パーティーが終わって、中年がはじまる
やられた
まず、最初に思った感想はそれだ。
今週の積読チャンネルで取り上げられた「パーティーが終わって、中年がはじまる」を近々読もうと思っていたのだ。
近所の図書館に蔵書されてるじゃん、借りて読もーっと思っていた。
でも、すぐには読めず予約だけして待っている状況だった。
そんな矢先、積読チャンネルで紹介されてしまい、冒頭のやられたという気持ちになった。
出来れば読んでから動画観たかったが、しょうがない。
結局動画を観てしまい、ネタバレを感じつつ後追いでこの本を読むことになる予定だ。
動画についてもいろいろと書きたいことがあるが、やはり本を読み終わってからあわせて感想を書きたいなと思う。
それよりも書きたいことがあるのだ。
ここ数年僕が1番悩んでいたのが、この中年が始まるという感覚だった。
少し自分語りが多くなってしまうが、ご了承いただけたらと思う。
ここ2年くらいで大きく身体の衰えみたいなものを感じていた。
より正確に言うならば、性的エネルギーの減退に伴う生きる意欲の減退。
女性の方はよくわからないが、男性は概ね中学生くらいから性的なエネルギーに目覚め、女性にモテたいとかかっこよくなりたいとか思うようになり、人格形成や成長を遂げておとなになっていく。
つまり、青年期?までの人格形成の大きな要素がその性的エネルギーに支えられているとも言えるのだ。
その大本の屋台骨が崩れ始めるとき、それまで重要と思えたモテたいだったり、カッコよくなりたいなんて気持ちも薄らいでいく。
それが、男性にとっての中年が始まっていくということだ。
最近そういう結論に至った。
僕の場合は全てがどうでもよくなる感覚をここ2年
で感じるようになり、そもそも生きる意欲の低下
に悩み続けていた。
生きる意欲の低下は全ての物事への関心も薄くなり、感情もなくなっていく。
そんな自分が嫌でしょうがなかった。
そんなある日、転機があり、趣味こそ人生において重要なのではと思い至ったのだ。(この部分はいずれどこかでまとめたいと思います)
じゃあ、なにをやるかと思った時日記を書きたいと思った。
そこで始めたのがここのNoteだ。
最近になり、Noteをはじめて良かったと思っている。今まで見過ごしてきた日々の喜びを記録出来て、カッコよく言えば過去や未来の自分に出会えるのだ。
さらに、今まで性的エネルギーに支配されていていたが、子供の頃のように純粋な知的好奇心と直接向き合えるポジティブな面もあると感じている。
この世はほんの少しの能動性で見え方がガラッと変わる。
中年には中年の人生の楽しみがある。
そんなことを改めて考えていきたい。