40年ぶりのコンテスト応募にワクワクが止まらない! これがわたしの「なぜ、私は書くのか」
書きたい!書いて応募したい‼︎
ってモーレツに思った。
絶対に書いて、ボッッッコボコにされたい!と。
どうして、打ちのめされたいなんて思っちゃうんだろうか。
やめとけばいいのに…とも思う。
それでも、私は自分の文章をたくさんの人に読んでもらえるようになりたい。もっと、もっともっと魅力的な文章を書けるようになりたいです。
だから、
こんなに自分の感情を揺さぶってくる文章を書く人に添削してもらいたい!
そのために私はどれだけ自分を絞りだせるだろうか。
なぜ、私は書くのか。
を言葉にするために、自分の中の想いや記憶をたどってみることにします。
どうやら鬱になってたらしい…
だからこその出会いがあった。
書きたいことがあるのに、どうしても書けない日が今年に入ってから続いてた。
最初は、ただ単純に書く時間がなかった。
父の介護の合間に息子との時間を見つけるのに精一杯の毎日だった。
そんな中、父が急に逝ってしまって、書けなくなった。
時間は見つけやすくなったけど、書こうと思うと頭はフリーズした。
noteだけじゃなくて、友達にlineもできない。
そのうちに、書けないだけじゃなくて、生活のさまざまな場面でダメになってきた。
何かしようにも、頭の中がごちゃごちゃで、なのに真っ暗で思考できない。
息子のスケジュールも管理できなくて、遅刻やすっぽかしが増えてきた。
「このままじゃマズイな。」
さすがにズボラな私でも危機感を感じる始末。
そんな時、ASDの息子がお世話になっている心理士さんが見つけてくれた。
「お母さん、大丈夫?」
「大丈夫じゃないです!」
そこで、脳内カオスから抜け出すためにオススメされたのが、
頭の中でいっぱいになっている考え事を書き出すこと。
メモ書きでいいから書き出したらそこら辺に貼って、とりあえずは心配しなくても良しとする。この方法は私にわりと合っていて、頭の中の雑多な情報が減ってくれた。
これでちょっとだけ気分がラクになった。
毎晩、次の日の予定を確認しながら書き出して、壁に貼る。
あちこちメモだらけだけど、今では私の湯上がりルーチンになった。
それでもやっぱり遅刻はしているが、すっぽかすことは無くなった。(とりあえずセーフ!ってことで)
もう一つオススメされたことは、何か好きなことをする。
やってみる気力がなくても、何でもいいからとにかくやってみること。
そうして、モヤモヤから自分を解放する時間を持ってみるのだそうです。
私は書く気力はなかったから、とりあえずnoteを読むことにした。
そうしているうちに、運命の出会いがあった。
noteコンテスト「なぜ、私は書くのか」
夢中で一気に読んだ。
正確には何度か息子に中断されたのだが、そんなことは気にならない。
息子の要望に応えるとすぐに記事に戻って読んだ。
読み終えると、モヤモヤとして重かった私の頭が見事にぶっ叩かれて、目が覚めた。
そんな気がした。
衝動的に感想まで書いちゃった。
久しぶりに書いた、きもちを込めた言葉だった。
「書きます。」
って、自ら宣言したんだから、なかなか言葉が出てこないが、頑張っていこう。
小学生時代に読書感想文で受賞した!
自分はわりと根に持つタイプ?
自分が書いた文章を添削してもらい、手直しを続けた記憶が一度だけある。
それは、小学校の時に書いた読書感想文。
確か、私の書いた作文がクラスの中から選ばれて、少々手直ししてから読書感想文コンクールへ応募することになったのだ。担任から部分的にもっと丁寧にとか、詳しくとか書いてみるように言われた気がする。
残念ながら、かなり昔の記憶で、あまりはっきりと覚えていない。小学生の私は、文章の書き方を全く、全然、真面目に考えてなかった。だから、アドバイスされても、どう書いたらいいのかさっぱり分かってなかった。
結局、何度目かの直しで先生は残念そうにもういいよ。と言った。
その作文を応募した結果が佳作。
真面目に書かなかったくせに、とてもとてもうれしくて、卒業文集の私の自慢にも佳作をもらったことって書いてた(笑)
本当、褒められた記憶なんてほとんどないから、貴重な受賞体験だったんだね。しかし、添削するも上達しなかった私の残念な作文と先生のがっかりした雰囲気もまた忘れられない記憶になった。
まさか、40年後の夏休みにこうしてまた作文を応募するとは思ってもみなかったけど。
もしも、この作文を添削してもらえたなら、
今度こそちゃんと糧にして優秀賞を目指したい。
思えば、この佳作に気を良くした私は文章を書くのが得意だと勘違いしてきた。勘違いだけど、それも役に立つこともあるもの。脳内が雑多で、たびたび迷子になる私は日記や手紙を書くことで考えを整理したり、モヤモヤするきもちを言葉にして、自分を分かったような気になったり。
これまで、書くことで助かった場面がたくさんあったなぁ。
今だってそうだ。
毎日、やるべき事があっても何も手につかず、気がつくと夕方になってるなんて怖い時期も書くことで脱出できたしね。
50にしてチャレンジしたいことができた…
こうしてコンテストのチャンスを得てから毎日note読んで、素晴らしい書き手さんがたくさんいることを再認識して、そしてちょっと意気消沈。
勉強! 私、勉強しなきゃ!とばかりに、おすすめされている本を買い集めた。しかし、これじゃコンテストに間に合わないので、勉強はコンテストの後にします。
今回はともかく書く。
そして応募する。
この半年あまり私にとっては結構しんどかった。
失くしたものたちにばかりにとらわれてた。
いや、
今も失くしたものばかりが私にはどうしようもなく大切で、愛おしい。
もう会えない人たちのこと、彼らだったらどう言うかなって、気付けばいつもそんな風に考えている。
そんな自分をそれでヨシとすることにした。
そうしたら、まだこんなに夢中になれることがあったじゃん!
静かに1日を振り返りながら言葉を探す作業をしていると、自分で気付いていなかった感情やアイディアがそっと浮かぶ上がってくることがあって面白い。
50歳にしてこのときめき。
今、わたしはいい顔してるかも。
この記事は2024年10月4日に加筆、修正してます。