「信じている。あなたにはきっと出来る。」
ラジオの人生相談コーナーを聞いていた。
この世にはどうやら、「わかっている人」というのがいる。
まるで何もわからないまま苦しみに飲み込まれてしまった相談者の、
言葉に潜むわずかな言葉やヒントから、問題点を瞬時に解析する。
「現状こうなっているのなら、過去にこんなことがありましたか?」
「あなたのお母さんはこのような人で、お父さんはこんなタイプ?」
それはまるで、因数分解の数式を解くように正確に。
指摘された相談者は息を飲む。
相手に浸透しやすい角度、受け取りやすい言葉を瞬発力で、番組の時間内に解決のツボを押すその技術は、はっきり言って人智を超えている。
「問題の元凶である〇〇は、こんなにひどいんです、このような常識はずれな行動で私を苦しめ、周囲もみんなこの人に手を焼いているんです、だからその人はみんなに嫌われているんです、どうやって本人にわからせればいいでしょうか」
自分はいい人間、正しい人間で、相手は悪い人間。
そんな角度で相談を持ち込んだ人も、自身の傲慢さ、自身の抱えた闇、問題点を綺麗に指摘されて、ぐうの音も出ない。
それでも、一番痛い箇所を指摘されて、素直にハッと出来るのは立派だと思う。
そして、本当に幸運なことだと思う。
全く分からず、頓珍漢なことを言って、ああやっぱり相手がどうしようもない人なんですね分かりました、私が我慢してあげればいいんですねハイハイ、って相談を切ってしまう人もいる。
自分の内奥に対して、ぎくりとする部分を感知することさえ出来れば、あとは現実の実践に戻って、
きっと先生たちに指摘された言葉がじわじわと浸透していくだろう。
薬がだんだん、効いてくる。
そうはいっても、相談者の人生をたったの数分で丸ごと救うことなどできるわけがないのだから、
とりあえず今、この場で取り除くべき軛を見抜き、それをどう処置すべきかを指摘することしか出来ない。
リスナーの反応を見ていると、回答者の先生に対して、
相談者の話をもっとちゃんと聞け、とか、
結局どうすればいいのか回答になってない、などの意見も時折、散見される。
「ああしなさい」「こうすれば解決です」と誰かに正解を与えられるのが当たり前で生きてきてしまった人たち、
そのことの苦しさに気づけなかった人たちには、
この処方箋が理解できない。
恥を忍んでも、誰かに意見や助言を求めるところまで苦しみ抜いていない人には、
薬を受け取る準備がまだできていない。
苦しいと感じられるということは、本当に幸運なことだ。
内側に苦しさを抱えているのに、そこを上滑りするように私たちは、明るい顔をして、平気なふりをして、
薬を飲んでごまかして、いい人の仮面をかぶって、みんなと少しも違わない正常な人のふりをして生きている。
フリをしている、ということに気がつけない。
人間という複雑怪奇な生物が、こんなにも簡単に因数分解されてしまうほど私たちは単純化され、パターン化されている。
操作されている。
私たちはもうずっと、騙されている。
誰かがそれを笑っている。
生物は本来、みんな別々で個性があって当たり前のなのに、
人間だけがいつの間にか、自分でない画一的な何かになるべく必死に努力させられて、数式みたいに正確にいくつかのベルトコンベアに大別されてしまう。
だから「分かった人」から見れば、数式を解くように簡単にその人生の軌跡がわかってしまうのだ。
あれを手に入れたから幸せだった、自分はこれを成し遂げたから誇らしい。
紆余曲折あったが、死ぬまで夫婦で添い遂げたから、言いたいことはたくさん奥歯に挟まったままだがまあ自分は幸せなのだろう。
完全に満足とはいかないが、所詮人生なんてこんなものだ、これで幸せだと満足しよう。
そう自分に言い聞かせ、心の声に耳を塞いで生きた、最期の最期のとき。
握りしめていたものはみんな、美しい塵となって消えてしまう。
死とはすべての人間にとって、逃れられない終局の、たった一人で立ち向かう究極の学びだ。
その時になって初めて人は、自分は騙されていた、人生の多くの時間を、
一体何に費やしてきたのかと愕然とするのだ。
しかし、あの「分かってしまった人たち」のように因数分解を知ってしまったら、
己の人生はもう、いい人であり続ける必要もなければ、
最新の情報に目を光らせている緊張感も、いらなくなる。
神仏や運、占いやら権威やら、教師や親、
自分を支配してくる強権的な何か、得体の知れないスピリチュアルにも何にも左右されることなく、
シンプルに、ただの真っ直ぐな道が見えるだけになる。
どっしりと周囲にも出来事にも振り回されず、逆に自分の指針として、過去から積み上げられた叡智として、
それらを活用することが出来るようになる。
そこから見える景色とは、一体どんなものなのだろう。
先日、従兄弟が亡くなった。
私はもう5年カウンセリングに通っているのだが、先般、尊敬するそのカウンセラーの先生が引退された。
代わりに、その先生のお師匠にあたる先生を紹介していただいたのだが、私はその新しい先生に、「初回冒頭から重たい話をすみません」と前置きして、そのことについて話をした。
とんでもないことを言っている。
今までお世話になっていたカウンセラーなら、もう少し躊躇って言葉を選んだかも知れない。
しかし私のお師匠のお師匠にあたる先生は、私のそんな言葉にも微動だにしない。
私は言った。
虐待の連鎖という言葉がありますけど、子供に自身の受けた虐待を無自覚のまま連鎖してしまうのはもちろん、
逆に、老いた親に復讐するということも出来ますね、と。
今なら私にも、自分の子供たちを守るというその大義名分で、やろうと思えばそれが出来てしまう気がする。
私は喉の先まで出かかっていいる、
「〇〇〇〇〇〇〇、〇〇〇〇〇?」
という言葉を押し込めている。
それを親に対して言ってしまいそうな自分を、押しとどめている。
言葉は凶器だ。簡単に人を殺せる。
「よく気づいたね。普通は気づかないで、やっちゃう」
カウンセラーは、「苦しいね」と言って深く頷く。
自分が今まで親に言われてきた言葉。
ついこの前、親が不用意にメールに綴った言葉。
それらを思い返すと、決して自分の喉にかろうじて引っかかっている言葉が、過剰なものだとは思えない。
それでも、踏みとどまるべき場面がある。
分からない人には分からない。
ただ、その人が自分で分かれる日まで、その人のタイミングが来るまで、
どんなにもう高い山と深い谷底ほどに分かれてしまっていても、
分かった方はサンドバックにされながら、ただじっと、待つしかない。
どこまで行けば、わかるだろう。
きっと、わからない。
もうここまで来てしまったら、わかってもらえることは、きっとない。
この超えがたい大きな山を。
それは祈りだ。
「神かかる」。
それが本当なら、神さまどうか、助けてください。
私が兄よりも多く親に愛されたかったから僻んでいるとか、兄へのコンプレックスがここまで酷いものだったとは、とか。
どれだけ言っても説明しても、そこに頓珍漢な独自の解釈をくっつけ、深い角度で理解することから逃げ回る母に、
これだけ苦しんだのにまだわかりたくないのか、まだ、今よりもっと苦しみたいのかと、私はただ悲しくなる。
間違っているのはいつも、わが娘。
「まだ間違いに気づかないのか、まだ元の、以前の自分にとって心地よい、麗しの家族劇場に戻らないつもりなのか、なんてわがままで人間が出来ていないのだ、親の気持ちがわからないのか、感謝の気持ちがないのか、狂気だ、病院に入れてやろうか」
そうやって母が、一抹も我が身を振り返ることなく相も変わらず喚いているうちは、少なくとも私以外の他の人には被害が向かない。
それならそれでいい。
もっと酷いことになるくらいなら、もういっそ諦めてしまおうかって膝をつきそうになる。
私が今、見ているその花の写真、
例えば、満開に咲ききって枯れ始めた、甘美で熟れきった美しい花。
そんな写真があったとして、
私の隣にいる人は、その写真を、枯れかけた花、「◎と△と□」のただの無価値な集合体としか見ていないのを、私は知っている。
それがどうして「◎と△と□」に見えるのか、私には想像して共感を添わして相手と会話を成立させることができるけれど、
私にだけ見えている美しさや浸っているこの感動を、相手にはどうやったって伝えることは出来ない。
それは途方もない孤独だ。
いつもそうだった。
お世話になったカウンセラーの先生に、私はカウンセリングルームが閉じる直前、最後のセッションを受けに行った。
しばらくして先生のブログには、カウンセリング終了のお知らせとともに、クライアントに向けたメッセージが更新されていた。
これからはクライアントとセラピストという関係ではなくなるけれど、
潜在意識で皆さんとつながっていますよ、と。
最後のセッション、やっぱりボロボロと泣き崩れてしまった私をみて、先生は何を思っただろう。
先生は私の前で泣くことは決してなかったけれど、最後の一言を言い終えた瞬間、
すみません、ちょっとトイレに行っていいですか、と言って席を立った。
私はその先生の顔を、見ることが出来なかった。
セラピストという仕事を、大好きだった仕事を、情熱と命をかけて来た仕事を、
プロとして全うする先生の邪魔をしたくなかった。
先生は帰り際、良かったらこれを持って行ってくださいと言って、先生がご自身の体調不良とむき合う中で始めたフラワーアレンジメントで、先生が作った造花のブーケを私に持たせてくれた。
その中に、小さな青い花が入っていて、その青の色について二人で話した、思い出のブーケだ。
嬉しくて、瞬間、
「今度、引っ越した家では自分の部屋がもらえるんです、そこにパソコンを置くデスクを置くつもりなので、そこにこの花を、」
と口走ってしまってから、私は黙った。
セッションルームのテーブルにの上にいつも飾られていたその花を見れば、そのたびきっと私は先生を思い出してしまう。
潜在意識でつながりに行ってしまう。
そのたびに、私の低い周波数がまた、ミラーニューロンを伝って先生にご迷惑をかける。
「依存というのは相手があって初めて成立するんです。
相手が依存させなければ、依存することはできません」
先生は力強くそう言った。それでも、
「思い出してもいい」
そう言ってもらったのだろうか。
どうして?
もう、セラピストとクライアントとして、先生にお金を払うことも出来ないのに。
同情してくれたのか。私が大仰なお花を持って行ったから、そのほんのお礼だったのか。クライアントの私たちを残して行くことに、一抹の懺悔があったのか。
それとも。
(信じてますよ。あなたにはきっと出来る)
私は最後まで、ちゃんと先生の目を見ることが出来なかった。
心から尊敬したカウンセラーだからこそ、その目の中に光る色を、確認するのが怖かった。
目を見れば、私はきっと、答えがわかってしまう。
先生に、最後に教えてもらったこと。気づかせてもらったこと。
自分はこんなにも、世界中に向かって片想いしている。
私は相手が好きで、相手も私を多少よく思ってくれていそうだったとしても、
相手のそれは依存とか囚われとか世間体とかお金とかなにか理由のあるもの。
そりゃあ、そんな思惑や計算は私にだってあるのだから、
相手がゲスで自分だけが高尚だとかそういうこといってるんじゃない。
だけど剥き出しの愛情だけで言ったら相手よりも私の方がいつだって、300倍とか1000倍ぐらい相手のことが好きだ。
私が全開相手にその愛情を表現したら、相手はいつも怖がってドン引きして、気持ち悪がって、
おまけに周囲の誰かに嫉妬されたり、どうせなにか良くないことが起こって、迷惑かけてしまったって結論になって結局、
また自分が傷つくことになるのを私は知ってる。
だから常に、世界中に向かってブレーキを踏みながら、みんなより強すぎるこの愛情がダダ漏れてしまわないよう、慎重に片想いしてる。
この人のことが好きだ、この人はすごい人だ、
尊敬してしまう、この人みたいになりたい、と感動することはあっても、
それを相手に伝えることは、相手にとって迷惑でしかない、と思ってる。
好きだから、迷惑かけたくないから、蓋をして、重しをして、封をして、厳重にお札を貼って、開かずの扉に閉じ込める。
自分の愛を、重たくて気持ち悪いものだと思ってる。
相手から同じものが返ってくることは絶対にないと思ってる。
だからまあ、命あるうちは、このみなさんがやってる表面的で形式的な仲良しごっこ遊びに付き合って、周囲に合わせていくしかないって思ってる。
いつか、本当はその人と深いところでつながりたいと切望しながら、それでいて頭の中では、
世界をショーウィンドウみたいに遠巻きに見て、キレイだな、いいな、楽しそうだな、あそこに自分も入れたらな、
って、そのショーウィンドウの中に少しだけ手を入れて、なにかちょびっと中の人に役に立つことでもして、宇宙人が旅行に来たみたいに地球とちょびっとコミュニケーションして、
そこで感じれた幸せでもう十分。
楽しんで、珍しいものでも食べて、本場のアニメかなんか見て、ソレで満足してまあ死んでいけば人生それでいいや、
っていうような未来を思い描いてる。
ひとりぼっちでいいや。
仕方ない。って、
最初から諦めてる。
私の心から尊敬する人が、大好きな人が、別に自分のそばにいなくても、目の前にいなくても、
迷惑をかけてしまうくらいなら、
今より私を嫌になるくらいなら、
その人が今、美味しいもの食べて、やりたい仕事をして、自由で、充実していて、好きな誰かと一緒に幸せでいてくれる、
そっちの方がいい。
遠くから、ストーカーしないようになるべくその人のことを思い出さないようにただ、お祈りしてる方がいい。
本気でそう思ってる。
だから、未来が描けない。
本当は自分はどんな人と、どんなふうに、どんな場所で、何をして生きていきたいのか。
どんなわがままも言って良いのなら、本当は私は。
その先が聞こえない。
私の愛は、なにかおかしいんじゃないか。
共依存で愛着障害でACで過剰適応でって問題山積で、だからいつも、片想いしてるんじゃないか。
これが治ったら、いつかもっとちゃんとまともになれたら、準備が出来たら、いつかいつか、っていつも思ってる。
本当の私は、誰かに愛されたい、救われたいなんて思ってない。
もうすでにここにある愛を、みんなとは形も色も違う、明らかに他の人より大きすぎる歪な愛を、ずっとひとりでどうして良いか分からなくて怪物みたいに持て余してる。自分で、こんな汚いもの外に出してはいけないって、怯えて封印して蓋して足蹴にして押し込めてる愛を、
あなたが怖いっていうなら、見たくないって言うなら、あなたにぴったりのサイズまで小さく小さく切り刻んで、一個一個、可愛くラッピングもするから、どうか誰か受け取ってほしいと、
汚くて重たくて強すぎてほんとご迷惑で申し訳ないけど、
みんなみたいに卒なく華麗に出来なくて本当にすみませんけれど、
これを欲しいって言ってくれる人、誰かいませんか、って思っている。
だけど、自分の中のソレに気づいてしまったら、毎日毎日、涙が止まらない。
今で充分満足だなんていうのは、ねじくれて拗らせた、ただの厨二病だ。
ヒプノセラピーという心理療法があって、私は最初にそれを受けた時、退行催眠という療法を選択した。
次に、前世療法を受けてみたら、今のリアルな現実に直結しない分、そっちの方が重苦しさがない。
それで私は以来ずっと前世療法ばかりを選択し、この最初の退行催眠で見てしまった景色を、自分の中で精査することを棚上げにしてきた。
だけどずっと、引っかかっていることがある。
退行催眠は、実際の自分の幼少期の忘れてしまった記憶に改めてアクセスして、大人になった今の視点から幼少期を取り戻す療法だ。
父の中に入って、父の感情にリンクしながら幼い私の姿を眺める。
母の中に入って、母の感情にリンクしながら幼い日の私を見る。
父や母は私のことを、こんな風に思っていたのか。
私の父に対する思いと、父の私に対する思い。
私の母に対する思いと、母の私に対する思い。
あるいは、今私が自身の子供に向けている思いと、両親の子(私)に対する思い。
その違いを、普段なら想像しても想像しても絶対に越えられない壁を、するりと乗り越えて体感する。
母の心の中は、びっくりするほど父を中心に動いていた。
夫に、自分が今、どう思われているか。
女として。一家のお母さんとして。
高く評価されているか。
欠点を見抜かれてはいないか。
あのとき母は、こんな気持ちだったのかと、拍子抜けする思いだった。
どこまでも報われない。
満たされない。
過度な緊張状態。
肩が痛い。疲れているのにやってもやっても褒められない。
永遠に、「もう大丈夫、これでもう充分」と、安心することが出来ない。
ストレスが溜まる。
そのストレスが、子供たちに向かう。
母の考える愛情とは、その中身の大半が「心配」のことだ。
心配だ心配だと問題を作り、齷齪次の手立てを考え、先んじて手を打つ。人の何倍も苦労しているように。健気であるように。完璧な母親業をこなしているように見られること。
そして、母の言葉を借りれば、子供達の人生がもっともっと「輝かしい人生」になるよう、子供たちを必死に叱咤し学業諸々で実績を上げる。
いい子で見られるように、お金持ちに見られるように着飾らせて、素行を正す。
完璧にご飯を作って、日々の家族の時間を完全に管理して、生活習慣を整えて、家族一人一人が自分のイメージからはみ出した行動を取らないよう目を光らせる。
適度に遊びにも連れて行って、誰からも批判されようのない麗しい家族を維持し続ける。
さぞ、疲れるだろう。
子供の頃、友達と遊んでいたら突然母が迎えに来て、今からディズニーランドに行くから帰って来なさいと言われたことがあった。
無理やり一張羅に着替えさせられて、鬼の形相の母に手を引かれて家を出た。
なんでディズニーランドに行くのにあんなに怒っていたのか。
そういうことだったのか、と今更母の気持ちがわかって、私は笑ってしまう。
では父は?
茫洋として、脳みそがものすごく疲れている。
脳の神経が痺れているように靄がかかって、びっくりするほど感情がない。
潜在意識の選んだ、3歳のある場面、7歳のある場面、14歳の…
アリの巣あなのようになっている記憶の迷路を、セラピストの誘導で移動していく。
その中に一つ、漆黒の部屋があった。
あんな暗闇は、現実世界では生きてきて今まで経験した事がない、というほどの暗闇。
自分の足すらも全く見えない。目の前で必死に振った自分の両手が、かろうじてそこにあると予想できるレベルの暗闇と冷たさ。
ここは絶対に見せられない。
一つの情報も与えない。
自分の強い意志。
見せたくないから隠したのではなく、
「ここまでしなければならないような部屋が、ここにあるからね、
いつか必ず、戻って来てね」
って、自分に宿題を出されたような。
あの部屋の存在は、トゲのように刺さっている。それがずっと、引っかかってる。
どうすればあそこに辿り着けるのかわからないから、ただずっと、放置している。
でも今、あの暗闇がとうとう、だんだんと近づいてきたのを感じている。
退行催眠の最後のシーンで、私は江ノ島の海岸みたいなところで、父と兄に会った。そして心の中でこう伝えた。
「本当は、大好きだったよ」
セラピストはセラピールームに横たわっている私に、静かに、直接言いますか?と聞いた。
私は泣きながら、大丈夫です、と答えた。
新しいカウンセラーは私に言った。
「押し込めた恐怖と同量の怒りが、その下に眠っている」と。
恐怖を少しずつ少しずつ剥がして、ここまで来るのに5年かかった。
それと同量の、怒り。
もう逃げられない。
もう、逃げたくない。
捕まえてしまえばこっちのものだ。
ここに傷がある、と一つ一つ感知することさえ出来れば、
その先何をすればいいのか、私はもう知っている。
自分が被害者だと思っているうちは、出られない。
力が入らない。
恐れず立ち向かう。それを凝視する。認める。そして治癒する。
すると、またひとつ世界が変わる。
これも治癒することができたら、次は何が起こるのだろう。
私は笑って、まだ引越しの段ボールから取り出して暫定的に置かれたままの、先生にもらった可愛いフラワーアレンジメントを眺める。
お世話になったカウンセラーに、やっぱり最後に、特大のプレゼントをもらった。
そんなことじゃないかと思ってた。
先生ならやりかねない。
これで私はまた、次のページに進んでいける。
潜在意識で誰かとつながる感覚を、この数年間、毎日鍛えられてきた。
その世界の豊かさを。
それだけで、今まで生きてきて感じたことのないような幸福感や充足感を感じることだって出来る世界。
そのことを私はもう知っている。
そして現実に、わかり合える人が増えている。
というか、分かりあえない人が少しずつ、私の中から遠のいていく。
最近、気がつけば、どうしてこんなに話が通じないんだろう、とイライラする人が周りにいなくなってる。
仲間が出来たわけじゃない。
突然彼氏ができたわけでも、無二の親友ができたわけでもない。
大勢の大群が味方についたわけでも、なにか強力なグループに所属させてもらったわけでもない。
なんだけどむしろ、今までだったらどう頑張っても通じなかったような深い話が、すーっと目の前の一人一人に当たり前に通じて、こちらがビックリしてしまう。
え?これだけで、今の話、通じたの?って。
これがどれほど稀有で、どれほど有難いことなのかを私は知っている。
苦しんだからこそ、知っている。
以前は、自分を否定する声にばかり、取り巻かれていた。
完全に孤立していた。
でも今は、あんなに欲しかった味方が、私を思ってくれる人が、応援してくれて、理解してくれて、支えてくれる人たちの声が、
闇落ちしそうになるたびに遠くからふと救いに来てくれる。
感謝だ。
それでも日々、あなたはまだ気づいてない、わかってないよ、と言われる。
そのたび私は、ワクワクする。
あと、何をわかればいいのだろう。あとは何に、気づけていないのだろう。
どんな賢い人も、どんな長老も、どんな猛者が何度輪廻転成しても、この世の秘密は解き明かし切れない。
あんなスゴイ人も、どうひっくり返ってもかなわない、って思うような人も、
「分かってしまった人」もまだ道半ば。
わかればわかるほど、その先にまだわからない道が続いていて、自分は分かっていない、もっと先に進みたい、という。
この世はなんと不思議でどこまでも深いのだろう。
私の好きなこととはなんだろう。
ずっと昔望んだ、本当に住みたい場所は。
一緒にいたい人はどんな人で、やりたいことは、なんだろう。
何ひとつわからない。
河原で砂金探しを始めた初心者のように、今はまだ、忘れてきた自分の気持ちひとつひとつを、持ち上げて、触ってみて、確かめているところだ。
身体が限界まで疲れたと感じたら、いつも絶対食べに行くのは、とろろ蕎麦だ。
出来れば自然薯で、あとは蕎麦湯をたっぷり。
いつかどうしても行ってみたい場所は、フィラデルフィア美術館。
あそこには、マルセルデュシャンの晩年の「遺作」がある。
日本人はデュシャン好きが多くて割とデュシャンの作品はなんでも見る機会がたくさんあるのだけれど、あの作品だけは絶対動かせないから現地に行かないと見ることは出来ない。
アメリカのミネソタ州に住んでいたとき、一番驚いたのは自然があまりに美しすぎることだった。
日本の田舎は、クルマで山を越えていくと、
途中から名産品の汚れた幟や、寂れた看板がポツリポツリと道中にあらわれて興醒めする。
そんな看板なんか立てる、ここは危険ですよなんて注意喚起が追いつかないほどの壮大な大自然そのままの美しさ。
大自然の真ん中に整備した美しい街を囲むように立つカエデの木が、群生して紅葉する様は本当に感動的だった。
日本の自然があんな風に本気を出したら。
私はなだらかでどこまでも濃ゆい緑いろの山の麓に、のんびりと田んぼが広がる景色に想いを馳せる。
手を加えた美しさと手を加えられない美しさが共存する、日本独特の自然。
いつかそんな、今はまだ私の頭の中だけにある、自然や動物がいっぱいの、誰も見たことのない突飛な公園を作ってみたい。
一番好きな建築家はフランクロイドライト。
シカゴにあるライトの生家を見に行ったことがあるけれど、日比谷にある帝国ホテルみたいな立派な施設よりずっと、緻密で牧歌的で自然と見事に共生調和して、こっちの方がライトらしいと感じた。
庭には有名な銀杏の木があった。
その木はメスだそうで、秋には銀杏の実が臭くて敵わないと言っていた。
思い出すのは、私が子どもの頃、住んでいたマンションの庭にあった銀杏の木だ。あれはオスだったから、臭くもなくただどっしりとして秋の黄色い紅葉が綺麗だった。
当時の友人たちと、あらゆる角度から登り、てっぺんの先の先まで制覇して、都合のいい枝に左右の歪んだブランコをくっつけ、段ボールを持ち込んで見よう見まねのツリーハウスを作ってって。
あの木には、目一杯、遊んでもらった。
登ってみればわかるのだが、銀杏は、桜の木よりも桑の木よりも、なぜか私たち人間を迎え入れるように、登りやすい形をしている。あの木はきっと、人間が好きなのだ。
私にとって都内で一番大切な公園は、大好きな大岡越前の親友が作った(というドラマ上の設定の)小石川植物園だ。
そこで、今春、スゴイものを見た。
桜の満開もすごかったけれど、一本だけ茂みの奥に、美しい白い花を咲かせる木があって、
その小さく白い花びらが、風を切って大量にしゃーっと高速で降り注いでくる様に、私はどうにも魅了されてしまった。
生まれて初めて、そこに妖精かなにかがいるのではないか、と本気で思った。
帰って慌ててその木の名前を調べると、野生絶滅したと思われていたツクシカイドウという種類だった。
今はもう、国内では小石川植物園内のその一本と、熊本のどこかでたった一本発見され、苗木からなんとか復活させようと試みている人たちがいるばかりなのだという。
いつか、こんな東京のビルや濁った川ばかりの大都市の風景じゃなくて、小さくていいから庭のある家に住んでそこに、カエデとイチョウとその、ツクシカイドウを植えてみたら。椅子に座ってそれを眺めるのは、どんな心地だろう。
そして子供の頃からの夢。やっぱり自由に空を飛んでみたい。
飛行機なんかで半日潰してえっちらおっちら行くのじゃなく、もっと早く。
面倒な手続き踏んで高いチケット買って、誰かのお世話になりながらじっと一つのシートで移動するのではなくて、
好きな時間帯に、例えば夕方直前の、晩年のターナーのように繊細なピンク色に染まった雲の上、
地上からは見たことのない、独創的な形にぼこぼこと盛り上がる雲がどこまでも夕陽色に染まっていくのを眺めながら、
メーヴェみたいに自分の操縦で自由に飛んでみたい。
自分の乗り物で、今住んでる家のベランダから、好きなときに好きな人のところに、それが海外でもどこでも、風に乗って自由にぴゅーっと飛んで行けたらいい。
こんなバカみたいな恥ずかしい夢を、自分でも否定しないで、こそこそとnoteにだけ書いてないで、もっと衒いなく誰かに話し共有できるようになるにはどうしたらいいんだろう。
どんなわがままも言って良いのなら、本当は私は。
私は今から、その先の答えを探しに行く。
新しいカウンセラーの勧めで、改めて最近、瞑想の練習を始めた。
一人の時間を作ること。
自分とつながれる静かな時間を、意図的に訓練すること。
それでまた、ゾーンにつながれるようになる。
訓練次第なのだという。
コロナ騒動で心底傷ついてやめてしまったヨガも、再開することにした。
今度はどんな道を極め惑いながら先陣を切っていく先生たちが私の人生に現れて、
どんな感動や、どんな気づきを与えてくれるのだろう。
まだまだここからだ。
誰かが言った。
「信じている。あなたにはきっと出来る」
と。