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シャニマスが最も輝いていた時期はいつなのか


【参考】超早わかりシャニマス史
2018年 enza版ゲーム配信開始
2019年 ストレイライト追加
2020年 ノクチル追加
2021年 シーズ追加/声優が1名交代
2022年 何かあったっけ……
2023年 5thライブの演出が賛否/斑鳩ルカ追加
2024年 コメティック追加/アニメ/新作ゲーム
2025年 LME(ARライブ)の演出が賛否



 もちろんどんなものであれ、現在は醜く過去は輝いて見えるものです。ファイアーエムブレムの古参ファンからアメリカ大統領まで、誰もが口を揃えて「昔はよかった、昔に戻れ」と主張し続けています。しかしそういう議論の多くはやはり多分に感傷的であって、よかった時期とは具体的にいつでござるか、それはおぬしの個人的な愛着ではござらんか、という疑念はやっぱり出てくるわけです。

 だから、この記事がタイトルの時点で前提としている「シャニマスの全盛期は過去に存在する」(=今はそうではない)という立場もまた感傷的なもの、限られた観測範囲の中で作られた認識にすぎないのかもしれません。しかし実際、現在のシャニが全盛期だ、と自信をもって言い切れる人がどれだけいるんでしょうか。やっぱり数年前はもっとずっと盛り上がっていた今は元気がないというのが、ほとんどの人の偽らざる本音ではないでしょうか。しかもその盛り下がり方は、はっきり目に見えてわかるほど急激なものだったように思います。

 どう例えればいいんでしょうか。どんな学校にも「変人だけど、やるべき時はやる」みたいなタイプの人気者が一人はいるものですが、そういう人気者は、肝心の「やるべき時」(体育祭とか)にうまくやれないと、たちまち単なる痛い奴へと格下げされてしまうんですね。今のシャニマスはそういう状態であって、やはり誰もが思うように、アニメ化新作ゲームという大勝負で相次いで期待を裏切ってしまった事実が重くのしかかる。ブランドへの敬意や期待感そのものが、もはやファンの間でさえ共有されなくなっている気がします。
 
 しかし、原因は明白にわかっていても、なんでこんなことになってしまったんだろうかと、やはり思わずにはいられません。一昔前のシャニマスは、著名なVtuberや実況者がこぞって動画を上げたり、考察noteがバズったり、二次創作も盛んで、ファンコミュニティはアートワークの魅力をどんどん発信していて、内外ともにポジティブな話題に満ちていたのではなかったでしょうか。あらゆるコンテンツが歳月とともに勢いを失っていくことは避けられないとしても、シャニはあまりにもひどすぎないか?

ふゆミーム(2024)から。セールス絶不調の新作ゲームを宣伝するため、当時でさえ陳腐化していた猫ミームを笑顔で演じる黛冬優子。哀れという印象を抱かない方が難しいだろう。彼女に関しては他にも、コミケ会場で下品な水着広告を貼られるなどの人権侵害が確認されている


 現在に展望が見いだせない以上、せめて過去の栄光を振り返って感傷に浸るしかありません。過去に戻りたい。では戻るべき過去とは、シャニマスの真の全盛期、シャニマスがいちばん輝いていた時期は一体いつなのか?

 ……というのが、この記事のテーマになるんですが。でもまあ客観的に言えば、これはあんまり議論の余地がない話なんですね。ストレイ、ノクチルが登場した2019~2020年というのが、順当な回答でしょう。誰もが知る(?)黛冬優子、樋口円香をはじめ、大人気キャラが次から次へと実装されていった時期です。「〇〇っす!」の人も「財布ないわ」の人も「やは~」の人も、みんなこのあたりで集中して出てきたんですね。

【(ノージャンル)グラヴィティ】黛冬優子(2020)から。向こう見ずな年下の少女を気遣う黛冬優子。あるべきシャニマスの姿とはこういうもの


 しかし、何と言ってもシナリオの出来がすごい。代表作をあえて挙げれば「くもりガラスの銀曜日」「薄桃色にこんがらがって」「天塵」「明るい部屋」あたりになるでしょうか。これらがいかに素晴らしい物語かということは既に語られ尽くしているので付け足すようなことはありませんが、でも他のコミュだってどれもこれも傑作・力作揃いです。これだけ優れたテキストを読んでしまえば、誰かと語り合いたくなるのは必然! 言葉と絵の力だけで支持を広げていく、この頃のシャニマスは確かに「やれる子」でした。「シャイノグラフィ」「Dye the sky.」を聴いていると、まさにシャイニーだった時期(?)のシャニマスの記憶が蘇ってきます。


 こういうシナリオ群、魅力的なキャラクターたちの結節点となっていたのがプロデューサー(シャニP)です。これはプレイヤーの自己投影用のキャラではなく、明確にひとりの登場人物として造形されています(シャニマスのプレイヤーを指すときに「シャニP」とか呼ぶと混乱が生じたりする)。控えめで、不器用さもありつつもアイドルひとりひとりと向き合っていこうとする、献身的で真摯な男性です。そして背が高い。いや別に高身長男子じゃないと嫌だとかそういうあれではないんですけど、少女たちとの身長差がなんかこう、古典的なドキドキ感を喚起するじゃないですか。

【HAPPY-!NG】市川雛菜(2020)から。 綺麗な構図に収まっている


 これはちょっと本題からズレますし、あまり強調すると意見の相違が出てくるところでもあると思うんですが、シャニマスの大きな魅力のひとつとして、アイドルとシャニPの疑似恋愛の要素があったことは確かだと思います。いわゆるPラブです。ふたりで観覧車に乗ったり、バレンタインだったり、ラブロマンス的なシチュエーションが頻出。杜野凛世絡みのシナリオは特に露骨で、ほとんどラブコメみたいなものが結構あります。もちろん、それは物語的な意味においてもメタ的な意味においても、絶対に成就することのない恋なのですが。そして彼女たちの相手をするシャニPは前述の通りの男性なわけで、シャニマスにはどこか少女漫画的な雰囲気が漂っていました*1。これ、今のシャニマスはどうなんでしょう。最近はコミュも全然追えていなくて……。

 しかしいずれにせよ、少なくとも私の中では、こういう楽しみ方をすることはもう難しいのかもしれないと思うところがあります。何しろ、あのアニメ化によって公式から提示されたシャニP像がどんなものかといえば、むやみに頭部がでかくスタイルが悪く、若い女性たちを預かる立場としての職業的良心も責任感も欠如した、即興ポエムを発する機能付き営業ロボットであって、それはもうシャニPの新たなイメージとして否応なく頭の中に刷り込まれてしまっています。そのような男性にホの字になっているアイドルなんか見せられてもバカにしか見えません。そういう意味でも、あのアニメの負の影響力は本当にすごかったと思います。記憶を消したすぎる。

シャニアニ(2024)1話から。似ても似つかない。誰?


 閑話休題。先述したように、客観的な意味でのシャニマス全盛期が2019~2020年の2年間ということ自体は間違いないんですが、私が個人的にいちばん面白かったと感じるのは2022年なんですね。もちろん、これはまったくの印象論で、根拠があるわけではありません。そもそも冒頭の年表に書いた通り、シャニマスの2022年って良くも悪くも目立ったニュースがない。シーズが登場したのは前年ですし、コンテンツ全体のターニングポイントとなった5thライブは翌年です。二次創作ブームも落ち着いてきていて、コンテンツとしては小康状態という感じだったと記憶しています。


 じゃあ具体的に何が楽しかったのかというと、まず新年早々に開催されたリプライパーティ。コミュとSNSを連動させた企画で、キャラのタグをつけて質問をツイートすると、そのうちのいくつかに公式アカウントから当該キャラを模したリプライが届くというものです。まあ、端的に言えば公式なりきりです。こう書くと単なるごっこ遊びなんですが、とにかく桑山千雪さんのはっちゃけたリプライがすごく話題になって。

こうして「面白いでしょ?」とスクショで示しても何も面白くないんですが、当時は面白かったんですよ


 こういう風にリアルとフィクションを交錯させるのはシャニマスが好む手で、まあ大半は滑っていると思うんですが、この年に関しては、その試みがいい結果を生むことが多かったように思います。283プロ見守りカメラとか、もちろんこれも賛否はあると思うんですが、私は好きでしたね。事務所の窓の外の映像を6時間リアルタイムで映し続ける(たまにキャラの声や物音が入る)という奇怪な企画です。つまりこのアーカイブ映像を正午から流せば、キャラクターたちと同じ時間を過ごせるって寸法なわけです。こんなきもいことはシャニマスにしかできない!


 全盛期のインパクトはないものの、シナリオにも独特の深みがありました。「YOUR/MY Love letter」はゲーム史に残る傑作シナリオですが、「かいぶつのうた」や「はこぶものたち」もよかった。この年のシナリオの多くに共通しているのは、いわゆるモブキャラが物語の中心になっていることで、アイドルたちと彼らの関係性が主題となっているんですね。人が人に何かを伝えるということは何であるのか。何であるべきなのか。登場人物たちの葛藤を通してシャニマスという物語そのものを問い直すようなシナリオの数々は、成熟したコンテンツの風格がありました。

 私がこの年いちばん好きだったコミュは【トコハレ☀コメディ】です。「女子高生の本音」みたいなサイトの書き込みを見たシャニPが園田智代子との付き合い方に思い悩むという内容で、まあタイトル通りコメディ風のシナリオなんですが、シャニマスが繰り返し問うてきたコミュニケーションの功罪というテーマを、具体的な人間関係の機微を通して描いていて、いわば実践編とでもいった趣があります。抽象論ではなく、目の前の女の子にどういう言葉で接するのか。そういうことをちゃんと考え抜ける人だからこそ、アイドルたちも彼を信頼するわけです。このコミュを読むと、それがよくわかる。かつてのシャニマスにはこういう繊細さがありました。

【トコハレ☀コメディ】園田智代子(2022)から。大人の男性が女子高生と信頼関係をつくることは当たり前のことではないという事実を、露悪的な誇張ではなく、散文的な職業描写の中できちんと捉えている



 まあもちろん文句なしってわけじゃなくて、ゲームは相変わらずつまんなかったり、トワイライツコレクションとか何とかいう露骨な集金装置が無から湧いてきたり、全面的に肯定はできないんですが。でもそういうのも笑って許せる余裕がありました。アニメ化するとしたらどんなものになるだろう、とDiscordで友達とあれこれ妄想を語り合っていましたね。いつまでも夢を見ていたかった……。

 今になって思えば、この年がシャニマスを素直に楽しめた最後の時期だった気がします。それはなぜかっていうと、やっぱりシャニマスは面白いものを作ってくれるんだ、という信頼感があったからです。もっと言えば、言葉と絵でこれだけ優れた表現ができるのだから、もっと予算がついて新しいゲームが出たら、あるいはアニメになったら、もっとすごいものが出てくるんだろうな、という幻想があったんですね。だからこそ、シャニが少々変なことをしてもついていくことができた。


 
 わたしはアニメをよく観る人間ではありますが、どちらかというと映画趣味の延長線上であって、ソシャゲコンテンツを長く愛好する経験をしたのはシャニマスだけなんですね。強く魅了されたし、ファンコミュニティの中で多くの人とやりとりする楽しさもありました。そうしてひとつの物語世界に没入したこと自体は、確かに幸福な経験であり、コンテンツの関係者には感謝しています。

 でも、さすがにそろそろお別れかなあという感じがします。コンテンツを追いかけていく気力が維持できない。なぜって、シャニマスという文字列を見るたびに、シャニアニを先行上映で観たときの衝撃的な失望感、特にあのシャニPの間抜けな顔面が蘇ってきて、一気に白けてしまうんですね。太宰治の「トカトントン」*2みたいな状態です。無理だとはわかっています。でもお願い。あのアニメ、もう一回作り直せませんか……?





*1 言うまでもないですが、これは教師と生徒の恋愛ものみたいな作風で、フィクションとしても倫理的にはまずさがあります。だから、このような疑似恋愛的な描写を全員が全員受け入れていたわけではなく、拒否反応を示す人も相当数いたことは付言しておきます。むしろキワモノ的な楽しみ方だったかも……? しかしいずれにせよ、こういうのは肝心のシャニPが倫理的に清潔で信頼できる人物だっていうことが大きいわけです。彼が誠実な人間であればあるほどアイドルたちの思慕は募り、同時にその思慕が成就する可能性はゼロになるという構造なんですね。

*2 「何か物事に感激し、奮い立とうとすると、どこからとも無く、幽かに、トカトントンとあの金槌の音が聞えて来て、とたんに私はきょろりとなり、眼前の風景がまるでもう一変してしまって、映写がふっと中絶してあとにはただ純白のスクリンだけが残り、それをまじまじと眺めているような、何ともはかない、ばからしい気持になるのです。」https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2285_15077.html


見出しの画像は公式サイト(https://shinycolors-song-for-prism.idolmaster-official.jp)で壁紙として配信されているものを使用している。記事内の画像1枚目は公式アカウントのYoutube動画(https://www.youtube.com/watch?v=lFzJcpRqnBY)から、2枚目、3枚目、5枚目はゲーム「アイドルマスター シャイニーカラーズ」(2018~)から、4枚目はアニメ「アイドルマスター シャイニーカラーズ」(2024)第1話からそれぞれ引用している。


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