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ひとりでも、それ以外でも。

友人が最近マッチングアプリを始めた。
なかなかいい出会いがないらしい。
マッチングアプリで結ばれるカップルは良く聞くし良い相手が見つかればいいなと思っていたけど、友人はかなり疲弊しているようだ。

マッチングアプリ=お手軽、みたいに私は安易に考えていたけれど、話を聞くとそりゃ疲れるよな、、と納得した。

まったく知らない相手のプロフィールを見ていいねを送り合って、そこでマッチした相手と連絡を取り合って、LINEを交換。
実際に会って、その後連絡は取りつつも思うように進展しなかったり、逆に次はないかなという相手から頻繁に連絡がきてどうやってフェードアウトしようかと悩んだり、、

簡単に連絡が取れてしまう分、それらに振り回されもするんだなと現代の恋愛事情が垣間見えた。

私は結婚して良かったと思うけれど、結婚自体が幸せへの切符だとは全く思わない。
大切な人が増えると嬉しいことも増えるけど、心配事も増える。
精神的に強くもなるけど弱みもできる。

前にテレビかなんかでやってたな、
「守るものがある人」VS「失うものがない人」本当に強いのはどっち?みたいな。
どっちなんだろう、私のなかでもいまだに答えは出ないけれど。

✴︎

『無限まやかし』というラジオが好きでよく聴いている。

映画やドラマなどのエンタメについて、MCのお二人が自分なりの解釈を持ち寄って繰り広げられるトークがとても面白い。
そんな視点もあるのか!と毎度いろんな気づきを与えてくれる。

つい先日の、ドラマの登場人物を考察していくトークの中で出てきたワードがとても印象に残った。
MCの高野さん(脚本家)が
「ひとりで生きている人が無償の愛という形で他者と関わる」
と、話していたこと。

ここで言う「ひとりで生きている人」というのは、ドラマに出てくるある独身男性のことだ。

「自分彼女も子どももいないんで、暇なんで。」
がお決まりなセリフの彼が、シングルマザーの母子の生活を陰ながらサポートする。
家族でも恋人でもない彼は、自分のことを外野だと言う。
でもそんな名前の付くつながりとは別次元で存在している彼は、この物語でとても重要なポジションなのだ。

無償の愛って一般的には親から子へ注がれる尊きもの、というイメージがある。でも、親だからこそ見返りのような期待を抱き成長を求めてしまうこともきっとある。

逆に血のつながらない関係だからこそ、一種の見返りを求めない愛は存在し得る、お二人のトークにそんな可能性を見出すことができてなるほどと思った。
親子や家族だけが獲得できるような世間の認識に風穴を開けてくれたような、素敵な視点だと思った。

✴︎

たまに職場で見かけるけど、独身の人やパートナーがいない人に対して、謎の上から目線でいじる雰囲気。
その空気感がめちゃくちゃ苦手だ。

いじってる方は悪気なくコミニュケーションの一環としてやっているんだろうけど、そばにいると心がザワザワする。
言われた方が別に嫌そうじゃなくてもだ。
ただ耳に入った私の方が勝手に嫌な気持ちになる。

そういうネタで盛り上がってたりすると、あなたが笑いを取ってるんじゃない、相手が笑ってあげてるだけやで、と心の中で思う。

相手の心境が分からないから私は特に指摘したことはないが、可能なら全然違う話に無理やり持っていく。
誰かの話したくない(かもしれない)こと、事故的に聞きたくないし。

仲の良い人との恋愛トークは好きだし興味はめちゃくちゃある。けど、立派な大人という物差しをパートナーの有無で測ろうとしている会話の流れは時代遅れも甚だしい、と私は思う。
こうやって過剰に反応し過ぎるのも良くないのだろうけど。

たまにこんな場面に立ち会うと、普段いかに配慮の行き届いた人たちに囲まれて生活できているのかと改めて気づくことができる。
そういう文化を、口には出さずとも自分なりに継承していきたいものだ。

誰かと生きていく生活もとても幸せだけれど、でも結局最後(死ぬとき)はひとりだもんな。とかそんな寂しいこと考えることもある。

一緒にいてくれる人との時間を大切にしながらも、
ひとりの時間を充実して過ごせるように、ひとりだけの自分も大切にできるように研究し続けたい。



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Green beans
ここまで読んでいただいたこと、とても嬉しく思います。