イタい過去を嗤う私
イタい過去ほど消えないのはなぜだろう。辛い・悲しい過去よりもなぜかイタイ過去のほうがふとしたときに脳裏に浮かび上がってくる。辛い・悲しい過去は情緒があり、味わい深いものであるのに対してイタイ過去は思い出しただけで赤面し、思わず嘲笑してしまうようなものである。
先生に私も投げて!と言えなかった。次、私も!と言えなかった。水の中でその場でジャンプした。どの子供より高くジャンプした。先生に気づいてほしくて。水中で、だれよりも高く、誰よりも多くジャンプし続けた。
早朝の霞の中の意識になぜかこんなイタイ過去の残像が浮かび上がってくる。3歳から始めたスイミングスクールではクラスの最後に自由時間があり、水泳の先生と子供たちが自由に遊ぶ時間が設けられていた。先生は子供を一人ずつ持ち上げて水の中へ投げるというのが慣習であった。無邪気な子供たちはその時間を待ちきれないという様子で、クラスが終わると一斉に先生の下へ泳いで行った。子供の「ほしい」という欲望ほど直線的なものはない。やんちゃな男の子や女の子は誰かを押しのけてでも先生のもとへ行き、誰よりも多く投げてもらうために先生を独占した。ほかの子供が先生にたどり着けないように水を掛けたり押しのけたりもした。誰もが「先生、次投げて!私も投げて!」と声を挙げた。
一方私はこの投げの儀式で一度しか投げてもらったことがないことだけは良く覚えている。それが最初で最後であり、私をくぎ付けにした1度であったこともよくよく覚えている。
最初は私も他の子供と同じく先生のもとへ我先にと泳いで行った。生まれたての亀の子のように子供たちは手足をばたつかせ、水しぶきをあげて先生のもとへ泳いでいく。先生は私を持ち上げたときに言った。「あー。重たい。あんたはデブケツや」。水の中に投げ入れられた3歳の私は、投げられるスリルを味わうことを望んでいたのに、その純粋な思いは、デブでケツである、もしくはデブなケツである、というレッテルが張られた屈辱を真正面から受けるという事実に瞬時にすり替わった。3歳の私はその感情を表す言葉を持たなかった。その一瞬は裸同然、心に鎧も着けない真っ白な綿のような子供の心にナイフを貫通させるものであった。入り混じる感情を整理し、説明する術を持たず、天真爛漫であると大人たちから言われて育った子供はそのことが自分の心に影を落としたという事実に目をそらし、事実を脳内で誤魔化した。傷ついた自分の感情を守ろうとする自己防衛本能から。それが自分という人間の根幹を成す瞬間であったと認めるまでに多大なる時間を費やすことになるとは夢にも思わず。
なぜ3歳の子供が大人の言うことを理解できたのかはわからない。子供は子供としての役割と行動が期待されている。子供は大人の保護によって生存と安全が確保される。私はこの出来事のあとも、先生の前で、無邪気で遊び好きで先生が大好きだ、という演技をし、子供として役者を演じた。大人の言うことなど理解できませんという顔をして子供役を全うした。我ながら良い役者だった。しかし、役者を演じることとは別に本当の自分の思いが存在すると理解できたのはずっと後のことである。
この後から、私は毎週、遊びの時間になると黄色い水泳帽をかぶったオットセイのように、ほかの子供が先生に群がる一番遠いところで自分の番を待った。ほかの子供たちが、先生次ぼく!先生投げて!と言っている一番遠いところでひたすらオットセイのように水中でジャンプし続けていた。先生に投げてほしい。みんなと同じように楽しくしたい。でもまたデブケツと言われたら嫌だ。でも私の思いに気づいてほしい。その輻輳する言葉にならない思いは屈折し、ただひたすらその場でより高くジャンプするという奇行として具現化した。先生の目を曇りなきキラキラとした眼で見つめるものの、私も投げて!とは決して言えない、水中でひたすら高く飛び続ける、丸々とした子供。欲しいと言わなければ先生は決して投げてくれないのに。
これまで私は人生の中で様々な奇行に出てきた。それは一重にこの欲しいという思いを口にだすことを恐れ、己の欲望を屈折させてきた人生の積み重ねの結果である。
改めて言うが、私は欲しいものを欲しいと言えない。口達者な割に肝心な、本当に欲しいものを欲しいということができない。いつも2番目に欲しいものを欲しいと言ったり、そんなに欲しくはないのに欲しいふりをしたりする。また欲しいのに欲しくないふりをする。本当にほしいものは別にあるのに。いつも回り道をするのだ。この癖がついたのはいつからだと問われたら、やはりこのスイミングスクールの頃からだと今は思う。三つ子の魂百までとは言ったもので、この経験が私の行動の癖を作った。この経験は本当に欲しいものを欲しいと思い、純粋な思いで手に入れようとすると、傷つくのだと幼心に刻みこむ瞬間だった。そしていつも本当に欲しいものを言うことを自分の心に従って追い求めることができないので、2番目に欲しいもので誤魔化してしまうのだ。その癖が定着してくると、そのうち本当に欲しいものが何かわからなくなってくる。そして欲しいものすらなくなってくる。また、ほかの子供のように一番欲しいものを欲しいと言える人が恨めしくなってくる。欲しいものを純粋に欲しいと言い、そして手に入れる者に嫉妬心を掻き立てられるのだ。だって私は3歳の頃から欲しいという言葉をもうお腹いっぱいなのに飲み込み続けてきたのだから。
先生のデブケツと言う言葉が私を過去の一定の地点にくぎ付けにし、そこから動けなくしたことは、間違いない。大人になった今だからわかる。その癖は私の思考と行動に多いに影響し、それは必ずしも良い結果を齎してきたとは言えない。
今日、また2番目に欲しいものを選んでしまった。満足しているかと言えば、疑問だ。欲しかったような気もするし、欲しくなかった気もする。丸々と太った、曇りなき眼の黄色い水泳帽をかぶった3歳児が水の中で飛び続ける姿が脳裏に浮かび上がってくる。曇りなき眼は先生をもう見ていない。その眼は私を見ている。我ながらイタイ子供だったな、と過去という玉石混交の思い出の入った鍋に割れかけた蓋をし、皮肉な笑みを浮かべ、見過ごそうとすると彼女は涙を流す。もう嗤わないでと。彼女は私に投げて!と言っている。先生ではなく、今、私に語りかけているのだ。声なき声で。
あなたはもう十分に大人だと。あなたは心のどこかでうまくいかないことを先生のせいにしているのではないかと。そしてあなたは先生と同じことをまだ私にする気なのかと。その眼は私に前に進めと語りかけてくるのだ。本当に欲しいものを声にだせと。一番ほしいものを手に入れろと。心から求めよと。そして恐れるなと。
3歳の彼女はずっと私の中に住んでいた。人生のあらゆる場面で私を試し、彼女が喜ぶ選択をするかを観察していた。3歳の彼女は子供だけれど、私のすること・考えることをすべて知っている。そして私の選択に満足することはなかった。何を彼女に与えても、喜びもしないが、文句も言わない。それはすなわち、今の私そのものだ。欲しいのか欲しくないのかもわからない。何が欲しいのかもわからない。欲しいという言葉を抑圧し、消去し続けてきた私は得ることの喜びを知らないのだ。
本当に欲しいものを口に出せない自分の弱さを意図的に先生のせいにして生きてきたつもりはないが、無意識的にそうであったとは言える。一見、恨みがましい出来事に思えるが、私はこの経験・瞬間すらも体験するために生まれ、そしてそれによって構築された陰鬱とした思考の癖を克服することを人生の課題の一つとしてこの世に生を受けたのだ。そしてそれに立ち向かえなかった自分は弱かった。自分はそのとき傷ついた。悲しかった。悔しかった。欲しいものを素直に欲しいと言いたかった。そのことを誤魔化し続け、嫌なことも笑い飛ばそう!と大人たちに教え込まれて、そのことを自虐し、嘲笑することで自己防衛に走っていた自分は悲嘆をまとった道化であり、それを許していた自分は弱い愚者であった。
大人の保護を求めるか弱い少女のように、現在進行形で私には弱い心が宿っている。3歳の彼女の姿をイタイと嗤っているのは、私がその傷ついた子供の部分を直視し、それすらも含めた自分こそが自分であると責任を引き受け切れない、どこかで自分の人生の結果が誰かのせいのように感じている、そんな未熟さの証だったのだ。
私はまたこの春に一つ年をとる。3歳の彼女は今も私の中に住んでいる。私は彼女を今からでも笑わせてあげる。大笑いさせてあげる。約束する。