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この外見だったからこそ
私は黒人のパートナーとかれこれ10年以上結婚生活を続けている。ふとした時に思うのだ。もし私が私でなければ、私は黒人のパートナーを選んだだろうか、と。私は彼の性格に惹かれ、結婚した。そのことに一点の嘘はない。しかし、黒人のパートナーを選ぶという心理的背景がなければその結果には至らなかったであろう。生まれてからずっと田舎町で育ったが、大方の人は同じ日本人と交際し、結婚している。黒人が周りに全くいない環
もっとみる黒人のパートナーになると
質素倹約が身についている。足るを知り、身の丈にあった生活をする。私にとっては息をするように自然なことであり、努めてそうあろうとするのではない。私の最も心地良い状態を体現している状態を表した言葉が質素倹約なのである。こんな様子をみた友人からは私はかなり貧しいと思われているようである。とくにひと世代上のお姉さまたち、バブルを経験し、そのバブル臭が腋臭の如く染みついた方たちにとっては、大層滑稽なことなよ
もっとみるティーンとの関わり方がわからない
できもしない善行の安請け合いをしてしまったのではないか。朝方の目覚めきれない温かいベッドの中で質問される。私は自分の器以上のことに足を踏み入れているのではないだろうか。最近の目覚めはいつもこの自問自答で始まる。
最近アフリカンアメリカンの高校生を放課後預かっている。ただでさえティーンは取り扱いが難しい。のに加えて私が預かっている彼は家庭に事情があり、繊細な思春期、喧嘩に明け暮れている。非行少年と
美しい朝のみすぼらしい女
春の朝の太陽を見つめていた。まだ寒さの残る朝。鋭い虹色の光の剣が降り注ぐ真っ青な空を、仕事中であることも忘れその美しさに心奪われて立ち尽くしていた。あまりの美しさに柄にもなく、祈ってしまったではないか。何を?言葉にするにも憚られるくらい柄にもないことを。
背後から弱弱しい声がする。Excuse me Ms、How can I go to House Of Hope? 振り返ると女性が立っている。
Can't Breathe-それは僕であり、僕らなんだ
僕は熱烈野球少年だった。所属する野球チームの練習が終わって、くたくたになった帰り路。13歳くらいのことだったと思う。いつもの帰り道とは別のバスに乗って野球の道具や練習着の入った大きなカバンとバットを持って僕は家に帰る途中だった。僕の家は貧しかったから、練習道具をなんとかMomと教会の寄付でどうにか買ってもらった。僕にとってはそれは宝物だったんだ。僕は練習道具はいつもピカピカに磨き上げてカバンに大切
もっとみる169番通り 小さなコミュニティがうねりだした
田舎で育ったせいでというか、おかげでというか、近所の人同士が野菜を交換しあったり、お互いを助けあったり、ということは当たり前に目にしてきた。子供のころはそれが煩わしく、べたべたとした近所づきあいのように思っていた。大根が取れたと人の家の縁側に座り私たち兄弟を抜け目なくチェックする近所のおばさん。お寺の掃除終わりに立ち寄った自慢していないふりをして自慢をしに来るおばさん。炊き込みごはんをおすそわけに
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