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『オイディプス王』本当の結末
あなたは本当の『オイディプス王』を知らない……
そう…まるで生まれたばかりの赤子のようにね.
序
ギリシャ悲劇を代表するソフォクレス『オイディプス王』.父殺し,母子相姦,そして失明…という物語のあらすじはよく知られていますが,その結末部分には八つの謎があります.本稿ではその謎の紹介と,より自然な終劇についての研究をご紹介いたします.ご紹介する研究はこちらです.
David Kovacs ,Sophocles: Oedipus the King: A New Verse Translation
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『オイディプス王』からの引用は『ギリシア悲劇全集Ⅱ』の訳を使用し,原典(OCT,1990)の行数を( )で示します.
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1. 終幕は加筆?
19世紀以降,『オイディプス王』の結末部分はソフォクレス以外の人物が書き加えた(後世の加筆)のではないかと疑われてきました.最も極端な意見では,クレオンの再登場以降が加筆であるとする立場のようです.というのも『生の短さについて』で有名な哲学者セネカには『オイディプス王』を翻案した『オエディプス』という悲劇があるのですが,そこにはクレオンが再登場するシーンはありません.
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セネカの悲劇は日本語で読めます.『オエディプス』が収録されているのは『セネカ悲劇集2』です.
一方,結末部分には大きな加筆はなく,今に伝わる終劇は,ソフォクレスの真筆であるという立場もあります.少し長いですが大切な意見なので引用しておきます.
岡道男『ギリシア悲劇とラテン文学』岩波書店,1995年,61~62頁
ラーイオスの殺害は、劇の展開が(クレオーンがもち帰った)ラーイオス殺害犯人の探求を命じる神託から始まる点において重要な事件であるけれども、すでに過去に起こったことであり、 観客の目に直接見える形で示されるわけではない。 これにたいし母子相姦は、イオカステーが舞台の上にいる間たえず観客の目に見える形で示される。つまりオイディプースの妃としてあらわれる彼女は、過去の神託がすでに成就したにもかかわらず、それにオイディプースが気づいていないことを直接あらわすものとなる(ティレシアースはオイディプースに、「あなたはそれと知らずに誰よりもこい血でつながる人とまことに恥ずべき交わりを結び、しかも自分のおちいった不幸が見えない」(三六六~三六七)と告げる)。オイディプースが神託の成就を恐れ、自分の母と信じているメロペーのいるコリントスへ戻ることをかたくなに拒むとき、彼の眼前にイオカステーがいるゆえ彼の恐怖はいっそう痛ましいものとして観客の目に映るであろう。そしていま劇の終わりにおいて母子相姦から生まれた二人の娘が登場し、オイディプースから彼女たちの忌まわしい出生を告げられることは、彼の罪と穢れを、罪のない娘たちと対比する形で改めて示す働きをする。
日本を代表する『オイディプス王』の研究者である川島重成先生も,基本的には同じ立場のようです.
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二人の娘が登場するシーンは,オイディプスの犯した罪-母子相姦-を観衆に印象づけるものであるということですね.確かに悲惨極まるシーンです.この結末部分については学者間でも意見が鋭く対立しているようですね.
2. 追放
アポロンの予言/神託がことごとく実現してしまうのが『オイディプス王』の筋ですが,最後の最後まで「ライオス殺害犯(オイディプス)の追放」は実現していません.オイディプスも次のように語ります.
わたしをすぐさまこの土地からほうり出してもらいたい、 誰もわたしに声をかける者のいないところへ。(1436―1437行)
これに対してクレオンは
神からまずお指図をうかがいたいと思うていなかったら、 たしかにそうしたであろう。(1438―1439行)
と答えます.彼は追放を決定しません.このことは,クレオンの再登場を加筆とする根拠の一つとなるようです.ですがクレオンは「追放をしない」とは言ってはいないのです.想定外の出来事に驚愕し,これからどうすればよいのか,再度神託を聞くべきだと言っているのだと解釈すべきではないでしょうか?
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それでは,いよいよ加筆がもっとも疑われる部分である娘たち(アンティゴネとイスメネ)の登場シーンを検討してみましょう.
3. 八つの謎
(a)娘たちが急に出現する
オイディプスが「娘(1462行)」と言ってから,「娘の声が聞こえる(1469行)」と言うまでに娘が舞台に登場しておかなければならないので,わずか6行の朗読中にクレオンは娘を迎えに行き元の位置に戻ってこなければなりません.仮に1行の朗読に5秒とすれば,その時間はわずか30秒です.クレオンはオイディプスから要求されることを見越して,事前に娘を舞台の袖(のような所)へ連れてきていたのでしょうか?
(b)娘たちがなぜすすり泣いているのか?
あまり注目されていないのですが,なぜか娘たちは泣いています.昼食に嫌いな食べものでも出てきたのでしょうか? それとも血の涙を流す父を見て泣いているのでしょうか? 幼い姉妹は恐怖におののくのではないでしょうか?
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(c)イオカステの埋葬と自身の追放への返答が娘の連行
真実を知ったオイディプスはクレオンにこう語りかけます.
そうだ。そしておれはあなたに委ね懇願する。内にいるあの女にあなたの心にかなう葬いをしてやってくれ。血縁の者に当然果たすべき最後の務めだ。(1446-1448行)
この懇願に対してのクレオンの返答が娘を連れてくることなのでしょうか? 最後までかみ合わない二人ですね...
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ソフォクレス『アンティゴネ』を読めば分かるように,ギリシャ悲劇において埋葬というのは重要なテーマです.それがここでのやりとりでは完全に無視されています.これは不自然なシーンと考えざるをえません.
(d) 1480-1502行のセリフ
22行に及ぶ(ちくま文庫版では371―372頁),オイディプスによる長い語りがあります. まずはクレオン,次に娘,そしてまたクレオンへと語りかける相手が定まりません.これはギリシャ悲劇では他に見当たらないシーンのようです.
(e) なぜ言語によらない返事を要求するのか?
オイディプスは次のように言います.
尊い心のお人よ、あなたの手をわたしの手に差し延べて、うべなってくれ。(1469-1470行)
盲目のオイディプスは,何故クレオンに音声によらない合図を求めるのでしょうか? 「クレオンよ,『はい』と言ってくれ」の方が自然です.
(f) 館の中へ入るにもかかわらず,なぜ娘と引き離すのか?
クレオンはオイディプスを館(宮殿)の中へ連れていく際,奇妙な言葉を発します.
それでは、子供たちを放して、来られえ。(1521行)
… 館に帰るのですよね? なぜ娘を外へ置き去りにする必要があるのでしょうか?
(g)前言を翻すオイディプス
オイディプスは娘の世話をクレオンに託したはずですが…次のように言います.
いいや、この子らをけっしておれから奪わないでくれ。(1522行)
クレオンに娘のことを託したはずでは?? 自分で娘の面倒をみる気になったのでしょうか?
(h) イオカステの葬儀が未決定
繰り返しますが現在まで伝わるテクストではイオカステの遺体は放置です.これはいけません.
以上の八つの謎を検討することで,次の結論が導かれます.
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4.まとめ
ソフォクレスのオリジナルのテクストでは,オイディプスの台詞は1476行(ちくま版では371頁9行目)で終わり,それにクレオンが応答することで終劇になったと考えられます.そこではイオカステの葬儀を執り行うことや,娘の世話をすることが約束されたはずです.
『オイディプス王』をテクストとして「読む」のであれば,八つの謎はさほど気にはなりません.ですが上演劇としては混乱に次ぐ混乱です.
この劇の場合(1:29:29頃~)では,娘たちは涙を流さずオイディプスに接近しています.すすり泣いていたのでは接近が気付かれてしまいますから.他には「泣きながら駆け寄ってくる」タイプの演出もあります.テクストに忠実に「泣く」演出を行うには娘たちは猛ダッシュでやってくる必要があります.
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現在,私たちが読んでいる『オイディプス王』はギリシャ悲劇が上演劇としての役目を終え,読書の対象になった後に加筆/改変されたものなのかもしれませんね.
冒頭で紹介しましたKovacs氏の英訳には,終劇についての提案があります.特に関心の強い方は是非お読みになってみてください.
参考文献
David Kovacs ,Sophocles: Oedipus the King: A New Verse Translation,2020
『ギリシア悲劇全集Ⅱ』(ちくま文庫)1986年
『ギリシア悲劇全集<3>』(岩波書店)1990年
岡道男『ギリシア悲劇とラテン文学』(岩波書店)1995年
川島重成『「オイディプース王」を読む 』(講談社学術文庫)1996年