暇と労働
だいぶ前に、ある会社で働いていた頃、別の部署に勤続数十年のベテランパートさんが数人いました。
「若い人は入ってきてもすぐやめちゃうのよ」と彼らは嘆くんです。そりゃそうだ。お局だらけの職場で働くのは神経使うしね。彼らのせいで若い人の時給は減らされ、若い人がその職場で少しでもステップアップする機会は奪われる。いつまでも下っ端で時給は上がらないときたら、早々に辞めるのは無理もない話でしょう。やってられないよね。
ベテランパートさんたちはいいところの奥さんぞろいで、金銭的にはとても余裕があるんです。それなのになぜ働いているかといえば、「家にいても面白くない」からだそうで、要は暇つぶしなんですよ。
そういう話を何の矛盾もなく語ることに、私は心底驚いてしまった。
だって、「若い人が定着しない」のと「ベテランパートが辞めない」ことは、表裏一体なんだから。自分の暇つぶしのために若者の雇用を奪う。その結果、賃上げも世代交代も進まない。その罪にまったく無自覚なんですよ。
同時期に知人から、こんな話を聞かされました。その人の友人でおカネ持ちのおうちの跡取りが、会社勤めをしているらしい(家業とは関係ないところ)。そこで働いているうちに、仕事がしんどくて病んでしまったと。
病んでしまうくらいなら仕事をするな、仕事をしてお金を稼ぐ必要がない身分ならなおさらだ、と言ったけど、その知人はピンとこない様子だった。
「仕事で自己実現」という価値観がまだ優勢な時代だったから、仕事をする必要があろうがなかろうが、賃労働するのが当然だと、おカネ持ちの跡取りさんもその知人も思っていたのかな。もしかして今でもそういう価値観が残っているんだろうか?賃労働しなければ人にあらず、みたいな?
金銭的・時間的に余裕があって賃労働をする必要がない人が、労働市場に参加するのは、実はとても罪深いと思う。椅子の数には限りがあるから、ほんとうに必要な人に譲る配慮がほしい。
暇つぶしがしたいのなら、賃労働以外にもいくらでもやることはあります。働きたいなら、無償労働をすればよい。地域で学校で、ボランティアの人手が足りなくて困っているところはたくさんある。あるいは、文化的な活動をすればよい。それが余裕のある者の務めではないか?余裕がない人、賃労働をしなければならない人、有償/無償を問わず労働にたずさわることができない人の、すき間を埋めるために力を尽くすことが。
一億総社畜になったところで、豊かさは得られない。豊かさは暇と退屈から生まれると思うのです。
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