03 鈍感は愚か

 入部初日から過酷なトレーニングが待っていた。放課後、1年生は上級生の練習には入らず、校庭を10週走った後、ピロティと呼ばれる体育館下のスペースで、ひたすら腕立てやら腹筋やらを繰り返した。

 何がきついかというと、ケガで練習に参加していない上級生が2.3人、指導役として付きっきりで監視しているのだ。上級生から見張られる筋トレほどしんどいものはない。

 トレーニングは上級生たちの練習が終わるまで続き、それが終わったら上級生と一緒にグランド整備して、最後に全体ミーティングのような終礼をして終わるというのがルーティーンだった。
 終礼では先生がいつも色々な話を語り聞かせてくれるいわば教えを説くような時間でもあった。

 初日の終礼で先生が話した事を今でもはっきり覚えている。それは野村克也氏の著書から用いた「人として最も愚かな事は鈍感であること」という言葉だ。グランドに限らず学校生活でも、常にアンテナを張って、周囲の変化に気づきなさい、人の気持ちに気づきなさい、それが必ず野球に繋がるからという熱いメッセージだった。武道場で怒鳴ったのは周囲に気づけない生徒の鈍感さを叱ったのだった。

 僕はいつも先生の話に聞き入った。家に帰ると時々、晩酌中の父親に先生の受け売りの言葉を話し聞かせた。父親は酔っ払いながら、いい先生に出会った、おおいに頑張れと励ましてくれた。

 終礼はいつも陽が落ちた薄暗い中行われた。先生はいつも一脚のパイプ椅子に腰かけ、僕たちはそれを見上げるように体育座りをして聞いた。グランド横のわずかな街灯の灯りだけが、先生の陰をくっきりと校舎に写していた。


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