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No.15 土地の話。

土地と言っても住宅街では出来ない問題もあって、かといって山の方に行けばいくほど国立公園内だったり、山側の土地の価格は田んぼの価格が基準となっていて結構手が出ないくらいの価格。さらには東川町の土地が値上がりもあり手が出ない価格帯を提示されることもあった。

事業所の土地をそのまま譲渡してくれた

僕が航空写真から、そしてアクセス、原木椎茸を作っている山の近く、公共の公園があったりとアクセスがすごくいい場所を目指していた。
しかし、最初は現牧場の隣の土地を買おうと思っていた。直前になって破談した。

土地の所有者を調べ、手紙を書き、送ったところで。
近隣の方が畑をしていたので、「あの土地は誰のでしょうか?僕、欲しいと思っていて」
以前のnoteに綴っているが、突撃電話からの訪問をやっていたので全然躊躇がなかった。たまたまそこの畑で作業していた方に尋ねるのは格段問題はなかった。
そこから話はとんとんと進んで、後日お電話をいただいた。
あの土地で放牧豚をやりたく思っていて、もしよろしければ一度お会いしてお話をという流れで。
所有者の方は、東川町ではなく少し遠いところに住んでいたので電話での話と旭川にくる用事の際に会う約束をした。

ドキドキの初めまして

土地探しを始めて1年以上経過していた。
どうしても手に入れたい土地だったのでお会いするまでドキドキの感情のまま車を走らせた。昨日のことのように覚えている。
そこでお会いした方は僕よりも年上の方で、非常に物腰の柔らかな方だった。電話越しの声よりももっと柔らかく、今思うとマシンガントークのように話し切った。
このように放牧豚を副産物で育てて、東川町にはない畜産という業種を行いたいと熱く語った。
最初、買わせて欲しい気持ちでなんとか、、買えるように包む感じで話そうか?なんて向かう車の中で考えたが、今後この土地で炭豚を誇れるものにしようと思ってるのに変な話では真っ直ぐには進めない…そんな事考えたら全て正直にストレートにぶつかり稽古のように当たって砕けろと思っていた。

返答を待つ前に帰り際に”阿部さん、若い力で精一杯挑戦してみてよ。僕には今利活用ができないから阿部さんに任せるのでお父さんの土地を有効活用して地域(東川町)で頑張ってよ”
帰りの車はガッツポーズといよいよはじまるな、、、という気持ちで少し感動しながら応援してくれている方に連絡入れたのを覚えている。

札幌の友人の会社を使わせてもらい、社労士さんを交えて契約完了。
2024年2月に無事に土地をゲットする。
それまでにかかった時間は一年半を有していた。

焦って決めずに、時は来るはずだと心のどこかで思っていた。この土地が決まらなかったらどうしよう?なんてことは頭に一ミリもなかった。


冬の放牧地。

傾斜があって、段々畑をしていた場所。
適度に木があり、木陰、あとは立木を利用した放牧ができる!
平地もあって日陰もある放牧向きだ。
諦める事は無かったが、逆転満塁ホームランのような気分だった。
だからこそ、この土地に何かを感じてる。そして、最高な居心地のいい空間にしようと思えた。

道路からすぐなので豚が走り回っているところが車から見える。
そんな土地があったら最高だな…
こんな場所でやれるのか!やってしまえるのか!!

観光化やアクセス。
東川町でも絶好な場所だと思った。

ここから開拓が始まり、数ヶ月後には気づいたらスペインに行っていた。
これだから人生何があるかわからない。
急激に急速に楽しさと刺激が複雑に入り混じって色濃い人生に拍車をかけてくれる事になっている。

No.16 土地開拓。
に続く

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