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#013 終戦の日に思うこと ~靖国神社参拝について~

こんにちは、GreenLushです。


本日は8月15日、終戦の日です。
昭和20年8月15日終戦の詔書が下り大東亜戦争が終結し今年で77年になります。

本日、東京九段下の靖国神社に参拝して来ました。

第一鳥居(大鳥居)前の様子
第二鳥居前 ※多くの方も指摘されていますが神門の国旗掲揚が今年から無くなり残念です
拝殿


さて、靖国神社参拝と聞くと

・右翼
・国粋主義者
・軍国主義者
・歴史修正主義者
・戦争賛美

とまぁ、様々な偏ったイメージを持たれる方もいらっしゃいます。
あるいは露骨に嫌悪感を抱く方もいらっしゃいます。

しかし、ネットメディアの浸透もあり、数年前よりそういったイメージもかなり少なくなってきたと感じるのは私だけではないと思います。

戦後77年を迎えた本日、現代に生きる我々は改めて大東亜戦争がどのようなものだったのか、正しく理解しなければならないと思います。

少なくとも終戦の日の今日ぐらいは国民がそれぞれに思いを巡らすと共に、亡くなられた英霊の方々に感謝と哀悼の意を表する、そんな日にしてみてはいかがでしょうか。

そんな思いから、私は毎年この日に参拝を行っています。


さて、大東亜戦争がどのようなものだったのか正しく理解しなければならないと言うのには理由があります。

なぜなら、あの戦の結果が今日の日本に繋がっており、この先の未来もこの延長にあるからです。

前回#012の最後に述べましたが、現在の我が国の状況は、安全保障上非常に危機的状況にあると言えます。それは経済安全保障上もそうですし、物理的な国防安全保障上もそうです。

現代に生きる我々が、先の戦の本当の意味での教訓と反省を導き出すことによって、現在おかれている危機的状況を正しく捉え対処することに繋がると思うからです。

その上で、まずは大東亜戦争の意味・意義を虚心に耳を傾け正しく理解し、父祖達の思いを汲み、教訓を正しく認識し、本当に必要な反省を現代の我々が実行することで、より良い日本を子孫に引き継ぐことに繋がって来ます。

この、”教訓を正しく認識”することと、”本当に必要な反省”という点を強調しているのには理由があります。

それは、戦後77年間、この2点の総括が一貫して出来ていないと思えるからです。政府、国民の多くの数がこの2点について、『東京裁判史観』という『答案』を予め用意されていて、その答案用紙を上からなぞっているに過ぎないにと思います。

我々自身によって、我々自身と父祖と子孫の為に、苦悩を重ね導き出した答えではないのです。だから首相の戦後談話など、どこか他人事のように聞こえ、一切響かないのです・・・。


さて、冒頭”大東亜戦争がどのようなものだったのか、正しく理解しなければならない”と申し上げましたが、ここで気をつけなければならないと思うことが大きく2点あります。

まず、言葉の定義です。

大東亜戦争と大括りしても、まずははっきり区別して考えないといけないと思うことは、満州事変、支那事変、日中戦争、日米戦争、太平洋戦、第二次世界大戦それぞれ何となく似ているようで、同じ意味で捉えられる場合があるかもしれませんが、意味が全く異なります。

当然、これらをどのように呼称するかによって意味や意図が全く異なってきます。

ここを先ず押さえておかないと理解が深まりませんし、例えば他の方と会話した場合、ボタンの掛け違った議論になってしまいます。

そしてもっとタチの悪いのは、これらを意図的に混同させた議論を展開してくる場面です。

これは大東亜戦争に関わるものだけではなく、あらゆる問題で同じことが言えると思います。

自分達は今何について考え、議論しているのか明確にし、言葉の定義がごちゃごちゃにならない事です。※わざと定義を曖昧にして混乱されるのはディベートが得意な人間の常套手段です。このようなレトリックに惑わされないようにしましょう。


二点目は、戦争の勝ち負けは道徳の優劣ではないということを根底に置いておくことです。

靖国神社参拝を例に取るならば、戦争の是非と死者への敬意と感謝は全く別次元の問題であるという事を理解する事です。

多くの方には戦争=絶対悪という考えが根底にある場合が多いと思います。
この場合、”悪かったから負けた” 、”負けたから悪い”= だから悪いことをした人は敬わないし、感謝もしないし、むしろ汚辱である。このようなロジックに陥ってしまいます。※半日団体は大体このような思考回路ですよね。

このような学級会論理にも気をつけなければならないと思います。


以上2点を踏まえた上で改めてもう一度、靖国神社参拝に対して言えることは、どのような背景・原因・利害関係で起こった戦争であって、それがどのような結果をもたらし今日に至ったとしても、戦争によって失った尊い命があって、それらの御霊は紛れもなく我々のご先祖であるといことをまず念頭に置く必要があると思います。

繰り返しになりますが、戦争の是非と死者への敬意と感謝は全く別次元の問題です。

敬意を示し、感謝することは全く後ろめたいものではないし、誰かに気を使う必要はないと思います。


ちょうど、終戦の日の今日はお盆でもありますよね。
ご先祖の御霊が各家々に帰って来られます。

我が国は縦軸と横軸の文化だとよく言われます。縦軸は先祖崇拝を示し、横軸は自然を含んだ共同体を示すと言われています。

何か、最近皆が勘違いしているような気がするのは、自分達が中空の存在だと思ってはいないでしょうか?

お正月の初詣で神社に参拝し、行く年に感謝し、来る年もまた良い年であるように八百万の神様に祈るのと同じように、先の大戦で亡くなられた無数の英霊の全てが自分達のご先祖であり、今日に繋がるルーツすべてが自分や家族、共同体、社会を形作っているのだと思います。


最後に山梨県敷島出身の思想家 三井甲之の歌を紹介します。


ますらをの
かなしきいのちつみかさね
つみかさねまもる
やまとしまねを

山梨県甲斐市山縣神社 三井甲之の歌碑 ※筆者撮影


戦で亡くなった英霊だけではないです。災害で亡くなった方々も皆同じだと思います。

それら無数の命によって今があると思う感覚でお盆と終戦の日を過ごしてみては如何でしょうか。

今日はここまでです。
最後までお読み下さりありがとうございました。

終わり。

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