすることが、家族全体にとって一番いいことだと思ってる」
と、叔父の訃報を伝えた際に言ってくれました。
従兄は食事の席で、私に伝えたことを言ったのではなく、家族全員が一番納得できる方法を提案してくれました。
その方法を実践するためには、私ではなく従兄が中心になって進めることが一番合理的だと、誰しも納得できる説明でした。
ただ、従兄も家族のこととはいえ、ボランティアで行うことです。
そのため「市役所に行くとか、マンションの引き払いに立ち合うとか、物理的な対応は私がやるよ」と言いました。
「うん、それはお願い。俺もさすがにそこまでに時間は割けない。
俺は手続きと手配をするから、輝凛は動いてくれ」と。
今後は従兄と力を合わせて、叔父の事後処理を行っていくことになりました。
一番の不安要素を従兄が引き受けてくれて、安心と感謝の気持ちでいっぱいです。
家族
葬儀や納骨の手配について、いろいろ確認してくれ、必要な資金を揃えて車を出してくれた叔母家族。
食事の場を設けてくれた叔母夫婦。
母のことを気遣ってくれた従弟や、相続について家族を瞬時に納得させてくれた従兄。
また、日付は遡りますが、認知症の母がいつ施設入居になるか不明なので、今のうちにと、大阪から土日を使って会いにきてくれた弟。
自分の息子のように可愛がっていた叔父を亡くし、体を強く震わせるほどの悲しみを感じていた、愛情深い母。
本当に問題ばっかりで、数年に渡って頭を悩ませていた厄介な叔父であっても、その死を心より悼み、悲しんだ家族。
家族に対しては、いろいろな複雑な感情もありますが…。
それでも私はこのような家族に囲まれているんだな、と思うと、この家族の元に生まれてきて良かったな、と思えました。
家族に限らず、大切に思う人の死は悲しく寂しいものです。
時として、後悔を感じたり、自責の念を持つこともあると思います。
だからこそ…。
改めて、川上先生のツイートをご覧いただきたいと思います。
自分の軽はずみな行動、考えが、誰かの悲しみや苦しみに繋がらないことを最優先に行動をしていきたいと改めて思いました。
それを意識し実践することで、自分自身を感染から守ることも出来ますからね。
どうか、今一度、ご自身の行動を振り返ってみてください。
私は入院中の叔父を、新型コロナウイルスの感染による肺炎で亡くしました。
私と同じ悲しみを味わう人が一人でも多く減りますように。
また、叔父の入院先だった病棟のクラスターが早く収まりますように。
参考までに、川上先生の別のツイートをご紹介します。
現在、コロナは収束したかのような勘違いからか、イベントが多く行われていますが、非常に危険な状況であると思います。
主催者側には開催を見合わせて頂きたいですし、あらゆるイベントへの参加やそれに伴う移動も見合わせて頂きたい。
このように即、考え方を改め、行動として表してください。
これが今の私が世間に、この記事をご覧の方に強く求める行動の変化です。
とても長くなりました。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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