今更になってプリキュアにハマってしまった件

最近プリキュアシリーズにハマってます。ドがつくほどのどハマりです。
自分は、小さい頃に戦隊シリーズと仮面ライダーはまあまあの年齢になるまで見てたんですが、女児アニメはおジャ魔女どれみをちょろっと見てた程度で、ふたりはプリキュアは一回も見たことなかったです。オタクになってから、たまにSNSで(キュアピースとか)プリキュアシリーズが話題になると気になってチェックしてたこともあるんですが「まあ子供が見るアニメだな…」って感じ数話で脱落することがほとんどでした。

それが去年のひろがるスカイプリキュアは結構楽しめて(それでもちゃんと見てたのは半分くらいです)、今年のわんだふるぷりきゅあは1話から全話見てます。プリキュアの楽しみ方が分かってきたのでシリーズを遡って、ひろがるスカイプリキュアの見てない部分、デパプリ、トロプリ、ヒープリ、スタプリ、ハグプリの6シリーズを見終わりました。なので以下のプリキュア雑語りは、わんぷり含めた直近7シリーズだけの感想になります。逆に戦隊やライダーはビデオで見てた昭和と、リアルタイムで見てた平成中期くらいのイメージで語ってます。

プリキュアが戦う敵

自分の見ていた仮面ライダーが戦う相手は、ショッカーに代表される「悪」の組織か、「別の正義」でした。ライダーは戦いの中で相手を打ち倒し、怪人を爆死させます。方やプリキュアが戦う相手は基本的に「負の感情」をモチーフにした怪物や敵、あるいは「負の感情」そのものです。ウザイナー、ザケンナー、コワイナーのように分かりやすくチクチク言葉の敵キャラもいますが、「大事なことなのに勇気がなくて最初の一歩を踏み出せない」「今に絶望して未来に希望が見出せない」といった「負の感情」のこともあります。そのような負の感情は大人でも、あるいは大人だからこそ女児より持ちうるもので、自分も結構見ていて刺さるものがあります。毎日、負の感情に負けっぱなしなので……。

プリキュアが打ち破るべき敵が「負の感情」である以上、ライダーと比べると敵を殺すことはかなり少ないです。まあまあ笑えない悪事を働いた敵でも和解エンドになることが多く、プリキュアは敵を殺す武器を持たないというメタ的なルールもあるそうです。例えばハグプリのエールは相手を切り裂く剣の武器を授けられますが、「それは私がなりたいプリキュアじゃない」と拒否します。「罪を憎んで人を憎まず」とは違うかもしれませんが、プリキュアが戦う相手は悪党でなく、悪党が持つ「負の感情」で、決着は敵の消滅(殺害)ではなく「浄化」で決まります。

しかし例外もあるもので、ヒーリングっどプリキュアは敵幹部を全員浄化、と言えば聞こえは良いものの、全員消滅させていました。中には「助けてくれ」と命乞いする相手の差し伸べる手を振り払ったこともあり、放映当時はかなり議論になったそうです。通称ダルイゼンショックと呼ばれるもので、諸々の事情を考えればグレースの選択は尤もなものなのですが、そもそもストーリーの中でそういうトロッコ問題的な2択を生み出したのは女児アニメにしてはなかなかに挑戦的だと思います。

「負の感情」が敵である以上、プリキュアは「正義の味方」ではなく「幸せを分け合う」「勇気を出して一歩を踏み出す」、「未来の希望を信じる」などの「正の感情」を象徴する存在になります。去年のひろプリは「ヒーロー」をモチーフにしていますが、スカイ達が目指すのは改造人間を爆発四散させる「正義のヒーロー」ではありません。作中でも「ヒーローとは悪を倒す存在ではない」とはっきり提示されています。「自分が正しいと思ったことを行う。その上で正しいとは何かを考え続ける」それがソラ・ハレワタールが目指すヒーローです。ヒープリでも「生きることは戦うことだ」と叫ぶビョーゲンキングに対し、グレースはそれを一部肯定しつつ「戦うのは勝つためじゃない、負けないために。私が健やかに生きるために、大好きな人が健やかに生きるために」と反論しています。

プリキュアのメインターゲットは一桁年代の女児なので、そのくらいの子にも理解できるよう主張はかなり真っ直ぐ伝えられます。どのシリーズでも終盤で正の感情をストレートにぶつけられると、結構胸にくるものがあります。プリキュアが表現する「正の指向」「正の感情」は自分には正直眩しすぎる。女児アニメと侮っていましたけど、21年間も女児に愛されるだけあってやっぱり面白い作品だと思いました。

ポリコレとプリキュア

X(旧Twitter)ではフェミニズムやポリコレに関する議論が盛んです。オタク界隈ではフェミニズムとポリコレはマイナスイメージで語られることが多く、少なくとも自分のタイムラインではその傾向があると感じます。しかし初代プリキュアが「女の子でも暴れたい」というコンセプトから始まったように、プリキュアシリーズがフェミニズムとポリコレ色が強いです。プリキュアと同じく変身ヒロインの金字塔のセーラームーンも戦う女の子ですが、セラムンは女のピンチは男のタキシード仮面が助けにくるというお約束がありました。一方で初期プリキュアでは男戦闘キャラはほぼ排除されています。製作陣がフェミニズムを直接的に意識していたわけではないようですが結果的にプリキュアは女性のエンパワメント、つまり視聴する女児たちに「男に助けられなくても女の子は強い」という自信を与えることになりました。

一方でプリキュアは「女の子なんだから〜しなさい」というジェンダーバイアスを忌避する傍ら、育児要素をかなりいれてきます。フェミニズムでは「母性」は、男性優位の家父長制社会の中で涵養された後天的な感性と考えられています。つまり「女性が子供を愛らしいと思う」、「女性は出産・育児に幸福を覚える」のは生まれつきのものではないと言われます。しかしプリキュアではハグプリでのはぐたん、デパプリのコメコメ、ひろプリでのプリンセス・エルと赤ちゃんがたくさん出てきます。ハグプリではプリキュアの出産シーンを綿密に描写するという衝撃展開までありました。ハグプリで「赤ちゃんはみんなで育てるもの!」というセリフがあり、実際にかなり大人数でハグたんの世話をしているように、「育児は女の仕事」という価値観はちゃんと回避されつつ、育児・出産を楽しいもの、未来を広げるものと描写しています。古くはセーラームーンのちびちびやおジャ魔女のハナちゃん幼児・赤ちゃんキャラが出てきて主人公が育てるというシリーズがありました。女児アニメの育児・出産礼賛はフェミニズムの主張とはズレる、結構特徴的な要素だと思います。

また最近のプリキュアはかなり意識してダイバーシティ(多様性)やジェンダー問題などのポリコレ要素を取り入れています。とりわけスタプリとハグプリはポリコレ色が強烈で、一部大友視聴者から反感を買っていたそうです。「女の子(男の子)がそんなことをするものじゃない」とのジェンダーバイアスの押し付けを克服するマシェリやアンフィニ。外国をルーツに持つソレイユが日本社会で抱く苦悩。移民問題で故郷を失ったカッパード、ルッキズムで差別されるテンジョウなどなど数え上げればキリがありません。説教臭いと言われても結構否定できないところがあります。

一方で、プリキュアシリーズで最も重要視されているのは儲けです。スポンサーが付いている商業作品だから当然といえば当然なのですが、制作にとっては視聴率やサブスクのPV数、特にバンダイのおもちゃが売れるかどうかが一番大事です。ポリコレ要素を大量にいれつつ、商業主義を貫徹させるのは良い形だと思います。ハグプリの制作インタビューでは「ジェンダー問題に切り込むつもりはない」とすっとぼけたことを言っていますが流石に無理がありますね。おそらく現在の「ポリコレ」や「ジェンダー」という言葉についた手垢でプリキュアを純粋に視聴できなくなることを厭ったんじゃないでしょうか。あくまでプリキュアは、女児にとっては「お勉強」でなく「楽しいアニメ」、製作陣にとっては「イデオロギー普及」でなく「儲けるための商品」。そのスタンスを貫いた上で政治的正しさをふんだんに盛り込んでいくのはコンテンツとポリコレの擦り合わせの理想的な形の一つだと思います。


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