オープンイノベーション on CPS part1
Cyber Physical System で展開するオープン・イノベーション、
アカデミック=ビジネス・コラボレーションHUB の発進
1. ABC-Hub初会合
JR渋谷駅西口から徒歩5分。雑多な飲食店で賑わう繁華街を通り抜けると、国道246号線に面して東京都市大学の渋谷サテライトクラスがある。一般社団法人グリーンCPS協議会はすでにいくつかの分科会活動を進めているが、新しい取り組みとして「オープン・イノベーション」に取り組む「アカデミック=ビジネス・コラボレーションHUB(ABC-Hub)」が発足し、2024年4月19日、ここを会場に第1回のミーティングが開かれたのだ。
グリーンCPS協議会の中村昌弘理事長によれば、ABC-Hubの目的と方法は以下の通りである。
そこで中村理事長とは本協議会の運営に関わっていただいている東京都市大学デザイン・データ科学部の大久保寛基教授にアカデミック側の幹事となってもらい、大久保研究室の学生が協議会のABC-Hubに参加することになったのである。
東京都市大学は世田谷と横浜にキャンパスを持つ私立大学で、前身の武蔵工業大学は1929年創設という伝統を有している。理工系から社会科学系に至る8学部18学科を擁しているが、このうち2023年に開設されたばかりのデザイン・データ科学部は、データサイエンスを生かした分析力を基盤にグローバルに活躍できる人材の育成を目指すという、文理横断的な取り組みに力を入れている。文部科学省は少子化による若年人口の減少を踏まえて大学の新設を抑制する中、東京都市大学のデザイン・データ科学部は来年度以降の大学院設置が計画されており、期待が高まっている。その背景のひとつにはITエンジニアをはじめとする情報系の人材不足がある。そのデザイン・データ科学部のウェブページを見ると、「分析力×想像力=イノベーション力」というキャッチコピーが大きく記されている。大学でもイノベーションがキーワードとなっている。
4月19日の初会合はグリーン協議会会員企業からオンライン参加を含めて10人、東京都市大学から大久保教授と学生13人、協議会事務局から4人、あわせて27人が参加した。
ミーティングではまず中村理事長がABC-Hubの趣旨説明を行うと共に、イノベーションとは何だろうかと学生に問いかけた。学生たちからは「先進的な取り組み」、「古いものを作り変えること」という答えが返ってきた。いずれも間違いではないが、しかしイノベーションとはもっと深い意味を持つ言葉である。中村理事長は「ソリューション」との対比で解き明かす。
2.イノベーション思考へ向けて
ソリューションとは「顕在化された『問題』、『要求』から帰納・演繹して実現方法を確立すること」であり、実現可能であるが生み出される価値は限定的だと説明した。これに対してイノベーションは「潜在状態である『要求』や『可能性』から未知の価値を見出すこと」であり、生み出される価値は新しく大きい。つまり先行者利益を獲得できる。わかりやすく言えば、ソリューション中心主義である日本の産業は新しい価値を生み出すことができず、アメリカのGAFAMをはじめ、中国や韓国などの巨大IT企業の後塵を拝しているというわけだ。
ここで、未知の価値を見出すためには、帰納=演繹の思考に先立ち、「アブダクション思考」による価値を秘める潜在状態の存在に気づき、その状態を価値を生み出す仮説として見出すことが有効だ(下図)。また、この活動で設定される潜在価値は将来的に得られる価値は大きいのは言うまでもない。
ところで、「帰納」、「演繹」は「インダクション」。「ディダクション」として日本語でもなじみがあるが、「アブダクション」という言葉は残念ながら対応する日本語がない。つまり、日本社会での思考帰納、演繹が主体で、アブダクションの思考形態は広く普及しているとは言えないのが実態だ。これは一例ではあるが、日本社会の思考形態の特異性を受け止めたうえで、イノベーションの在り方をとらえなおす機会とも考えている。
3.サンドボックスでのイノベーションの発現
その上で中村理事長は参加者全員に、「頭の使い方を変えてみよう」と呼びかけた。求められるのはイノベーションに至る「仮説を作る能力」であり、アブダクション思考である。会場に集まった参加者へ「サンドボックスでとんでもないことをやっちゃおう!」とハッパをかけた。
思考を爆発させ、行動し、失敗してもよい。恥ずかしくてもよいので、どんどん、気づきを発現させる。そこから新たな発想や創造が生まれてくるものだ。
4.白書で見るイノベーション
イノベーションとは、もともとはオーストリア出身の経済学者、シュンペーターが1912年に著した著書のなかで提唱した概念である。彼の意図したイノベーションとは、商品の開発や生産方法、市場の開拓や組織の改革などで飛躍的な発展を遂げるため、新たな仕組みや手法を生み出すことを指した。これに対して1956年の『経済白書』はイノベーションについて次のように記している。
つまりかつての『経済白書』はイノベーションについて、本来の意味ではなく、技術面を重視した改革だと意図的に解釈していたのだ。1970年の『科学技術白書』は、「わが国の技術革新の特徴と進展要因」と題した章で、以下を指摘している。
(1)外国に先んじて開発研究に着手したものは20%弱しかなく、今後創造的な技術開発を行っていくためには、外国技術の模倣から脱して、基礎研究から掘り起こしていくことが重要。
(2)国際的に見て中核技術と思われる分野の技術が少ない。原子力、プラスチック、半導体、工作機械、電子計算機などについての技術のように、他技術分野への波及効果の大きい技術が少ない。国際的にみて魅力のある技術を積極的に開発していくことが重要。
(3)産官学の連携によって開発された技術が少ない。連携体制を強め、技術開発の効率化を図っていくことが重要。
1976年の『科学技術白書』では「戦後の技術革新は、テレビジョン、トランジスタ、コンピュータ、電子複写機、抗生物質、農薬、合成ゴム、合成繊維、ジェット機、原子力などに代表されるように、新しい原理・原則に基づく革新型の技術進歩によって特徴づけられる。しかし、近年は、新しい原理・原則の発見の停滞によって、この種の技術進歩が減少し、個別技術の改良、組合せによって技術進歩が図られる傾向が強くなっている」と指摘する。
その上で「新しい型の技術の出現なしにはいずれは技術進歩が壁にぶつかり、経済の安定的成長、国民福祉の向上にとって重大な支障となるおそれがあることを暗示している。したがって、今から次の技術革新の芽となる原理・原則の発見に積極的に取り組むことが極めて重要である」と指摘した。これは「すでに戦後ではない」という時代にあって、まったくそのとおりだ。そして今の日本でも、その指摘については依然として有効であることが残念である。
また、2017年の『科学技術白書』は、科学技術やイノベーションの「基盤力」に多くの課題を指摘し、「わが国の国際的な地位のすう勢は低下していると言わざるを得ない」と分析した。注目度の高い研究分野への参画度合いでは、アメリカ91%、イギリス63%、ドイツ55%に対し、日本は32%と大きく引き離されている。
ちなみに2021年4月に施行された日本の改正科学技術基本法では「イノベーションの創出」の定義規定が新設された。それによると
としている。イノベーションを科学技術面に限らず、人文科学分野も含めて幅広く捉えるようになっている。新しいビジネスモデルの開拓などがイノベーションとして注目される時代になって、ようやく政府のイノベーション理解も時代に追いついてきたというところだろうか。
5.サンドボックスの構想
分科会に話を戻そう。印刷業界のベンチャー企業「グーフ」CEOの岡本幸憲さんが、話題提供に立った。この中で岡本さんは、最盛期の9兆円規模から4兆円規模に半減した日本の印刷業界を取り巻く厳しい状況を指摘しながら、一方でこれまで印刷を利用してこなかった人や分野で新たな需要を開拓する動きもあると解説した。
2012年創業の同社は「『紙』の新たな価値を創造することをビジョンに、デジタルと紙の融合で高付加価なコミュニケーションの実現」を目指している。岡本さんは、16歳でアメリカに移り、21歳でシリコンバレーを体験した経験を踏まえ、「デジタルと印刷を有機的に融合したらおもしろいのではと思いついた」と、学生や会員メンバーに語りかけた。デジタルにはデジタルの良さがある一方、紙を使った印刷には視認性の良さや信頼性の高さなど、紙ならではの特性がある。その上で印刷とは、「誰かに何かを伝えたい」という思いが込められた「利他のメディア」だと熱く語った。今回はワークショップの初回で、参加者に予断を与えないためとして自社の具体的な事業説明などは行わなかったが、次回以降に同社を「サンドボックス」としたチャレンジが予定されている。
6.ワークショップ、ディスカッションと得られた気づき
続いて学生3グループ、会員と事務局の社会人側が2グループの、計5グループに分かれ、約2時間をかけてグループごとの検討、ディスカッションをまとめ、結果発表を行った。テーマは印刷をキーワードにしたイノベーションである。
まずは参加者一人ひとりが思いつくまま、印刷をめぐる問題点や課題、自分の考える未来の印刷などについて、ぼんやりと頭に浮かんだことを含め、なるべく多くのアイデアを、大きめの付箋にメモしていった。次にそれをグループの全員に説明しながら模造紙に張り出す。説明が一巡すると、付箋紙をグループ分けしてグループ名を付けて行く。川喜田二郎氏が考案したKJ法の手法である。最後に、全員が教室前方に集まり、検討の結果を発表した。
最初の学生グループは短時間のディスカッションで79枚のメモを書き出した。これは全グループ中で最多となった。内容としてはまず「デザイン・AI」と名付け、「アイデアを形にしてくれるAI」、「最適なデザインを提案してくれるAI」など最近の生成AIブームを反映した分類が紹介された。続いて「問題点・課題」の分類として「インクや用紙の補充」、「個人情報やプライバシー」、さらに「印刷以外の価値観」として「環境への配慮」「人と人をつなぐ」、「利便性・あったら良いもの」として「消せる印刷」、「印刷で作る人工芝生」、「Tシャツだけでなく、制服にもプリントできる印刷」などのアイデアが出された。
次の学生グループは33枚。「願望」がメインの分類として紹介され、「安くて小さなプリンターが欲しい」、「すべてカラーの漫画を読みたい」、「レシートをメモなどに再利用」などのアイデアが出された。「新技術」としては「屋外で紫外線など自然の力を利用した印刷」などが出た。
最後の学生グループは38枚。「環境」分類として「配送コストの削減」、「裏紙の再利用」、「素材・技術」の分類として「紫外線や熱を使った印刷」、「管理」の分類として「サプライチェーンの統合」、「サービス」分類として「カメラ付きのメガネをかけて旅行し、数年後にベストショット写真が届く」など。
次に社会人グループの発表メモの枚数は34枚。「コンテンツ」の分類では「思い出を勝手に印刷してくれる」、「イメージから本になる」、「紙以外」の分類では「服の色を変える印刷」「家の壁紙を好きなときに変えられる」、「食べられる紙」など。さらには「個人情報を消せる」、「特殊なメガネで見られる」「インク自体が要らない」などのアイデアが出された。
最後のグループは、発表者が「枚数は最下位の18枚です」と恐縮しながら報告した。「場所を問わない」の分類では「移動型の印刷工場」、「サステナブル」の分類では「多量にたまるカタログ、これで良いのか?」、「ユーザーの民主化」分類としては「自分でハードを選べる印刷」などのアイデアが出された。
こうして午後2時から始まったミーティングも、ほぼ予定通りに5時で終了となった。そこで参加者に今回の活動の感想を聞いてみた。まずは学生。
次は社会人。
中村理事長のまとめの言葉。
「今日はエクササイズとして取り組んでもらい、発想の自由さと、皆さんの持つアイデアの可能性を少し、感じてもらえたかと思います。このような頭の中をオープンにして、思考を拡大する作業をもう少し、進めていきましょう。」
今後のスケジュールとしては、今年前半をアイデアの発掘、また、仮説を打ち立てたりするフェーズとして進める。その後の後半の活動を仮説検証のフェーズとして、印刷業界を対象として実ビジネスでの仮説適用、システム実装を学生と企業が協働的に進めていく。サンドボックスと言いながらも、サンドボックスを超えて現実社会に一歩踏み出した体験活動を進めていくことにしている。特に、本協議会の名称でもある「CPS(Cyber Physical System)」のコンセプトと様々なシステムを活用し、「新結合」としてのイノベーションに取り組む活動を推進する。
7.CPSプラットフォームによるスマート社会の実現を目指して
日本ではまだ、なじみのない言葉で、「デジタル=ツイン」などの考え方と混同されているが、実は古くから提唱されているデジタル社会へ向けてのコンセプトを著す概念だ。グリーンCPS協議会ではCPSプラットフォームの上でのデジタルコミュニケーションによる「新結合」の在り方を目指すことを当初からの活動目標に掲げている。今後はオープンイノベーションの議論から在りたい社会システムへ向けての議論に展開していく。
本活動のレポートはこの note のページで継続的に発信していく予定ですので、ご意見やご提案等、以下のアドレスまでお声をお寄せいただければ嬉しく思います。
e-mail: info@greencps.com
一般社団法人グリーンCPS協議会 WEB: https://greencps.com/
東京都市大学 デザイン・データ科学部 大久保研究室
https://www.ke.tcu.ac.jp/labo/ims09/
■ 「オープンイノベーション on CPS part1」 (本稿)
■ 「オープンイノベーション on CPS part2」
■ 「オープンイノベーション on CPS part3」
■ 「オープンイノベーション on CPS part4」
■ 「オープンイノベーション on CPS part5」
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