私が記憶喪失したまさかの話
「ここはどこ?私は誰?」
みなさんこんばんは。まめです。
みなさん、記憶喪失って知ってますか?
そうそう。小説やドラマでよくあるやつです。
ここ4ヶ月記憶喪失していたので、「これはネタにするしかねえな」と思い記事を書いています。
時は遡ること4ヶ月前。
6月9日。
蒲田駅にて目を覚ました俺はなんと全ての記憶を失っていた!!
名前も親の顔も家の場所もわからなかったらしい。
(どうして「〜らしい。」という言い方になるかというと、今の私は記憶を失っている期間のことを何も覚えていないからだ。)
友人の手を借りて家まで帰った私は翌日起きても記憶が戻らず、仕事もできなければ生活もままならない状態だった。
原因は不明。大きな事故があったわけでもなく、当日のことは今でも思い出せない。
両親に事情を伝え、すぐ精神科に駆け込んだ。
病名 : 解離性健忘
記憶喪失の別名である。
その中でも全生活史健忘であった私は本当に何も思い出せないでいた。
(全生活史健忘とは
解離症状のひとつで、自分の名前や年齢、成育史、家族など自分個人に関する記憶をすべて失ってしまうもの。多くの場合は本人に耐えられないストレスがきっかけで突然生じる。
下記リンクより引用)
医師には数日から数週間で元に戻るだろうと言われていたため、それまでの間は自宅で療養することに。記憶が無い間に騙されたり常識のない行動をしては大変だと、SNSは基本的に禁止。GPSを常に入れて行動。ごく限られた人以外との接触禁止。
しかし何日経っても戻らない記憶。次第に引きこもり生活に飽きてくる。
次第に信頼できるとわかっている人とは連絡可に。外出も誰かと一緒なら許可。「彩月」という別名での活動であれば多少のSNSも可となった。
そんなこんなで4ヶ月記憶のない生活をしていました。
その間不審な点も多く心配とご迷惑をおかけしましたことお詫び申し上げます。
大変申し訳ございませんでした。
そして、関わって下さった皆様ありがとうございました。
記憶は戻ったものの、戸惑いばかりだ。
気づいたら楽しみにしていた夏が終わっていた。
推しの引退ライブに行けなかった。
ディベート甲子園に行けなかった。
高校野球を見損ねたし、
プロ野球も一番楽しい時期を見ずに終わった。
誕生日も過ぎていた。
夏祭りだって行きたかった。
なんでこんなことになってしまったのだろうか。
真相は闇の中。
徐々にでも普通の生活に戻って行けたらいいな。
記憶喪失の間に起きたおもしろいこと、別の記事で改めてまとめようと思います。
それではまた今度!
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