自分の心だっていうのに。その声に耳を傾けるのは超難題?
当たり前ですが、カウンセリングを受けるというのは、友達とお茶して愚痴を聞いてもらうのとは違います。
プロのカウンセラーに話を聞いてもらうということは、お金を払い、プライバシーを守ってもらいながら、その時間を買うのです。
こんなこと話して「言いふらされたら困る」なんて心配もありませんし、先生に交通整理をしてもらうことで、自分の考えが収まるべきところに収納される。
基本的に先生は、柔和な笑顔でなんでも話を聞いてくれます。
自分の思いの丈を、日頃の鬱憤を、遠慮なくつらつらとぶちまけられるというのはこの上ない快感。
カウンセリングを受け始めて気がついたのですが、これは意外と私たちが簡単に得られない貴重で贅沢な時間です。家族であっても、これを言っちゃおしまい、なんて言葉は飲み込むことがありますし、会社や学校の人間関係ではなおさら。
自慢に聞こえていまいか、悪口に聞こえまいか、ノリが悪いって思われないか。
そのことに一たびフォーカスしてしまうと、もう細い糸の上をそっと歩いていくような緊張感がせり上がってきます。
カウンセラーの先生と話していると、繰り返し、大切なのは出来事ではなくて感情ですよ、と言われます。
「それで今のお話ですけど、今、自分がその件についてどんな感情を感じているか、っていうのはわかりますか?」
私は必死で、心があると思われる心臓のあたりに意識を集中します。
喉が詰まるような感覚があって、もう少しで涙がブワッと出てきそうな。。。でもよくわかりません。でも泣きたいってことは…
「…悲しみ…ですかね?」
「うーん…」
先生は同意しません。
「あぁ、えーと…怒り?かな?」
「うん、そう…怒り、ですよね」
って、テストみたい。
確かに「怒り」かも知れないけどいまいちピンときません。
怒りというのはもっと、そこにあると苦しくて、内臓をかき乱すような感覚です。
でも、そこに大きな膜がかかっていて、何かがあるのはわかるのだけれど、何も感じれない。
「虫の知らせ」という言葉がありますが、昔読んだ『マーフィーの法則』という本にあったことで、どうにも頭を離れないエピソードがあります。
飛行機に乗ろうと思ったら、どうしてもその日は行きたくないと感じてキャンセルしたらその飛行機が事故にあった。
友人と遊びに行こうと思ったら、なぜかその日だけどうしても行きたくなくなって断った結果、友人の迎えの車がその直後、事故に巻き込まれた。
心の声、直感というものをもっと自由に感覚的に使えるようになれば、私たちはもっと豊かで平和な世界にアクセスできるものだろうと私は信じています。
しかし、大抵の人はきっとそうだと思うのですが、今考えているそれが、頭の中の声なのか、それとも心からやってくる直感なのか、違いがわからない。
先生がいつもおっしゃるのは、自分の心は絶対に自分を裁かない、ということ。
自己嫌悪、落ち込む、自責、罪悪感、未来が不安になる、過去の出来事を悔やむ、自分が信じられない。
こんな感覚は、心の声とは違う、というのです。
しかし頭の中で自分を責める感覚というのは、どうしても心の声よりも大きいのです。いつもかき消されてしまう。
ましてや両者を区別するとなると、さらに難易度が上がります。
母音を使って時間を止める方法についてお話される、占星術師マドモワゼル愛先生。
「あ」「い」「う」「え」「お」という音にある神秘。
母音を声に出して20秒ほど伸ばすことで、情動は静まり、思考が止まる。すなわち、今巻き込まれているその出来事、その時間をとめ、心に意識を集中できるようになる、というお話。
そういえば、同じようなことをスピリチュアルヒーラーのMOMOYOさんも、ご著書の中で語っていました。
MOMOYOさんは、クライアントをその人を守ってくれる龍と繋げる力を持っているのだとか。
私もいつかセッションに参加して龍に会わせてもらいたいのですが、それにはある程度、「本当の自分」を思い出しておくことが必要、下準備としてトラウマの解除ができていることが好ましいのだとか。。。
つまり私の場合、まずはカウンセリングが先ですね。
多くの人は自分のマインド(思考)が本当の自分だと思い込んでしまっていることで、本来、本当の自分であるスピリット(魂)と分離してしまうのだそうです。
そこでまず、「あー」という音を20秒出すことで、マインド(思考)が静まるという方法を紹介されています。
自分のスピリットの声に耳をすますことは、ほとんどチャネリングと一緒
でもけっこう長いですのよ、やってみると20秒。
それをキツイと感じるのは、リラックスした呼吸法ができていないから。これにも練習が必要なようです。
こんな練習方が生み出されるということは、それだけ思考が私たちをいつも悩ませて来たということなのでしょう。
これをマスターした暁に見えてくる世界に、期待せずには要られません。