カウンセリングによる変化1 大浴場に行けるようになった

私は温泉が好きです。
ですが、大浴場は嫌いでした。
だから、お金があるわけじゃないですが、旅行では必ず露天風呂付きのお部屋。

それが無理なときは、温泉に来ているのに、温泉に入らずに部屋のユニットバスで済ませてました。

そんな私ですが、数年前に友人に誘われて貸し切りのサウナに行ってから、サウナに目覚めました。

それからは、大浴場は嫌なのですが、サウナのために行く、という日々でした。

なぜ大浴場が苦手なのか?
1回目のカウンセリングで実の父を含めて3人の親が大嫌いであることを、カウンセラーさんに吐露できました。

それで思いを巡らせました。

私は男性の裸体が、養父を想起させられて、嫌悪を感じるのでした。
私は養父が大嫌いなのに、私が小さい頃、養父は一緒にお風呂に入りたがったことを記憶しています。

ただでさえ人格として嫌いななうえに、物理的に嫌いな部位がありました。
それは陰部です。
幼い頃に実の父が出ていったので、成人男性の裸体を見たことがありませんでした。
それが小学校低学年でいきなり狭い風呂という空間で、眼の前から数十センチという距離で、大人の男性の陰部を目の当たりにするのです。
その光景は、非常にグロテスクで気持ち悪かったです。
※いまも好んで見たいはサラッサラ思いませんが。

嫌いな養父の象徴という印象を引きずっている。
大浴場は大量の男性の陰部がうろついている。
すなわち大量の養父が目の前にいる。
私にとってはいつ暴力的な言動に曝されるかもしれない、という危険地帯なわけです。
だから大浴場が苦手なのだと、初回のカウンセリングのあとにふと気づきました。

それから数日。
サウナには行きたいので、いつものようにサウナへ。
大量の養父に曝されるとわかっていながらも、物理的に整いたいので。

1セット目のサウナと水風呂を終えて、外気浴へ。
少ししてからふと周りをみました。

心がざわつかない。

まったくもって動じない。
念の為、目を周りに巡らせて、裸の男性を見ても、なにも気持ちの変化が起きない。

たった1回、ただ過去を話して、よくぞ生き残ってこられた、と承認の言葉をもらっただけ。
それでも私は大浴場を克服していました。

それから、大浴場に行っても他人の存在は気にならなくなりました。
他人の裸体が気にならないというか、脅威に感じなくなりました。
そこにいるけど、私に危害を加える存在ではない。
養父ではない、と。

因果関係は明確にはわかりません。
でも、人に話すことが大きな一歩につながることを、感じ始めた経験でした。

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