次の仕事は着ぐるみですって⁈
トム・ウェイツの『スモール・チェンジ』を再生し、ウィスキーをグラスに注ぐ。1曲目『トム・トラバーツ・ブルース』のストリングスの、悲しみを慰めるような美しい旋律が流れ、トムがしゃがれ声で歌い出す。
「俺は疲れ切ったし、負傷したよ
いや、月のせいなんかじゃねぇ
いまツケが回って来たってとこだな...」(訳:私)
薄汚れた私の部屋は孤独な酒場と化し、私は心の中で泣き、ひたすら杯を傾ける。
あなたはトム・ウェイツというミュージシャンを知っているだろうか。彼が歌った、日陰にいる人々のしがない生活やわずかに抱く希望への温かい眼差しは、私のようにうだつの上がらない者も咎めず、等しく抱き締めてくれるのであった。
私が彼の中で最も好きなアルバムは、上述の『スモール・チェンジ』で、ちょうどこのアルバムを境に彼の声はドスの利いた悪魔のような、しかし大山のぶ代のドラえもんのように安心感のある、途方もないしゃがれ声となった。その声はより一層彼の音楽を彼の音楽足らしめている。冒頭で歌にしている時代の、ハードなドサ回りが起因したのだろうか。どれだけ酒を飲んだらこうなるのかとも思うが、若い頃の写真でいつも指に挟んでいるタバコが醸成したのだろうか。
とにかくタバコの似合う人でもある。ジム・ジャームッシュの映画『コーヒー&シガレッツ』に出演しており、たばこは辞めたと言うイギー・ポップに「俺もやめたよ。やめたからこそ堂々と吸えるんだ」と屁理屈を言いタバコを吸っていた。またある曲では「ピアノが酔っちまったんだ、俺じゃねぇ」といかにも酔っ払いが言いそうな文句で弾き語っている。テレビ演奏時の映像がネットにあったが、テレビだというのに音源よりもさらに調子っぱずれに演奏しているのがニクかった。多分に演出が入っている人だが、それがハマっていて突き通されているのがこの人の凄さである。
ここまでトムの話ばかりして来たが、表舞台に立つ人間ともあれば、世間の勝手なイメージや噂がつきまとう。圧倒的なカリスマでファッション含めた"グランジ"というジャンルまで確立し、あっという間に世界にさよならをしてしまったカート・コバーンは、イメージの乖離や低俗な観客に悩まされていたという。カートを思うと爆発的に売れることはやはりキツいことだと思う。気分の悪いこともたくさんついてまわったに違いないが、ただの一過性の流行ではない、真の才能があったからこそ認められ、心を動かされたというファンを大勢得ていたはずである。それゆえに彼の幕引きはとても切ない。初期は泣かず飛ばずであったデヴィッド・ボウイなども、音楽史においてこれまた後にも先にもいないほどのカリスマとなり、世間のイメージを利用しつつ裏切りつつ、素晴らしい芸術を残していったが、深刻な薬物中毒に至っている。他にも枚挙に暇がないが、アーティスト活動と心の耐性のバランスはとても不確かな要素に委ねられていると言えよう。
その意味では爆売れせずとも『トム・ウェイツ』を演じ続け、後々まで評価され、たまに映画でハマり役をやっているトムは幸せな音楽家人生と言えようか。伝記も読んだが彼は彼でキツかったはずだし、こんなことを言うと「そうさ、俺はどうせ売れてねぇ」と言われそうではある笑
一方、死ぬまで評価されずじまいだったゴッホという人生もキツイのであり、生前大勢に音楽が届いたカートはまだ幸せだったと言えようか。
私がトムのような“鬼才”音楽家役を演じられるのはいつだろうかと心待ちにしながら、いまは着ぐるみを着て頑張っている。人生。
追伸、昨日、このエッセイを投稿するにあたりカートの命日を調べたら、なんと本日4/5であった。外では満開となった桜が勢いよく散っている。