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キズカの紹介6〜東南アジア旅

最初にベトナムに着くと、すでに夜でホテルの予約も特にしていなかった私はさてどうしようと考えていると、近くにいた大学生くらいの子に、声をかけられました。

とりあえずその子について行くと、片言の英語で、今日寝る場所を貸してあげると言ってくれました。

私は優しいなぁと思いつつその子のバイクに2ケツして夜のベトナムの街を走り、その子の住んでいるマンションに行きました。行ってみて驚いたのですが、数人がみんなベッドなどなく床で雑魚寝しているのです。

とりあえず私も毛布だけもらい同じように雑魚寝します。

旅の疲れからかその日はすぐに寝てしまいました。

次の日、その友達は大学に行くと言うので、門の前まで一緒に行ってそこでお別れです。

携帯のアドレスを交換したので、終わったらまた連絡すると言って行ってしまいました。

とりあえず右も左も分からないのでGoogle MAPを片手にウロウロその辺りの店を巡っていると、突然バイクに乗った2人組が私が手に持っていた携帯を取ってそのまま走り去って行ったのです。

唯一の情報手段である携帯を取られた私は、とりあえずバイクを追いかけようとしましたが、全く追いつけません。

途方に暮れていたその時、近くにいた女の子が日本語で話しかけてきてくれたのです。

あ、日本語と思い私が事情を説明すると、「とりあえず警察に行こう」と言って、警察署まで連れて行ってくれました。そこでベトナム語で向こうの警察官に事情を説明してくれ、盗難届を提出しました。

ただ、それでも帰ってくる確率はとても低いらしく(実際帰ってくることはなかった)、救いはその子に会ったことでした。

とりあえず手続きを一通りすませた後、私はその子に日本語上手いね。と言うと、「日本語を勉強しているから。もし良かったら来る?先生に紹介したい。」というので特に予定もなかった私は案内してもらうことにしました。

連れて行かれたのは大きな一軒家。

ベトナムだとかなりお金持ちの部類に入るであろう大きさです。

海外で日本語教師はもうかるのかな?

私はそんなことを考えながら、部屋を進んでいくと1つの部屋に人が集まっています。

前にはホワイトボードがあり、ここが教室だと一目で分かりました。

どんなことをしているんだろう?そう思って近くにいた子の教科書を見ると、日本語で書かれています。

内容は小学校低学年くらいのものでしょうか?(後になって、N5レベルと知る)それを大学生から社会人1年目くらいの人が5、6人でやっていました。

しばらくすると先生らしき人もやって来ました。

先生は、「今日は本物の日本人の人が来てくれました。本当に本の通りか実際に聞いてみましょう。」

そう言って、私を椅子に座らせました。

していることは、日本人なら普通に分かる内容だったので、教科書を元に色々伝えていきました。

そして最後に私が、「皆さん日本に来たいですか?」と聞くと、みんな目をキラキラさせて、「行きたいです。」と答えました。

授業が終わると、晩御飯をご馳走してくれるらしく車に乗ってお店まで向かいます。

お店ではみんなでお酒を飲みながら色々語り合いました。

そこで、驚きの料理が。

一見普通の生卵のような卵だったのですが、殻を割ると半分ひよこになりかけの雛がいたのです。

うわっと思いましたが、ベトナムでは客人をもてなす時に出す料理だそうで、すごい勧めてきたので嫌とは言えずとりあえず食べてみることに。

滋養強壮にすごい良さそうだと思いながら、骨以外は美味しく頂きました。

食べると普通の卵と同じように美味しく食べられます。

みんなでワイワイ言いながら食べるご飯はとても美味しく、すぐにお別れの時間になりました。

彼は一応紙にみんなの連絡先を書いてもらって、その日泊まるホテルも教えて貰って、お別れしました。

携帯を無くしたことは災難でしたが、そのおかげで素晴らかしい人達に出会えた1日でした。次の日は1日撮影をしました。

その次の日、私はバスでベトナムから国境を通ってカンボジアに入りました。

カンボジアに行くのは実は2回目。

1度目は大学の時にゼミ旅行で行ったのでした。

ただ、1度来たことがあるとは言っても、前回は大人数でガイドについて行けば良かったですが、今回は1人。

ただ、事前に調べておいた日本人がオーナーのバックパッカーズカフェに何とか無事到着することができ、カンボジアではしばらくそこで出会った日本人と行動を共にします。

そしてアンコールワットはもちろん、その近くにある遺跡に、大きな屋台村に、ナイトクラブにと色々行きました。

もちろん今回の旅の目的である撮影もしっかりとこなしまた。

カンボジアの子供達はとても人懐っこく、またしっかりしています。

貧困もあって、小さい時から学校に行かず働いているのです。彼は撮影のお礼に持っていた飴玉を配りました。

またカンボジアではコオロギをツマミとしてボリボリ食べていました。

エビみたいに香ばしくてなかなか美味しかったそうです。

そうしてカンボジアも満喫したので、次はラオスへ。

ラオスに行く途中でカンボジアの幼稚園にも入らせてもらい撮影しました。

カンボジアとラオスの国境は川です。

川を挟んで違う国というのは日本ではありえないので面白いと彼は思いました。

ラオスはあまり知られていませんが、結構な仏教国で朝から托鉢を持ったお坊さんが町を歩き周り食べ物や飲み物などのお布施を貰いながら巡回します。

その中には子どももおり、私は夢中でシャッターをきりました。

ラオスでは小学校にも行かせてもらい、ラオスの子ども達と交流しました。また、ラオスで有名な観光地に行ったり、フリーマーケット市場に行ったり、小さい国ではありますが、とても楽しく過ごせました。

また大きな川魚の塩焼きの料理が、意外に生臭くなくて美味しかったのも印象的でした。

ラオスの次に向かったのはタイでした。

タイの中でもまずはほぼミャンマーとの国境が見える町に行きました。

そしてそこから南下していきます。

まず、北部になぜ行ったかと言うと、あの有名な首長族のいる村があると聞いたからです。

現地の人に聞いて、ツアーの形で首長族のいる村まで連れて行って貰いました。

ツアーと言っても私1人でなおかつ首長族のいる村では基本的に自由行動です。

そこでは1つの山に首長族を含めた色々な民族がそれぞれ自分の敷地で暮らしていました。

だから首長族以外にも沢山の民族に会うことができました。耳に大きな穴を開けてそこに色々突っ込んでいる民族や、体に沢山の入れ墨をしている民族、色んな楽器を演奏する民族など本当に個性的で、特にそんな民族の子ども達はとても珍しいと思い沢山写真を撮りました。

ちなみに首長族で首にリングをしているのは女性だけで、小学生くらいから首にはめていました。

それ以下の子どもは何もしていません。男はというと普段は山を降りて働きに行っているそうで、子ども以外の男はいませんでした。

タイではその山の見学や、大学、そして小学校を見学しました。

そしてある程度写真も溜まってきたので、そろそろ帰ることに。

しかし、またここでアクシデントに襲われます。

最後の日はバンコクで過ごしていたのですが、そこで何と歩いていると車にはねられそうになったのです。

車の運転手は急いで車から降りてきて、英語で「大丈夫か?」と聞いてきました。

私は少し痛かったのですが、「大丈夫です。ありがとう。」と言って行こうとしたのですが、足を引きずるようになってしまい、それを見た運転手は車で病院に連れて行ってくれました。

そこで私はタイで始めてレントゲンを撮りました。

結果は以上なし。

私よりも運転手が良かったと安心していました。

その後晩御飯までご馳走してくれ、最後はとても仲良くなってお別れしました。

色んなことがあったけれど楽しい東南アジア旅行でした。

また、子どもはもちろんなのですが、それ以外にも沢山の人と出会うことができた旅行でした。

そういう意味では初日に携帯を無くして良かったかなぁと後になって彼は思うようになりました。

きっと携帯があったら携帯ばかり見て、ここまで色々な人と出会うことはなかったでしょうから。


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