草の根フェミニズムのキリスト教化。 日本にキリスト教が上陸するかもしれない話。
フェミの主張がキリスト教保守に収斂されて行っている気がします。個人的には望ましいことだと思ってるので、今日までの歴史を備忘録。
ただ、これは完全に個人の偏見に基づく歴史観であって、女性史や歴史の正史ではないことを書いておきます。
腐女子の時代 BL全盛期時代 2000年代
まず、2000年くらいに、”セクハラ”という概念が一気に広まりましたね。それで、男は女子に手を出すのに億劫になった気がします。
その後、トレンディドラマのやたら金のかかるデートについていけなくなったオタク男たちは、萌えに活路を見出します。「萌え」ブームの時代です。あの頃で有名な作品と言えば「涼宮ハルヒの憂鬱」とか「らき☆すた」とかかな?オタク男の推移を負ってもいいのですが、主に女子の方に焦点を当てていきましょう。
で、それと呼応する形で腐女子という人々がBLコミックをインターネットで広めました。
そのタブーな恋愛観が女子に超受け。腐女子は一気に少女コミック文化の中心になります。当時の作品で言うと「となりのやおいちゃん」とかが有名かな?
完全に私の個人的経験則ですが、当時の腐女子は中高生が多かったような気がします。だいたい、「普通じゃない恋愛」「特別なあたし」にハマるお年頃。そんなものですね。
リベラルフェミニズム全盛期 LGBTこそ正しい性癖だ! 2010年からくらい
その後、大学に行ったとき、腐女子はBLを理論化します。
今見ると、正直、奇怪な怪文書としか思えないものを大学教授とか偉そうな人が延々と書いていたのですが、特にその中心には
「LGBTは正義! LGBTを肯定するBLも正義! だから腐女子は正しい!」と言うような、今見れば左に偏った主義主張(今から見ればWokeな価値観)でした。
こういう本とかよく出てました。
そして、「同性愛は異常ではない!」みたいな差別に吹き上がる人もいっぱい出てきました。
こういうのとか
こういうのですね。こういう言葉狩りして「あなた方は無自覚な差別者なのだ!」と声高に糾弾する、ソーシャルジャスティスウォーリアー的腐女子も出てきました。
腐ェミの誕生です。
腐ェミは怪文書で、様々なものをアクロバティックの糾弾したり、擁護したりする中で、己の地雷に的確に罵詈雑言を飛ばしていきました。
例えば、こういうのです
原作知ってれば、範馬勇次郎に「お願い、性的同意を取って」とか懇願するの、ただのアホだとしか思えないのですが、「他者を暴力で犯す範馬勇次郎」は彼女に取って、公式が地雷、だったようです。
こういう意味不明な人もいました。
表現の自由戦士の登場 エロいもので一杯の時代
そんな感じで、腐ェミは政治的発言もしつつ、すごい勢いで内ゲバもしていきました。(ちょっとこの辺そんな詳しくないですね。腐女子史観求む)
その間、男オタクとエロ絵描くオタク(女含む)はエッチな絵をいっぱい書いていきました。
そして、その「女のエッチな絵がいっぱいある」という状況は腐ェミにとって、極大の地雷だったのです。腐ェミはもう狂ったようにエッチ絵に罵詈雑言飛ばしまくりました。
そしてそのエッチな絵を擁護するオタクが出始めます。表現の自由戦士、の誕生です。表現の自由戦士は腐ェミを次々論破し、腐ェミをつるし上げていきました。
ここでは詳しく紹介しませんが「性的消費」とか「人工知能学会」とかで調べたらエロ絵を巡る、オタクと腐ェミの歴史がわかると思います。
ここからオタクと腐ェミは、エッチな絵(腐ェミには地雷)を巡った長い闘争の歴史に入ります。
結果から言えば、この闘争はオタクが勝利して、腐ェミはその文化的影響力を失います。
トランスと代理出産で内部分裂の時代
ここからはもう腐ェミかどうかも怪しくなりますが、ここら辺から漫画についての発言力を失った腐ェミやフェミも、内部分裂する大きなテーマが入ります。「同性婚」と「トランスジェンダー」です
従来の腐女子だったら、ホモはとりあえず肯定するし、イケメンに女装させるのも大好きだったはずなので、トランスジェンダーに肯定的でした。
しかし、同性婚の「代理出産の様子」と「トランスジェンダーが女子トイレに入る」と言う話が出始めて風向きが変わりました。
代理出産は「結局、女が生む苦しみを背負う」「女性が利用される」ということから逃れらず、更に、ゲイは女のあそこが苦手、という現実をまざまざ写し、トランスジェンダーでも女子をレイプする犯罪を起こしたり、ちんちん切り取らずに女子風呂に入ったりするトランスジェンダー、また、男女別協議で、トランスジェンダーとして、女子競技に参加する人など、の問題を浮かび上がらせました。
このあたりから、BLや「リベラルな価値観」はかなり急速に冷え込んでいったような気がします。
ジェンダー学者の衰退
そういう意味で、従来のフェミニストが掲げていたクィア理論、「全ての性が平等になる社会」というイデオロギーは非常に衰退します。
「全ての性」とは「性別とは男女の二つだけではない」という意味を内包しており、男女の二つのせいだけではない「変態(クィア)」な性も平等に扱え、という意味だからです。
これにはトランスジェンダーを忌避していたフェミニストは激しく抵抗感を見せます。
また、SNSで社会学者が論破されまくって醜態をさらしたのも、自体に拍車をかけました。
LGBTイデオロギーの否定 女性スペースを取り戻せ
そういう訳で、トランスも肯定するなら、LGBTイデオロギーなんか要らない、と腐ェミ。いや、元腐ェミたちはBLを投げ出しました。
そして、「女の権利を取り戻せ」と言う運動へと変貌しました。
理論的に言うなら、「ジェンダー」とはシモーヌ・ド・ボーヴォワールの作った概念で「女は女に生まれない。女になるのだ」という概念。つまり「女らしさは社会的に、後天的に得るものだ」という概念なのです。
そこから発展したのが「じゃあ、男も後天的に女らしさを得ることもできるよね?」ということや「女も後天的に男らしさを得ることが出来るよね」というジェンダーの理論でした。
ただ、現実から言えば、これは身体性の前に失敗したと思うのですが、彼女ら「市井の女たち」もこのジェンダーの理論を拒否し「生まれた時から女は女」と「性別は男と女の二つだけ」とジェンダーイデオロギーを拒否しました。
この時から思想が保守よりに傾き始めていました
変わらずエロは世の中に排出され続ける
腐ェミ、元フェミ、「市井の女たち」がめんどくさいことになっている間。男オタクはやっぱりエッチな絵に夢中でした。政治アカウントとかもありましたが、やっぱエッチな絵大好きです。
んで、たまに、フェミが絵を燃やすこともありましたが、描いてる絵師も女性であることが多々あり、月一回は燃えては鎮火を繰り返してました。私が思うに、アレはインフルエンサーの人が生理かなんかだと思います。
そして、世の中はエッチな絵でいっぱいになり、BLはなくなっていきました。
折れたフェミ エロの規制は無理だった
数々の闘争やアカウント凍結、内ゲバを繰り返し、腐ェミはついに折れました。エッチな絵にあまり文句言わなくなったのです。
今までのWokeな価値観とも決別。「ゲイだって女に優しくないし、トランスは女子風呂に侵入してくるし、変な恋愛なんてこりごり」と言う感じでしょうか。
じゃあどんなエロならいいのか キリスト教保守への目覚め
しかしなんやかんやで、「ヒトを吊し上げたい」という暴力性は変わりませんでした。そのターゲットに選ばれたのが、性犯罪者や小児性愛者です。
彼らの「異常な性欲」は存在してはならない、と攻撃が始まりました。
と同時に、裏を返せばこういうことになります。
「普通の恋愛ならいいよ」というイデオロギーです。
つまり、大量に流れるエッチ絵くらいならいいよ、程度のイデオロギーです。そこに、今まで培った少女漫画っぽい恋愛観が悪魔合体
「愛があるならいいよ。ただし、愛のない、小児性愛やレイプや権力差を使う恋愛は絶対ダメ!」という少しゆがんだ攻撃性を見せることになりました。なんか発想が乙女ですね。
この「愛のある性欲ならいいよ」という発想。私には覚えがあります
「キリスト教保守」です。
特にキリスト教は「愛」を強く教義として持っているので、こういうのと相性がいいのです。フェミニズムも、歴史的に矯風会という禁欲主義、反ポルノキリスト教団体と迎合してきました。BLから出発した腐ェミも、矯風会に合流した感があります。
実際、ローマ教皇はキリスト教の博愛主義、胎児の保護とかの教義とかと照らし合わせて、「代理出産はダメ」「同性婚ならいいよ」と見解を出しています。
ただカトリックは「”混乱をもたらさないなら” トランスジェンダーの人も洗礼を認める」としており、そこら辺はフェミの人と少し違うかもしれません。
今、静かにキリスト教が女性の間で広まっています。
これは長いエッチ闘争の末に互いの妥協点として出された「愛がある性欲ならいいよ」という男女の合意点だと思います。
恋愛文化のこれから
長い長い回り道の末「愛がある性欲ならいいよ」というなんか当たり前すぎる結論にたどりついた腐ェミたち。噂や仲間内で恋愛話を広げてきた。彼女らはこれからどんな恋愛話を広げるのでしょうか。
私は、これからの女性の恋愛文化の展望は明るいと見ています。
性的な悦びは神からの贈り物、とする教皇
修道女でさえエロを見る。”信仰が弱くなる”と警告する教皇
キリスト教の恋愛文化の導入
これから、恐らくキリスト教式、ヨーロッパ式の恋愛観、家族観が日本にも輸入されるでしょう。女性を誘う時はレディーファースト。なんか怪しい曖昧なマナーではなく。もっと単純な(お花送るとか)そういう古典的な愛の伝え方が広まると思われます。沈黙は銀とか、そういうのは古くなるでしょう。
また、プロムナードも導入されるかもしれません。リベラルな価値観や変な恋愛には多くの人が忌避感を抱いています。それを避けるために、プロムナードが模様されるかもしれません。これは主に欧米の学校の風習だったのですが、キリスト教の導入とともに、日本に来るかもしれません。
マッチョイズムも導入されるでしょう。もう、多少あるかもしれませんが、保守的な恋愛観が復活した暁に、男らしさを求める社会的風潮も復活します。
ここで言う男らしさは、衰退したトレンディドラマが押し付けた「誰も実践できない金がかかりすぎる恋愛法」ではなく、もう少し簡易的なものとなるでしょう。
しかしながら、一度導入したオタク文化は消えません。かわいい美少女キャラは、女性たちの間で残り、そういうエッチなものを楽しむ文化も決して消えません。そして、女性を誘う方法は形式化され、より簡易なものとなるのです
そんな感じで、女性の恋愛観、政治の流行とキリスト教保守化について論じてみました。
ぶっちゃけ、私個人が感じたことをまとめた怪文書になりましたが、女性が保守化し、キリスト教的な恋愛観を持っていること自体は私は望ましい傾向だと思っています。
追記、もはや泣きっ面に蜂な独身女性
2024年05/29追記
そう思っていたのですが、恋愛の展望が開けた若い女性と比べて、単身を選んだ女性の悲惨さがずば抜けています。
まず、独身女性を狙った詐欺が増加しました。
ロマンス詐欺、とも呼ばれています。正直、結婚相談所で真面目に相手を紹介することもなく、サクラだけで女性をつってるような業者もほぼ詐欺と言えるでしょう。
さらにひどい例になると、「詐欺で奪われたお金を取り戻します!」と銘打って、弁護料を取り、そのままトンズラする、という飛んでもない弁護士まで現れました。
もはや泣きっ面に蜂と言えるような状況。
そうでなくとも、お金を余した独身女性の金を狙っている人は大勢います。宗教の勧誘、怪しい”フェミニズムセミナー”どれも高額な代金と引き換えに”さみしさを埋めてくれる”ようなものです。
男性も”頂き女子”に騙されたりしますが、それはある程度セックスとかと等価交換で騙されるもの。こっちの「さみしさ」に漬け込む詐欺や搾取の方が、長期的で質が悪い気がしますね。
フェミニズムは今や、普通の女性からも厄介者扱い。フェミニズムという独身女性を増やした壮大な社会実験は、独身女性を孤独と詐欺師に囲まれて暮らすような悲惨な境遇に叩き落して終わった気がします。
彼らのおかげで、若い女性は「私は結婚しなきゃ!」と思ってくれるので良いのですが、流石にかわいそうになってきましたね。
私も男性なので、そういう情が沸くのでしょうか。まぁ、救う手段はなさそうなのですが・・・