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グレートリセット『資本主義の崩壊』
グレートリセットでやってくる資本主義の崩壊。
資本主義の崩壊はもう始まっており、そのスピードは加速しているように感じる。日本で起きているその現象を下記に記していく。
(1)分業制の増加それによる職人の減少
寿司、鰻、大工などの職人が減少している。
これは人間が技術を身に着けることの減少ともいえる。
効率化と生産性によってそれを身に着けず、外部委託するようになった。
大工は一人前になるまで10年などと呼ばれていたが、最近では5年でなれるようになってきた。
それは現代の大工が組立しか行わないからだ。
柱やパーツを現場で成形することをしない。
もう工場でパーツは成形され、それを組み立てるだけだ。
昔の職人なら現場で顧客の要望を
聞きながらその都度修正していくことができた。
それが顧客の要望を最初に聞いて、その通りの商品を建設するだけになった。
分業制によって失われたものそれは顧客のためにという想いとそれによって
生まれるサービスである。
家を建てることもそもそも顧客のために建てるのである。
顧客に寄り添い、顧客がどういった生活をしたいのかなどを聞いたうえで職人がアドバイスや修正をしてこれた。
「顧客が不在な構造になってしまった」
顧客との関係性が金銭だけの関係性になってしまったのだ。
(2)食の分業制
大工だけの問題ではない。
食にもこの分業制は侵食してきた。
江戸時代の頃の農家は大量にできた野菜は、市場に持っていき売っていた。
つまり自分で育て、運び、販売をしていたのだ。
しかし現代は分業制になり、農家は育てる専門。
運ぶのは運送業者。
販売はスーパーが担うようになった。
スーパーで安価に野菜が購入できるので、とても便利な社会になったと言える。しかしそれによって失ったものがある。
農家は自分で販売をしなくなったので、顧客の顔が見えなくなった。
そうなると野菜への責任感はなくなる。
大量に農薬を散布し、化学肥料を撒くようになる。
自分が販売していたら、恐らく罪悪感でできなかったであろう。
農家は大量に野菜を作ることが目的になり、最終的な顧客のことは考えなくなった。
運送業者もこれを運ぶだけ。
中身がどんな内容なのかは知る由もない。
販売をするスーパーは顧客の為を考えるなら、農薬たっぷりな野菜は仕入れない。しかし安価に売れる野菜は集客にもつながる。
またそこにいくらでも利益を乗せることが可能だ。
スーパーにとってはこんなに都合の良い商品はない。
つまり農家も、運送業も、スーパーも自身の利益のため働くようになった。
(3)分業制の崩壊
近代はずっとこれが続いてきた。
この要因は通貨の信用度の高さにある。
通貨が絶対的に価値があったので、
分業制は成立してきた。
逆に通貨の信用が低いと分業制は成立しない。
何故ならその通貨で自身の生活を担保しているからだ。
運送業は運ぶことで通貨を得ている。
その通貨で自身の生活をしている訳だ。
しかし通貨の信用が下がり始めると、自身の生活が低下していく。
生活ができなくなれば、運送は行わなくなるだろう。
農家も同様だ。
大量に生産して販売することで、通貨を得ていた農家は、
通貨価値が下がれば、野菜を作らなくなる。スーパーも同じ。
サプライチェーンの崩壊や農家の減少。
報道では人手不足や高齢化が問題となっているが、
一番は通貨価値の低下とそれによる分業制のシステムの崩壊だろう。
利益追求型資本主義の転換点に入った今、
生き方そのものが問われている。
これまでの自身の生活を外部委託する時代は終焉を迎えている。
「生活」とは生きる活動である。
それを外部に委託してきたのだと自覚する必要がある。
食事も外部委託し、水道、電気、ガスも民間業者に委託している、自分の人生なのに生きることを他者に預けて良いのだろうか?
子どももベビーシッターに預け、教育は学校と塾に任せきり。
家族も外部に委託するのか。
政治も政治家に任せきり。
自分とは一体なんなのだろうか?
全て外部委託してきた答え合わせが今きている。