(短編小説)ひまわりベンチ(1)
連日残業続きの土曜日もようやく終わり、明日はお休み。
千里はコンビニに寄って、ポテチ2袋と缶ビールを買い、車道より1段高い川沿いの、桜並木の遊歩道を歩いて帰る。すでに外灯がともり少し暗いし、桜はとうに散って青々とした葉桜。しかし、千里はこの時期、木々に集う毛虫のかたまりを見つけて身震いするのが好きなのだ。
(どうかしてるわ、私)
おそるおそる桜の木に目を凝らして歩いていると、突然後方から声がした。
「すいませーん。お釣り、忘れてますよぉ」
振り返ると、ガタイの良い青年が駆けてくる。そういえば、前にも忘れた記憶がある。残業が続いたこの季節だ。
「さっきコンビニのレジで、私の前があなたで。お釣りを取り忘れたみたいですね。私のお釣りを差し引いた分です」
千里と同年代と思われる青年が、小銭の乗った手のひらを差し出した。
「え~わざわざすいません。うっかりしてて。ありがとうございます」
千里はカバンとコンビニ袋の取っ手を腕に通し、恐縮しながら両手のひらでお釣りを受け取った。なんだか、得した気分だ。
アパレル業界に務める千里には、青年の着ているウインドブレーカーの下の制服が、地元の消防署のものだとすぐにわかった。息も切らさず追いかけて来て、簡潔明瞭な説明もさすがだと納得する。
「それと、うかがいたいことがありまして」「はい、何でしょう?」
青年は、意外な話を切り出した。
この遊歩道にあるベンチの横で、おばあさんが地面に大の字で寝ていなかったか?タクシーを呼び、一緒に車道まで降りて乗せてくれるまで、手を取って介抱してくれた女性がいたのだが、それはあなたではなかったのかと。
そうそう。あれは桜のつぼみがほころび始めたある夜の帰宅途中、倒れてる人がいる!大丈夫ですか!と声をかけたみたら、びっくりするもすぐに立ち上がったおばあさんがいた。でも少し様子がおかしかったのを覚えている。
「確かに私ですが、何故それをご存じ?」
「実は私の祖母でして、髪の長い凛とした女性が助けてくれたと言うものですから、もしかしたらと」
「凛とした女性?が、お釣りを忘れるの巻。お恥ずかしい限りです」
そう笑って答える千里の脳裏に、あの夜あの後の疑問が蘇ってきた。
「そういえば、自宅まで車で10分ですっておっしゃってましたが、タクシーアプリの到着のお知らせ時間が随分と遅かったので、気になってました」
「それが、祖母は少し痴呆がありまして、自宅が分からなくなることがあるんです。運転手さんに上手く説明出来なくて、交番に連れていかれて、結局私が迎えに行きました」
「そうだったんですか。。」
あの時、タクシーで帰りますと言うおばあさんを見送ったものの、事情を聞いて他の対応が出来なかったかと、今更ながら千里は申し訳ない気がしてきた。
「祖母は、あの人にまた会えたら、ちゃんとお礼を言いたいと云ってました。本人になりかわり、お礼申し上げます。祖母のこと、助けていただき、本当にありがとうございました。今日、思いかけずいい機会が持てて良かったです」
青年はきっちり頭を下げると、では。と踵を返して行ってしまった。
(丁寧すぎる~機敏すぎる〜まさかどこかで火事なの?)
千里はまだ聞きたかった。どうして大の字に寝てたの?もし自宅がわからなくなって途方に暮れてたとしても、地面には寝ないでしょ?地団太を踏んで転んだの?それよりきっと、あのベンチまわりには、あのおばあさんにとって大事な何かがあるに違いないと千里の勘が訴えている。
(今度わざとお釣りを忘れてみようかしら)
地元の消防士さんなら、またどこかで会えたら声をかければよいではないか。もう1人の千里がそう云うのだが、これで意外と人見知り。でもやっぱり、本人以外には大の字寝の謎は永遠に解けない気がするから、青年に真相を聞いても無駄かもしれないと一人結論を出した。
(だから今日は帰って1人ポテチパーティして、明日はゴロゴロディ!)
毛虫のかたまりの捜索も諦めて、千里は帰宅の足を早めた。