見出し画像

#035 この先、絶対に市民農園ブームが来ると思う10個の理由 第5話:市民農園の課題


皆さん、こんにちは。
いつもブログをお読み下さり、本当にありがとうございます。

このシリーズも何回か続けて参りましたが、第5回目の今回は、可能性を秘めているはずである市民農園が抱える「課題」について書いていきたいと思います。

それでは引き続き最後までお読みください。


なぜ今は普及していないのか?

縷々説明して参りましたように、市民農園には様々な可能性を秘めていると言えます。しかし何故、今現在、市民農園はそこまで普及していないのでしょうか?

今回も先に結論を述べます。

市民農園に限らず、日本の農業における課題は圧倒的な「資本不足」です。

順に中身を説明していきますので、どうぞ最後までお読みください。

皆さん、お住まいの近くに市民農園はありますか?恐らく、パッと思い浮かぶ方は少ないと思います。

これは農林水産省のデータですが、全国の市民農園の数は令和5年3月末時点で全国で4,308カ所と言われています。

最近多く見かけるトレーニングジムが全国で約8,000か所。キャンプ場が約1,300か所ですから、市民農園はおおよそその中間付近の件数だと言えます。

これから、なぜ少ないかを考えてみたいと思います。

そもそも、これまで需要がなかったと言えばそれまでですが、少し違った切り口で考えてみたいと思います。

そもそも作るのが難しい市民農園

市民農園を一言で言うと、「農地を利用者に貸し与え、利用者は自由に作物を育てる営農形態」です。

この仕組みを一番手っ取り早く実現した場合、どのようなサービスになるでしょうか。

①自己保有の農地をとりあえず耕す
②ホームセンターなどで購入したロープなどで何か所かに区切る
③利用者を複数人募集し自由使ってもらう

極々シンプルに切り分けるとこの3段階を実現すればよい訳です。

しかし、想像してみてください。

「だだっ広い畑がロープで区切られた状態で、あとはご自由にどうぞ。」

サービスの質としてはかなり粗削りだと誰もが思うはずです。

そうではなくて、ある程度の収益性を念頭に、幅広いニーズに対応した良質なサービスを提供するとなると、もう少し工夫する必要があるという事が見えてくると思います。

利用者にとってどのような状態が喜ばれるのかを考えた時、例えば、数多くの人に提供できるような広くて肥沃な土地は必須ですし、インフラ整備(電気、水道、トイレ)も重要です。

また、駐車場または休憩所も必要ですし、農具や資材もある程度常備されていたら利用者にとっては便利です。

さらには、利用者間で交流できるような仕組み、あるはい栽培技術や知識が学べる、なんてことも嬉しいはずです。

もっと言うと、忙しい時などは少しだけ管理を手伝ってもらえるなんてサービスあったらより良いですよね。

これらを一言で言うと、つまりは「付加価値」です。

そして、この「付加価値」を与えるために必要なものは「資本」です。

「資本」とは「お金」のことだと、多くの方が思っていらっしゃるかもしれませんが、それは必ずしも正しくなく、お金に代替される「土地・インフラ・労働力」が資本の本質です。

ここで冒頭に述べた結論につながるのですが、これが一番重要な点です。

すなわち、市民農園という営農形態に限らず、日本の農業の圧倒的な課題は「資本不足」です。これが解決できれば日本の農業が抱える課題はほぼすべて解決するといっても過言ではないと考えています。

では、なぜ資本不足なのか?

その答えは、他でもありません。
戦後の「農業改革」の結果だからです。
で、この「農業改革」を主導したのは誰か?
それはGHQです。

GHQによる初期対日占領政策の一環であった「農業改革」が戦後80年経ったいまだに我々の”くびき”となっているのです。

これはただの事実です。

もう少し具体的に説明しましょう。

例えば、資本のひとつの要素である「土地」を例にとって考えてみます。


地主と小作という仕組み

戦前の農業は、地主と小作という言葉に代表されるように、それこそ何十~何百ヘクタールもの大規模な農地を地主が保有し、それを小作人に貸し与え農業を営むことが一般的でした。

それが、戦後、皆さんご存じの「農地改革」の名のもとに、これまで地主が保有していた大規模な農地を国が巻き上げ、それを小分け、細分化し、それぞれを旧小作人である個人の農家に分け与えられました。

旧小作人である個人の農家は自己所有に変わったそれらの農地で自由に営農を行う事ができるようになった訳です。

細分化された農地の平均的な面積(登記上での1筆当たりの面積)は様々な統計がありますが、500m2~1000m2程度と、極めて零細化されたことが伺えます。

(※1000m2=10アール=1反=約田んぼ一枚と覚えてると分かりやすいです)

ここが重要なポイントですが、ある程度まとまった地域に自己保有の農地が密集している場合もあれば、そうではなくて、飛び石になっている場合もあります。

これが非常に生産性や効率を落とす原因となり、現在の我が国の農業における死活的課題になっている点は言うまでもありません。

「農地解放」とか「農業の民主化」とか、比較的いい様に言われる場合が多いこの「農地改革」ですが、私に言わせれば、ただ単に個人がバラバラにされ、生産力や効率、さらには農民の結束力が失われただけだと思っています。

百歩譲って、日本経済が全体的に上向きのときはそれでもよかったかもしれませんが、今現在においては、この「細分化された農地」が「癌」のように日本の農業界を蝕んでいます。

具体的には、耕作放棄で周囲の農地が害獣、害虫被害に遭う、農地を大規模集積したくても誰の土地か不明、あるいは一方的に宅地転用され、周辺で農業が事実上しづらい状況になってしまう、などです。

土地が物理的に細切れにされ、労働力である農民も”個人”という存在にバラバラにされ、まさに「資本」として結集しにくくなってしまいました。

インフラ整備についても、かの有名な「農地法第三条」の影響で、農地にインフラ整備をすることが極めて困難で煩雑になっています。

いや、ほんとGHQの占領政策はつくづく「日本弱体化装置」として見事に機能し続けているなぁ、関心してしまいます(笑)

戦前の農業に対してよく言われることは、「地主が小作人を支配していた」「農地解放によって農民が民主化された」と言われますが、本当でしょうか?

もちろん、ある側面においてはそのような事があったかもしれませんが、地主が小作人とともに一緒になってこの国の食料を支えていたという点もまた事実です。(もっと言うと、戦後は良くも悪くも「地主」が「JA」に置き換わっただけなようにも思えます。)

小作人が小作人を量産する非合理性

話を市民農園に戻します。

今現在、ただでさえ細分化された数百平米そこそこの農地をさらに細分化して市民農園として営農することは極めて非効率だと考えます。それは、小作人が小作人を量産しているようなもの。

ですから、そもそも現在の細分化された農地の状態から考えた場合、市民農園という営農形態はそもそも合理的ではなく、いかに狭い面積で収益を上げるか(農業界では”反収を上げる”と表現します)、そのような品目を選ぶかが勝ち筋となって来ました。

反収が高い品目の代表例と言えば、ナス、トマト、イチゴ、最近では高級ブドウですね。

したがって、今ある市民農園は個人としては収益度返しでやるか、自治体が市民の福利厚生の一環として運営するかという事に限られて来たという事です。

付加価値を高めて良質なサービス業へ

最初の話題に戻りますが、一言で市民農園と言っても、「ただ畑を区切って、自由に使ってください」というだけでは、利用者にとって付加価値を与えられません。

そして、付加価値を与えるためには「資本」を投じる必要があります。

しかし、日本の農家が抱える課題として「資本不足」があげられます。

普通の農家は何とか資本を工面し、煩雑な手続きをしてまでも投資を行いリスクを取ることよりも、これまでの営農形態で事業を行った方が合理的であると判断するのが大半です。

これこそが、「そもそも作るのが難しい市民農園と今現在一般的でない理由」だと考えます。

しかし、それらの間隙を縫って上質なサービスを提供できる状態を実現できたとき、市民農園という営農形態にはブルーオーシャンが広がっていると確信しています。

繰り返しになりますが、今現在、「モノ消費」から「コト消費」「トキ消費」に消費者のマインドが移り変わっています。

様々な制限のあったコロナ過を経てより一層、自然との一体感、他者との関わりに価値を見出す世の中において、市民農園のような「コト消費」「トキ消費」の需要が今後益々増えていくことでしょう。


今日はここまでです。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。

続く。

いいなと思ったら応援しよう!