【読書メモ】中西新太郎『若者保守化のリアル』2019年, 花伝社
資本主義下の労働力として最適化するために、若年層が脱政治化され、個として切り離されていく過程が書かれている。若者は政治に関心がないのではなく、関心を奪われていったのです。
安倍政権下で新自由主義イデオロギーが強化され、若年層を含めて立場の弱い人々が集団性を奪われていった。その結果、雇用や孤立などの問題に直面した際に、社会問題として社会全体で取り上げるのではなく、個人の問題として抱え込むことに。(かつて不良少年たちに開かれていた、「暴走族を卒業後はOBの紹介で地元で働く」などの回路も閉ざされているらしい。)
集団性から切り離された個人は、自己責任論と努力至上主義によって追い詰められていく。素直に社会適応しようとする“協調性”の高い人、相対化し批判する余裕のない人は、これらのイデオロギーを内面化するので、そこから外れた人にひどく厳しい。
本来であれば連帯するはずの人々がいがみ合っているのは不思議な光景だが、社会的紐帯が失われるとはそういうことなのだ。要は、「社会」という共同幻想を維持できなくなっている。
マスコミの議題設定能力も弱まっている。「格差」を社会問題として提示するに至らず、センセーショナルな話題として消化される形でしか、報じることができない(「ワーキングプア」や「無縁社会」などのワードは、実はテレビ番組に端を発しているのだが)。
「格差」が問題視されるようになった当初から、貧困問題としてきちんと扱っていればよかったのでは、ということが書かれているが、その通りだと思う。その頃から日本が「身分制」になると言っていた人はいたけれど、コロナ禍を経ることによってそれらの構造がむき出しになりつつある。
※この本はまだ読んでいる途中なので、読み終わったら続きを書こうと思います。
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