子供じゃない、「小さな人」と思えば納得できる事柄の数々
12月初め、大阪にて。
今日は友人と待ち合わせだったので、コンビニで商品を選んでいたら、
4歳ぐらいの男の子が、足を踏みつけられました。
そして、私の顔をじろじろと見てくるのです。
「やめて!」と低い声でいうと、ぱっと足を離すけど、また、じろじろと見ながら踏みつけてくる。
その目をきつく睨みつけながら、うんと低い声で「やめてくれる?」と言ったら、
母親らしき人が「あら、Yくん、何してるの。やめなさいったら」
私が怖い顔をしているのに気づき、ふてくされたように「あー、すみません」
そう言って、そそくさと子供を連れて去っていきました。
その子は「あのおばさんが、先に足を踏んだ」と嘘をつきました。
あんたたちのご機嫌をとるために、あたしはこの仕事をしてるわけじゃない。
私は20代はじめの頃、保育士のアルバイトをしていました。
でも、子供を見たら無条件に「わー、可愛いー!天使みたい✨️」と笑顔になる人では、全くありません。
むしろ、子供に対しては、かなり厳しいと思います。
いじめをする子、「ありがとう」「ごめんなさい」を『言えるのに、言おうとしない』子に対しては、雷を落とすことも日常茶飯事でした。
それだけ真剣に向き合ってるから、怒るんだよ
俳優の故、高見映(高見のっぽ)さんは、子供を「小さな人」と呼んでいました。
そこには、『子どもを子供扱いしない』高見さんの一貫した、誰に対しても対等な目線と、厳しさがありました。
小学生の時に、とある保護者向けのコラムで高見さんが書かれたものを読みましたが、
イベントに参加した保護者の方へ、そしてイベントにやってきた子どもたちの身勝手な振る舞いに関して、
かなり辛辣な意見が書かれていて、📺️『できるかな』の、のっぽさんのイメージとかけ離れていたことに驚いたことを覚えています。
しかし、学校の教室で暴れる子どもたちを横目で眺めていると、子供心に「のっぽさんが、あれだけ怒るのも無理はない」と思えたのです。
これじゃ、猿の惑星と言われても仕方がない。
今日、ぶつぶつ文句をいうあの子を連れて行った母親は、どんな女の子だったのか。
あの子は将来、どんな大人になるだろう。
ふと頭をよぎりましたが、考えるだけ馬鹿馬鹿しいのでやめました。
どんな大人もみんな、等しく子供であり『ちいさな人』でした。
そして、しつこい嫌がらせをしてくる子ども、噂話が大好きな子ども、嘘ばかりついて上手に立ち回ろうとする子ども、
おちこぼれのみそっかすで、泣き虫な子供だった私のまわりには、そんな子たちが始終、取り巻いていました。
本当は、『大人』になんて、誰ひとりなれてない。
ほとんどの子は、みんなそのまま大人になりました。
嘘つき、意地悪、噂好き。
そして、お父さん、お母さんになりました。
親の躾、環境の問題、いろいろ理由はあるでしょう。
でも結局は『小さな人』である彼ら自身が、人生のどこかで気づいて、自分を省みないと、いつまでも『大人』には、なれないのです。