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左翼が解き放ったアイデンティティポリティクスという獣が、左翼に逆襲する

 元来、政治は知性主義に即したエリートのイデオロギーポリティクスであった。
 保守派はバークやホッブスを読んで、リベラル派はJSミルやロールズを読んでイデオロギーを体系的に学習し、その実現のためイデオロギーを共有する同志たちと政党を組むことが、政治家となる上で必要不可欠であった。

 しかしアメリカの左翼は、この合理的な慣習を覆してしまった。
 アメリカ合州国は人種のるつぼと呼ばれるように、白人、黒人、ヒスパニック、アジア系などが票田として混在している。
 民主党は、大学の受験枠を人種別に分けてマイノリティでも合格しやすいように計らうなど、アファーマティブアクションを進めた。こうすることによって、マイノリティから支持を集めやすいようになったのだ。
 私としてはアファーマティブアクションは劇薬だとは思うが、人種間格差の是正には有効な策だと考えている。結局、国際連合もアファーマティブアクションは差別ではないとの見解を条約に盛り込んでいる。私は大学よりも企業の採用と昇進にこそアファーマティブアクションを導入すべきだと考えているが、まぁ建国から代々続く社会資本の民族差を埋める政策は遅かれ早かれ必要になっていただろう。
 このような、イデオロギーではなくアイデンティティ集団に寄与するための政治をアイデンティティポリティクスという。

 アイデンティティポリティクス?これって普通の政治じゃないの?と思われた方もいるだろう。その通り。あらゆる政治運動も、最初はアイデンティティポリティクスなのだ。
 アメリカ独立戦争も、最初はアメリカ人のアイデンティティポリティクスだった。しかしアメリカ人たちは、自分たちだけが過酷な納税を義務付けられているのは、生まれながらにして平等なすべての人間に対しても有害であると説いた。
 例えばイギリスがフランスの占領下になったとして、フランス本国に代議員を送る権利もないのに過酷な納税を要求されるのは嫌だろう。生まれながらにして平等なすべての人間は、平等に課税され、平等に代議員を送る権利があるのだ、というイギリス人にも通用するイデオロギーを説いたのだ。
 こうして、イデオロギーポリティクスに昇華したアメリカ人の政治運動は、やがて独立という多大なる成功を目にすることになる。
 政治運動は、アイデンティティポリティクスという直感的な萌芽から、イデオロギーポリティクスという普遍的な政治運動に昇華する。これがこれまでの政治の常であった。

 しかしこのアイデンティティポリティクスは民主党に逆襲を始めた。
 韓国やアメリカ合州国は反共国家であり、中道左派政党のロジックとして社会民主主義を採用できなかった。社会民主主義というイデオロギーを持たなかった民主党は、次第にマイノリティのアイデンティティポリティクスの寄り合い所帯という存在価値に浸食されていく。
 そして最大の逆襲がトランプ現象である。マジョリティである白人が、アイデンティティポリティクスを始めたのだ
 マジョリティのキリスト教徒向けに、イスラエルの大使館をエルサレムに移転したり、イスラム教徒の入国を禁じたりした動きが顕著な例だろう。

 さてこのアイデンティティポリティクスの普及と同時期に普及したのはSNSであった。
 Googleの企業理念にもみられるように、インターネットは当初、万人の知を開放して共有し合うことにより、人類の英知が深まるのではという期待が寄せられていた。しかし最終的に、集合知を開放された人類が作り上げたのは便所の落書きだった。

 ネトウヨ、ツイフェミ、弱者男性。
 ネトウヨが「フジテレビは浅田真央がコケた画像を好んで使って、日本人よりもK-POPを優先して放送してる!日本人のための放送をしろ!」と喚いていた頃からずっと、アイデンティティポリティクスをイデオロギーポリティクスに昇華させる能力をネット民は持っていなかった。
 気づけば「日本で土葬なんかするな!」とか、「女はクソだ」「男はクソだ」しか聞けず、イデオロギーを聞くことができなくなった。
 インターネットがなかった頃、民草が意見を広めるには、新聞や雑誌に寄稿しなければならなかった。早稲田か東大を出た記者しかいない編集部の選別を受け、ようやく世論の俎上に載せることができた。

 SNSはアイデンティティポリティクスの砦となり、反知性主義を可能にした。その結果が今である。。
 「夫婦別姓を煙たがる声が民意だ!」「ベーシックインカムを望む声が民意だ!」
 ネット民は意見の的確さや学術的正しさではなく、信者の多さで対決するようになった。ネット民はむしろ、的確さや正しさを基準とする意見をポリコレと呼んで叩く。しかしネット民は『ポリティカルコレクトネスからどこへ』とか、『差別はいけないと言うけれど』などは読んでいないだろう。
 彼らが消費するのは、ポリコレをdisる映画レビュワーだろう。またはベーシックインカムちゃんねるなども含まれるだろうか。若者が聞くイデオローグはベンサムやJSミルではなくなった。ひろゆきと石丸伸二に集約されるようになったのだ。

 アイデンティティポリティクスの時代には、意見にも市場競争が適応されるようになっていった。学術的に認められた議論や『世界』などの雑誌での意見交換ではなく、より面白い意見、よりスカッとする意見が民意として認められるようになっていった。YouTubeのアルゴリズムも、センセーショナルな意見であればあるほど、センセーショナルなサムネイルであればあるほど優遇してユーザーにお勧めしていった。一億総スカッとジャパン社会である。
 想像の共同体「日本人」は、こうして肥大を遂げた。与党を批判するのは反日で日本人ではないからだ。与党を支持するのは愛国的な日本人だからだ。日本のシステムの改善を求めるのは、日本が嫌いで外国が好きだからだ(出羽守)。
 これらの政治的結論を導くのは、すべてアイデンティティである。そこにイデオロギーが挟まれる余地はない。この法律にこのような問題が見受けられるので、反対する。そういった自分なりの思考や学術的議論が反映される見込みはさらさらないのだろう。「自分は日本人だから、個人の自由が多少狭められてでも、その栄達を願うのは当然だ。」この考えは、アイデンティティポリティクスの犠牲的な一面であろう。

 まだ設立されて日が浅い立憲民主党の理念に社会民主的な理想が書かれている点はまだ救いである。
 社会党が倒れ、アイデンティティポリティクスが跋扈して数十年になる。しかし、社会の名を党名に冠する勇気はなかったようだ。日本社会党や民主社会党が社会主義や民主社会主義というイデオロギーを党名に冠している理由には、「党員はわがイデオロギーを学ぶ責任がある」ことを明示する目的があるのだろう。イデオロギーを冠しなかった立民が、泉代表が「目標とする」と公言したアメリカ民主党のように、アイデンティティポリティクスに沈まないことを期待するばかりである。

 読んでいただければわかるように、ネット民は政治的なリテラシーや知力が低いので、アイデンティティポリティクスで氾濫している。しかしアイデンティティポリティクスというのは高卒の政治家ごっこ、バカのおままごとなのだ。
 ネット民で氾濫するXやYouTubeや5ちゃんねるに入り浸ると、あなたも衆愚の一人となってしまう。まずその集団意識から一度距離を取って、本を読んで考え直すのが吉だろう。そこに民意はない。あるのは群衆心理だけだ。あなたの考えを洗練するのはネット民の浅知恵ではなく、オルテガのような旧き知の巨人なのだ。
 最後にあなたに、一つこんな警句を贈りたい。

ネットばっかり遊んでると、チー牛になるよ!



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