岩城安宏(Yasuhiro Iwaki)
「おびかたるしま(帯語島)のものがたり」 の記事をまとめたマガジンです。
自己調整法「グラヴィス帯ゲーション」 の成り立ちを書いた記事をまとめたマガジンです。
ZXYA(ジザイヤ)代表の岩城妙子です。 このブログでは、私の父でもありZXYAの主宰でもある岩城安宏のことばを様々なかたちで発信していきます🌳✨ 【岩城安宏 プロフィール】 1954年奄美大島生まれ。 大島紬の図案師を経て、島唄・和装作家・音楽・学校や地域イベントなどを通し、各地で多彩な才能と出逢い、多くの作品をプロデュースしてきた。 その後、自身の体験を通じて治療家を目指す。 その中で発見した自己調整法により、二度の脳梗塞様を自身で克服。 この経験により、自己調
■プロローグはこちら↡ ■前回の記事はこちら↡ 『養子』 「ちょっと待った!俺は返事をしてないし、今初めて聞いた。ヨシとタケはどうだ!」 ガブの真っ直ぐな言葉に、屋敷は一瞬静まり返った。 「俺は養子になってもいい!」 ヨシが言った。 「俺は父が・・・。」 タケが口籠る。 「すまない。本当は、3人の気持ちを聞いてから、皆の衆に話すことだった・・・。」 真人が3人に詫びた。 「ヨシ、タケ、ガブ、3人にとって良い話だと思ったから、ついワシの口が滑った。許してくれ。真人
■プロローグはこちら↡ ■前回の記事はこちら↡ 『宣言』 3人が持ち帰ったマテルの太陽水と実芭蕉のお陰で、すっかり体調が回復したマレビトは、改めて礼を言いたいと3人を屋敷に招いた。 ガブは「礼なんか要らない!」と断ったが、お婆に諭され嫌々重い腰を上げた。 屋敷には、村長とお婆をはじめ、男衆(カシラ)と女衆(ウナリ)の他に、主だった村人も集まっていた。 「俺はこんな集まりは好かん!タケとヨシが行く!と言うから付いて来ただけだ。お婆も行けと言うから・・・。」 ガブ
■プロローグはこちら↡ ■前回の記事はこちら↡ 『天蚕糸とマテルの滝②』 「ここは、お前たちの村でねぇ!繭玉を返せ!」 突然、背後から声がした。振り向くと数人の男が立っていた。 「ここは、争いごと禁止の場所だ!誰の土地でもねぇ!人の指図はうけねぇ!」 ガブはヨシとタケを引き寄せ、大声で反論した。 「小僧!生意気だなぁ〜。」 「よせ!その子の言う通りだ!子供3人でここまで来たのか?」 と1人の男が驚きの声を上げながら、その理由を聞いてきた。 3人は村での出来事
■プロローグはこちら↡ ■前回の記事はこちら↡ 『3人の奮闘・ツワブキの葉③』 この島には3つの村があり、それぞれが島の豊かな資源を活かした暮らしをしていた。 南部の山を活かし、炭焼きや焼き物、木材を主とし道具を作る山の民。 山裾から平地にかけて、田んぼや畑を主とし織物を作る里の民。 海辺を活かし海苔や貝、魚を主とし物を運ぶ海の民。 3つの民は、それぞれの暮らしの違いから対立することもあり、互いの産物を交換するにも、年に一度の島の寄合での決め事無くしては儘ならな
このふたつの観点は、今日の状況を捉える物差しとして重要な意味を持っている。 いのちのルールとは、自然の中で生きていく共生的な死生の境界であり、いのちはこの定めに則り、自らの分をわきまえて棲み分けている。 熱帯・亜熱帯・温帯・寒帯の気候的な死生の定めに、陸・海・空の環境的な死生の定めに、春・夏・秋・冬の四季の定めに、などの分をわきまえ、いのちは自然界で繋がって暮らしている。 このいのちのルールを破壊しながら、人間のレールは轢かれてきた。 気候的定めを変え、環境的定
「重力とはいのちの智慧と力だ。」 こう書いてから戸惑っている。 どう表現するのか? どうして重力とはいのちの智慧と力なのか? それを自分自身に訊ねてみたい、自分のいのちに。 重力を知らないと答える人は少ないと思う。 誰でも知っている。 ではその働きは?重力といのちとの関係は? まして人体と重力の関係となると、私が知る限り日本で僅か三名の方がその関係性について言及しているに過ぎない。 一人は武道家もう一人は治療家、そして医療関係者である。 このうち二名にはお会いしている。
「運を天に任せる」と聞いて あなたはどう思うだろうか。 ① 無責任だ。 ② もっと他に出来ることがある。 ③ 私の中にその選択は初めからない。 そこには、自分の存在を無視した 投げやりな生き方が感じられ、 今の情報社会にあっては死語の感があるのは 否めないように感じられると思う。 しかし現実にあって、 この選択を避けられない状況が 訪れることが多々ある。 否、人生は常に選択の自由があり、 前向きな「運を天に任せる」 の生き方もあるのではないだろうか。 「どちらを選ぶか
いのちとは 「生きるための智慧と力」である。 それは、見えない、触れられない、 匂わない、味わえない、聴こえない、 しかし確かに五感に感ずるものであり、 あなたも周りの生きものも、 いのちを感じながら繋がっているものである。 このいのちによって 私たちは生かされているのだが、 その存在の謎を明らかにした人はまだいない。 その働きの一部を機械的に再現したり、 データとして見ることや聴くこと、 又は直接触れることで感じることはできても、 いのちそのものの意味を解明したり、 働
新年あけましておめでとうございます。 快晴の三が日で、気持ちの良いスタートを 飾られたことと思います。 今年は、新たにこのブログを通して様々な発信や、皆様からいただいた質問等にお応えしていきたいと考えています。 日頃心の中で思っていることや、辛いこと、 皆との考え方の違いで悩むこと、 また生きるとは、死ぬとは、 いろんなことがあると思います。 皆様が持つ様々な問いに対しての 『答え』ではなく、私の拙い経験や創造性からの『対話』というかたちで『お応え』できる事が あると
■プロローグはこちら👇 ■前回の記事はこちら👇 『3人の奮闘・ツワブキの葉②』 朝陽が優しい木漏れ日となって、3人の足元を照らし始めていた。 その光に向かい、ひたすら山道を登っていった。 しばらくすると突然視界が開け、大きな岩が重なり合う岩場の坂道に出た。 「これで身体を繋ぐんだ。」 ガブはヨシから預かった、父の麻縄を自分の身体に括り付け、残りの部分を2人に渡した。 ヨシとタケも同じように身体を括り、3人は麻縄で繋がった。 ガブはそれを確認すると、朝露に濡れた滑
■プロローグはこちら👇 ■前回の記事はこちら👇 『3人の奮闘・ツワブキの葉①』 アマジマは、北部は平坦な台地だが、南部には高い山があり、人を寄せ付けない大自然が広がっている。 3人が目指したマテルの滝は、南部の深い山の中にある。 まともな道すらなく、頼りはガブの野生のカンのみという無謀な挑戦だった。 また、山の反対側には対立する集落があり、村人に遭遇する危険性もあったが、聖地とされるマテルの滝では、『争いごとを禁ず』の不文律があり、村は互いにそれを守ってきた。
■プロローグはこちら👇 ■前回の記事はこちら👇 『3人の思い』 ヨシは5歳になったばかりだった。 小さい時から、いつも5つ歳上の兄『タケ』の後に引っ付くようにして歩いていた。 タケが見えなくなると大声で泣いた。そんなヨシをタケも可愛がり、 面倒をよく見ていた。 2人の父は村で一番の漁師だったが、ヨシが1歳の時、漁に出たまま 帰らぬ人となっていた。 『嵐で遭難した、鮫にやられた、怪しい舟に襲われた、遠くの島にいった、逃げた・・・。』 村人の噂話だけは聞こえてきたが
■プロローグはこちら👇 ■前回の記事はこちら👇 『追い込み漁』 島の朝は早い。 しかし今日はいつになく賑やかである・・・。 マレビトも外の騒がしさにつられて浜に降りてみた。 見ると大勢の村人が集まっている。 小舟も何艘か沖の珊瑚の岩礁の手前にまで漕ぎ出し、次々に男と白装束の女が海に飛び込み、反対側の小舟からも同じように海へ飛び込んでいく。 上手、中手、下手に別れ、それぞれが岸に向かい、孤を描くようにしながら海面を叩き、時おり水の中から石を叩く音が岸辺にも届き、次
■プロローグはこちら👇 ■前回の記事はこちら👇 『月と炎』 東の空に炎※の立つ前に、マレビトの石の上で2人の女が舞うという。 村長に促されて場を譲り、石のタモトで南向きに端坐し、2人の舞を見た。 ※炎・・・東の空に見える明け方の光 2人はマレビトに端坐一礼すると、1人が月の立ち昇るが如くゆっくりと立ち上がり、その不動の月に惹かれ、ゆったり流れる雲と、海に現れる金の道とを、2人の舞姿にうつす。 やがて満月は西の雲間に立ち消え、東の広がりゆく水平の水面にその坐を明け
■プロローグはこちら👇 『アマジマ』 これは今から約800年余り前の、島のものがたりである・・・。 波が寄せ返し月明かりに輝く白砂は、下弦の月の如く美しい弧を魅せ、明けの明星を抱いていた。 やがて島は変わらぬ朝を迎えようとしていた。 その白浜の波打ち際に、1人の男が打ち寄せられていた・・・。 見つけた女が浜で叫んだ。 「人がいる!人が流されて来たよ!」 何人かが浜に降り、男を引き上げた。 「死んでるの?」 何人かの女が心配そうに言った。 「んっ!いや、ま