年が明けて2月になった。 発見当初は薄かった小指のビックリマークは真っ黒になり、少しツヤツヤしたものに変わっていたが、痛みも痒みも無いので、全然気にしなくなっていた。 それよりも、ワキの匂いの方が私にとって重要だった。 時々白っぽい膿が出たり、出血したり。 匂いだけでなく、服が膿で汚れてしまうこともあり、女子大生だった私はそのうち友達に指摘されるのではないかと、ハラハラしていた。 これはもう、病院に行こう!と、自分の症状をネットで調べた結果、ワキの匂いと膿は、『粉瘤
メラノーマという病気を知っていますか? 悪性黒色腫という、皮膚ガンの一種。 私は21歳の時、このガンになりました。 発症~手術をしてから十年以上も経ったので、忘れないうちに当時のことを振り返りながら、体験記を綴りたいと思います。 * 大学3年の夏。 自分のワキがやたらとクサいことに気付いた。 デオドラントスプレーは毎日しっかりしてるのに…。 もしかして、ワキガが発症?まぁ、父親がそうだし可能性は無くはないか~と思いながら放置。 そして同じ頃、右手の小指の第
夏が終わりを告げる頃、栃木に住む大好きな祖母が亡くなりました。 ばーちゃんの訃報が入ったのは、9月8日日曜日の16時半頃。 そのたった10分ちょい前に、母から「ばーちゃんもうダメかも。血圧上がらないって病院から連絡入って、今弟(叔父)夫婦が向かってる」と聞いたばかりだった。 意外や意外にも、私はばーちゃんの悲しい報せに取り乱さなかった。 じーちゃんの時は全身から血の気が引いて、叔母からの電話を切った途端ワッと泣き出して、涙が止まらなかったのに。 多分その違いは、心づ
さてさて、久しぶりの投稿ですが、皆様お元気でしょうか? 8月も終わりまして、今は9月。 夏穂の今年の8月は、まぁ……色々ありました(遠い目) サービス業から転職して2回目のお盆休みはなんと9連休! 今年度のスケジュールがわかった途端、8月が待ち遠しくて仕方がなかった私でしたが、お盆直前に母方の祖母が肺炎&心不全で入院。 予断を許さぬ状況で、お医者さんからは「何があってもおかしくない状態」なんて言われてしまったらしい。 それを早朝に電話で聞いた母からは、喪服を持って
今の会社に入社して、1年と数ヶ月が経過した。 前職は飲食店で働いていたけど、今の私の職業は『グラフィックデザイナー 時々事務員』 一般事務で応募して採用されたはずなのに、現在はグラフィックデザインがメインとなり、事務仕事がオマケ。 今日はここに至るまでの出来事を振り返りつつ、過去の自分にエールを送りたい気持ちで、色々綴りたいと思います。 *** 中学3年生の時。 私は進路に悩んでいた。 それは、行きたいと思っていた高校へのレベルが全然足りていなかったから。 なん
8月8日午前11時5分ごろ。 ティトが天国へ旅立ちました。 19歳と4か月。 20歳まであともう少しだったけど、それでも超長生き。 大往生でした。 今回は、自分の気持ちを文章にできるようになるまで時間がかかり、1か月近く経ってようやくこうしてnoteに綴ることができそうになったので、ご報告です。 以前『お姉ちゃんのネコ』という題名で、ティトのことを綴りましたが、私にとってティトは特別な存在で、他のペット達のことももちろん大好きだけど、すごく思い入れの強い相棒みたいな子
私には従兄妹が父方母方、両方を合わせて6人いる。 父方には9歳年上と6歳年上の男の子の兄弟。 それから、7歳離れた女の子。 母方には1個下の女の子と、その弟達である男の子が2人いて、姉である従妹とは6歳、7歳離れている。(つまり、私とは7歳と8歳差) 今日は、その従妹の女の子。ゆゆ(仮名)の話をしたい。 ゆゆは母の弟夫婦の娘。 気が強く、活発な女の子で、あと小学生男子が喜びそうな下ネタとかも大好きで、とにかく元気な子だった。 私とゆゆは年が近く、ゆゆが生まれた当初は
久しぶりの食べ物のハナシ。 今日も今日とて食いしん坊で、先日健康診断の結果、肝機能の数値が基準値超えてるよ~と要検査の通知が来た私ですが、(恐らく脂肪肝)日曜日の午後、初めて食べるケーキにワクワクしていた。 キャロットケーキ。 その名を10代の頃から耳にし、写真を見たのは20代、そしてようやく食べるチャンスが訪れたのは30代と、存在を知ってから20年経過していた。 テレビやネットで見たものよりも、にんじんの粒が細かくて、食べやすそうと思った。 ひとくちパクリ…もぐも
これを書いてる時。 私は通勤途中に通過するとある駅で、電車を待っている。 その先の駅構内で事故が発生し、この朝の通勤ラッシュの時間帯に、電車が止まってしまったのだ。 怠けたい願望の強い私は、不謹慎にも「じゃあ、電車が動き出すまで椅子に座ったまま寝れるね!ラッキー!」なんて、電車内で仮眠をとるつもりだったけど、車内アナウンスを聞いた次の次の駅で、「この電車は回送電車になりますのでお降りください」と来たもんだ! あぁ、バチが当たった……。 ――と、蒸し暑くて人が溢れかえ
来週は父の日ですね。 我が家は現在、父が遠方にある父の実家で祖父母の介護をしているため、一時帰宅していた時に済ましているのですが、今日はそんな父への感情を整頓するために、ここに書き綴ってみようと思う。 いきなりで申し訳ないが、私は父が嫌いだ。 でも、それはもちろん最初からではない。 むしろ、子供の頃は「おとうさんだいすき~!!」なんて甘えたがる、いわゆるパパっ子だったと思う。 2歳年下の妹が、母親べったりで、そんな私が唯一存分に甘えられる親というのが父。 おもちゃ
前回の続き。 3月25日。 約4年ぶりに私は栃木の大地に降り立った。 コロナの心配がまだ続く中で訪れたのは、翌日東京で行われる従妹の結婚式のためで、祖母、従妹の父である叔父一家の住む家に前泊させてもらうことになったのだ。 朝早い新幹線に乗り、車内で朝食として弁当を食べ、お昼ご飯は祖母達の住む町で食べることを予定していた。 理由はもちろん、この町の小さな中華屋さんのチャーシュー麺を食べるためだ。 田畑ばかりの田舎町。 天気はおあいにくの雨だったけど、土と草の匂いがとて
※3月の中旬に書いて、投稿せぬまま放置してたエッセイです。 続きも後日書こうと思います。 久しぶりに、私の思い出の食べ物を語りたい。 それは、栃木の祖母の家から10分ほど離れた場所にある、昔ながらの小さな中華料理店の、チャーシュー麺だ。 初めてそのお店に食べに行ったのは多分、幼稚園くらいの頃。 その当時、祖母の住む田舎町に新しくできた中華料理屋さんで、ご夫婦で経営されている。 あの頃は父も一緒で、家族4人で母の実家に遊びに行ってた。 今じゃ父は全く行きたがらず、そ
1月の終わり頃。 遠縁のおばあさん、キヨちゃんが亡くなった。 亡くなった日の夜の夕食前、母が叔父と電話しているのを聞き、それを知った。 過去の記事にも書いてあるが、キヨちゃんは私の母方の祖母の兄嫁。 そんでもって、母方の祖父の従姉でもあり、うっすらとだけど血が繋がっている。 宮城に住む、キヨちゃんの孫で再従姉(ハトコ)でもあるお姉さんには、すぐにLINEで連絡をし、お悔やみの文と、私の分も手を合わせて欲しいと綴った。 このご時世、親族をあちこちから呼んで葬儀という
新年しょっぱなからしょっぱい話になるんだけど、先日ちょいとショックなことがあった。 人が死んだとか、火事で家を失ったとか、そこまでたいそれたことじゃないけど、長年SNSで仲良くしてくださっていた方から交流を断たれたという、まぁ…俗に言うブロ解。 冷静に考えると思い当たる節はいくつかあって、こちらは悪気はないにしても、その人にとっては多分耐えがたいことだったのかもしれない。 もしくは、飽きられたのか。 私に悪気が無くても、傷付けてしまっていたらそれはこちらにに非があるの
また食べ物の写真が溜まってきたので、まずはそれから。(順不同) 「仕事が決まったら、焼肉おごってあげるよ!」 転職活動中、私は妹にそう告げた。 妹は、「やったー!」と返事をしつつ、本当におごってもらえるとは思ってなかったらしい。 牛タン付き食べ放題、ソフトドリンク飲み放題で、4500円くらい。 お互いたまーにちょっとしたものをお土産に買って来たり、おごったりはしていたが、最高でも1000円前後。 今までそれ以上のごちそうなんてしたことがなかった。 「もうすぐ最初の
転職してから先日で一か月経ちました。 仕事の量はまちまちで、ある日は忙しいし、無い日は本当にヒマで勉強をする。 そんな日々なのですが、元々慌ただしいことやスピードを求められることが苦手な人間なので、今のペースはちょうどいいです(*´ω`*)。 まぁ、本音は仕事無いなら帰りてぇ…って感じですけど(笑) さて、話が変わって二週間前。 我が家はちょいと緊迫していた。 我が家のネコ、アメリアが突然てんかん発作のような全身痙攣を頻繁に起こすようになったからだ。 11月最後の日