母たちのファンファーレ

土曜の朝4時、携帯が鳴きわめく。私を怒鳴りつけてくる。ブルーライトが私を睨みつけてきやがる。負けじと片目をつむり憎たらしく光る画面を睨み返す。

昨日は私の大切な友人と家族ぐるみでディナーをし、本当に楽しい時間を過ごした。柄にもなく幸せな気持ちでいっぱいの夜。充足感に満ちたりて眠りについた夜。

母か。寝ぼけたままで電話を取る。

あんた何しとったん。

寝てた。こっち朝4時なんやけど。

ああ、ごめんごめん。それよりさ、昨日みゆちゃんのお母さんに会うたんよ。

こちらが朝4時であるという情報は一瞬にして母の脳内から不要なものであると断捨離されるらしい。ごめんという言葉は挨拶の一種である。

だから?

みゆちゃんの旦那さん、今度はベルギー行くらしいわ。どえらい優秀なんよなあ。

そうなん。すごいね。

みゆちゃんは幼馴染である。幼馴染ではあるが、とっくの昔に連絡をとるような仲ではなくなっている。たまたま同じ年に同じ女の子が同じ地域に生まれたというだけで私たちは全く異なる人間である。親が同年代だからと言って小さい時に一緒に遊んでいたが、成長するにつれて私にはもっと気の合う友達ができた。私は正直彼女を自分の人生で大切にし続けたい一人と認識していない。彼女もそうであろう。私たちは全く違う人間なのだから。それでよいのだ。しかしどういうわけか母の中では私たちは未だに連絡を取り合い、近況を報告しあうような親しい仲であるとの誤認が発生している。顔見知りの近況・情報が好む好まざるに関わらず絶えず取引される田舎において旧知の人物とは一生涯に渡りつながり影響しあうものであると考えられているのだろう。人は変わる。人は成長する。したがって人は自分の成長にあった新しい友を見つける。成長がなく、精神的未熟児が支配する田舎においてこの真理は通用しない。

みゆちゃんは子供連れてついていくらしいわさ。フランスの次はベルギーってどえらいなあ。

そうなん。すごいね。

みゆちゃんはエリートの男性と人生で初めて付き合い、純愛の末結婚した。みゆちゃんはハイスぺという卑猥な言葉を知らない田舎者の欲のない子だった。合コンに行ったこともない。若くして単純に純粋にその人に恋をした。私たちが育った田舎にハイスぺなどという概念は当時なく、あったとしても雲をつかむような架空の話であった。大学に入ってハイスぺという言葉を知り、その言葉が想像できる範疇はせいぜい一部上場企業に勤める程度のものであった。みゆちゃんはきっと自分の人生が世界をまたにかけるようなエリート中のエリートと歩むものになろうなどとは想像もつかなかったであろう。その彼も自分は優秀であるとの認識はあったかもしれないが、自分が国のトップ数%になるような人生を歩むとまでは当時想像もできなかったであろう。みゆちゃんと彼が出会ったとき、無垢な若い二人は自分たちがどんなに強く大きな渦潮に巻き取られていたのかを知ることはなかったであろう。

あんたみゆちゃんの娘みたことあるん?ものすごかわいいんよ。あれはスカウトされるわよ。ちょっと他の子とは違うわ。

そうなん。すごいね。見たことないわ。

みゆちゃんの息子さんもサッカーでユースのチーム合格したらしいわ。

そうなん。すごいね。

一体何が言いたいのだろう。貴重な土曜の朝の心地よい眠りに戻らせてほしい。

そやけんどさ。大してあの娘かわいいこともなかったのになんでこんなうまいこと何もかもいくのやろかね。

みゆちゃんはかわいかったよ。

そんなことない。あの子は目も細いし髪の毛もくせ毛で、いつかお母さんに似て太ると思とったんよ。

みゆちゃんはモデルにもスカウトされとったんよ。誰が見てもきれいな人よ。

みゆちゃんは美しかった。誰もがみゆちゃんに恋をした。同級生や地域の男の子。先生。大人たち。みんなおさげ髪のみゆちゃんが好きだった。みゆちゃんは男に媚びたりするようなことはなかったが、生まれつきの容姿に加え、その素朴さと親しみやすさと純粋さに誰もが惹かれた。みゆちゃんが泣けばみんながみゆちゃんをかばう。みゆちゃんが転べばみんながみゆちゃんのかわいいお顔に傷がついてないか心配する。私はそんなみゆちゃんと生まれてからずっと一緒だった。どこへ行ってもみゆちゃんは賞賛を浴びた。絶え間なく、途切れることなく、流れ落ちる滝の如く賞賛を浴びた。私はみゆちゃんと近所という逃れがたい物理的理由から、いつも一緒に遊びんだ。男の子たちはデブな私を明らかに雑に扱った。私が泣けば、容赦なくデブが泣くな気持ち悪い!と叱り飛ばされた。私が転べばデブだから転ぶんや!と囃し立てられた。絶え間なく、途切れることなく、流れ落ちる滝の如く罵声を浴びた。子供心に男の子たちは私を男でも女でもない何か異形なものとして特殊な扱いをしても良い者と認識していたのではないだろうか。子供ほど残酷で真理を滅多刺しにする存在はいない。恥ずかしながら、私の感受性は意外にも図太く、こんな扱いをされても傷つきおめおめと泣き寝入ることなく、己の運命を克服するために課せられた足枷であるとすら思い、それを笑いに変えていた。むしろまた笑いに変えるネタが増えたとすら思い出来事をどう料理するものかと考えるような奇怪な思考回路をしていた。

みゆちゃんはモデルにスカウトされても、持ち前の質素さと謙虚さで私にはとてもできませんと断った。彼女は自己顕示欲がない。そういうところが賢い子だった。生き馬の目を抜くようなモデル界で自分をすり切らせながら生きるよりも、地に足のついた人生を最も美しい一般人として生きるほうが賢明であり、確実な幸せを手に入れられると即座に判断できる子だった。私にとってみゆちゃんは嫉妬する対象にすらならなかった。あまりにかけ離れていると、嫉妬すらしない。私たちは同級生だが、みゆちゃんの人生のスタート地点が0から始まっていたのに対し、私はマイナスからのスタートであった。そしてマイナスをさらにマイナスにしていく要素が私にはふんだんにあった。今だから言える。私は自分がせめて0地点に立てるように死ぬほど努力した。

そうかねぇ。お母さんはがりがりのつまらん女に見えるわ。あんたは友達も多かったけどみゆちゃんはあんまりだったじゃろ?つまらん子だったんよ。

みゆちゃんは確かに笑いを取りに行くタイプではなかった。でもだからといってつまらない人ではなかったし、人を不快にするような人ではなかった。そもそも笑いを取れるからといってつまらない人間でないとは限らない。笑いを取れないからといってつまらない人間であるとは限らない。その定義付が雑すぎる。一方の私は幼い頃から自分の容姿の劣勢を本能的に悟っていたのか、笑いを使って人生という修羅の場・茨の道を潜り抜けようとする生存本能が強く働き、笑いを提供する能力だけが異様に突出するという変異的成長を遂げていた。したがって私の周りには多くの人が集まり、面白い人として評判を馳せた。面白い人であると自ら名乗る人間に面白い人はいないと断言するが、話の流れ上ここは言わせていただく。私自身も面白いことこそが自己の根幹を成す価値であると信じて疑わず、誰の前でも汗をかき、動き回り、しゃべりまくって笑いを提供した。面白くなければ私の価値はないとすら思いこみ、それはさながら強迫観念に近いものであった。しかし今冷静に振り返ればそれは幾度となく繰り返される容姿への非難からの現実逃避の手段であり、外見に見合わず幼く繊細な乙女心が傷つけられることへの防衛本能が発達させた盾と矛としての両性具有的能力であった。本来であればスクールカースト下層まっしぐらに位置づけられるであろう己の存在を無意識に認識し、その危機感から、どうにか最下層までには落ちたくないという祈るような切実な思いから派生する子供ながらに純粋かつ真剣な精神の闘争であった。笑いに走ることは己の生存に関わる闘いの武器であった。女に生まれながら、女という性を否定し、笑いをとるのみに自己の力を注力し、なんとか肥満なりに学内での面白キャラとしての役職に預かることはできた。しかし、気づけば自分が女であるという認識が完全に欠如した人間が完成していた。一方でみゆちゃんは産まれながらにしてそのような生存競争に巻き込まれずに生きられる特権階級であった。私のような労働者階級の闘争に無縁であった。ブルジョワジーとプロレタリアート。いつも男の子がみゆちゃんを大切にし、彼女を特権階級でいられるように多くの男の子がみゆちゃんを保護した。それはそれは大切に。彼女には生まれつき護衛隊、調達部隊、救護隊、財務部、政治部がついていた。そして彼女はその生まれ持った運命のプロットに添い、彼女を文字通り特権階級のままいさせてくれる国家の数%の男に選ばれた。

みゆちゃんはみゆちゃんの友達いたよ。

みゆちゃんは大して勉強もできんかったのになあ。あんたのほうがよっぽど勉強できたじゃろに。勉強できんでもいい男捕まえて幸せなって。すごい子よ。

私は解せない。どう思考すれば勉強できる女が良い男を捕まえることの直接的な要因となるのだろうか。どう思考すれば勉強できることが世間一般に言う女の幸せを保証すると結論付けられるのであろうか。私は解せない。

確かにみゆちゃんより私のほうが勉強ができたのは事実である。しかし勉強ができたのは、己の才能と意思のみによって実現された結果ではない。娘は母親の非言語的意図をくみ取る能力が長けている。母は娘を自分の分身として認識する。息子とはまた異なる認識である。その分身である娘が同じ時期に同じ地域に同じ性をもって生まれたみゆちゃんとは似ても似つかぬ容姿をし、他者から貶められる様子は母の闘争心とその中に内包された劣等感に火をつけた。

神よ、我に一発逆転を。我が娘に知恵を授け給え。

肥満の我が娘の生存の道は学力によってのみ切り開かれる。肥満に生まれた娘がひと角の人間になるには学力と知能の開発に一縷の望みを託すしかない。なんの取柄もない肥満の我が娘ではあるが、私の娘が近所のみゆちゃんより劣っているなどと認めるわけには断じていかない。そう言葉なきままに固く決心した母の意志は母と娘特有の声なき意思疎通によって私に伝達された。私はある日突然取りつかれたように机に齧り付いて勉強するガリ勉少女に変化した。妖怪机齧りとでも形容するのがピッタリであるほどに齧り付いて勉強した。母の意志を体現すべく優秀な人間であらねばならぬと声が聞こえた。

あなたはできる子よ。小学校ではトップの成績。やればもっとできる。中学校でもトップの成績。もっとがんばれ、もっと上を目指せ。高校でもトップの成績。お母さんはまだまだ満足しないわ。名の通る大学に進学した。自慢できる娘でいてちょうだい。みゆちゃんに負けるな。ずっとずっと私の劣等感を満たし続けてちょうだい。

勉強は学校という守られたシステムの中で私の価値を数値化し、生まれ持った自分そのものの能力ではない、定められたある種不自然な人工的な基準によって私の価値を目に見える数値に換算してくれた。その数値は母を満足させ、近所の母親たちに勝利のファンファーレを吹き鳴らしながら行進するのに完璧な優勝旗となった。ほら見たことか。私の娘は肥満の愚図ではないのよ。私の娘の優秀さはあなたたちのかわいい娘たちには手に入れられないものなのよ。悔しがりなさい。今まで私の娘を笑ったことを悔いなさい。

成績トップでいられたのは私が優秀だったからでは断じてない。肥満体と容姿の劣勢を持ち合わせる若さだけが取り柄の少女に与えられたもの。それは時間である。そのもてあます時間を勉強に捧げた。ひたすらに捧げた。阿呆の一つ覚えのように捧げた。結果は当然出てしかるべきである。絶対的に勉強に費やした時間が他の子と違うのだから。それで出なかったら本当の阿呆である。みゆちゃんはじめ同い年の女の子たちが男の子にデートに誘われたり、おしゃれをして男女グループで出かけたりするのに時間が割かれる中、私はそのようなことに時間を割くことは人生の無駄であると言っていた。今は勉強に集中したいかな。などと小賢しい虚勢を恥ずかし気もなく張りながら。事実としてはだれも私にデートに誘ったり男女グループで遊んだりする要員としての役割を期待していなかった。若き男女の激烈な選別の舞台で私はその舞台にすら立たせてもらえなかったのだ。勉強はその目を背けたい痛痛しく厳しい現実から逃避するのに格好の手段であった。このような心理的背景があったことなど母に想像できるだろうか。お見合いや仲人制度によって恋愛の保護貿易がまかり通った60年前と違い、恋愛自由競争がけん引する現在において、容姿の美醜によって人生の方向性と着地点がが決定する人生をお見合い関税で保護されていた母は知らない。また学歴競争に勝ち抜いたとしても、私のような凡人がどれだけ血のにじむような努力をしても生まれながらの天才を前に敗北を知るのに時間はかからなかった。そしてこの世は学歴競争よりも美醜競争が支配している。高学歴によって凡人のハリボテX肥満であるという事実の改竄は帳消しにならない。それはロンダリングである。高学歴になりつかの間の安堵を得てもまた美醜の基準に振り戻されるのがこの世の常である。

卒業後は母に恥をかかせない会社に就職して私は曲りなりにもブランド物の人間にならせていただくことができた。〇〇大卒XX会社勤務。しかし私は資本主義経済と競争原理に基づく仕事に興味が全くないことに気づいた。悲しいほどに。私は小説家になりたかった。私は芸術や伝統工芸が好きだった。歴史が好きだった。空を見るのが好きだった。夕焼けを見るのが好きだった。粘土をこねるのが好きだった。絵を描くのが好きだった。そのような幼子の気持ちを後ろ手にしてねじりあげ、小さな袋に無理やり押し込み、馬乗りになって何度も押さえ込み、時に殴りつけ、私は妖怪机齧りに化けて勉強してきた。己の劣等な外見によって母に抱かせてしまう劣等感への罪悪感を払拭するために。せめて勉強くらいできないと申し訳ないと謝りながら。勉強することは私なりの贖罪であった。

にも関わらず努力の果てに残ったもの、それは一生手に入れることのない幸福への渇望と己の欠乏感の終わりなき増幅であった。それに加えて自己喪失感。私は自分が一体何者かわからなくなっていた。その非情な事実を前に生きる意味がわからなくなっていた。田舎の守られた均一の価値観で守られ、学歴と美醜の生々しい競争を知らない母は私が好き好んで勉強を続けていたと思っている。成績優秀であったのは私の生まれながらの天賦の才であると未だに信じて疑わない。高学歴を達成したのだから誰にも負けない優秀な人物であると信じて疑わない。そして過去の他者の栄光を己のものとして未だに優勝旗を掲げ、近所の母親たちに勝利のファンファーレをかき鳴らして回る。当の本人はとっくに白旗を揚げているというのに。

あんたももっと頑張りんさい。昔からあんたは負けず嫌いだったけん。やればできるんやから。

一気に昨日の温かい仲間との夜の充足した気分からずるりと引きずりだされる。

何を言っているのだ。負けず嫌いだったのは私ではない。私は負けず嫌いの母の駒であった。戦う駒であるためにどれだけ私が努力してきたと思っているのか。どれだけ辛酸をなめてきたと思っているのか。どれだけ挫折と屈辱を味わってきたと思っているのか。私は一度もつらいと言わなかった。やればできる。努力すれば道は切り開ける。母に勝利を。母に栄光を。そう信じて友を捨て恋をすて女をすて若さをすて情熱を捨て、ひたすら存在するはずもない砂上の城に立つ勝利の旗目指して進み続けてきたのだ。母はまだ私に戦う駒であることを望むのか。

今私はデータとメトリックスによって計測できない人生を歩んでいる。特異であり、外道である。それは母にとってはファンファーレをかき鳴らして吹いて回る事実でなく、彼女の未解決の劣等感を刺激するのであろう。しかし、私はすべての道を外れ、すべての梯子から墜落した今この場所に絶対的な幸福感を見出している。みゆちゃんのことに触発された母の劣等感と空虚感の埋め合わせの十字架を背負って歩く必要はもうない。もう散々背負ってきたではないか。それは私のものではない。自分が幸福に生きるという誓いを自ら立て、その十字架にこそ忠誠を違う為に私は生まれてきたのだ。

いつもこうだ。素晴らしい仲間、素晴らしい会話。誰に自慢できるわけではないが、信頼でき、温かい人達と心をかわし合える楽しい夜。やっと私は競争ではなく、純粋に愛情を持って関われる優しい人たちと笑いあえる心安らかな幸せをこの年になって知った。そんな場所があると知らずに生きてきた私を救ってくれた人たちに感謝の気持ちが止まらない。そんな満ち足りた気分に浸っていると私を引きずり降ろそうとしてくるものが現れる。お前は幸せになどなれない。お前程度の人間はみじめで卑屈で妬みに塗れているのがお似合いだと。世の中にはもっと優秀で幸せな人がいる。お前が味わっている幸せとやらは幸せの足元にも及ばないくだらないものだ。そうしてくるのは母ではない。私の中にある何かが母と言う形を使って私を試してくるのだ。私は今、自分なりの人生を生きている。自分なりの幸せがある。それを信頼できるのか。手放しで信頼できるのか。私の中にある何かが私に挑んでくるのだ。自らの意思で立てた幸福に生きるという十字架に忠誠を誓い続けられるかどうか、その約束の強さを試し挑んでくるのだ。





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