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英雄

英雄を求めている?

−田坂広志公式サイト−『未来からの風』の「風の便り第176便」に下記のような内容がありました。

ブレヒトの戯曲、『ガリレイの生涯』の中で、「英雄のいない国は不幸だ」との言葉に対して、ガリレイが語った言葉を、思い出します。
そうではない。英雄を必要とする国が不幸なのだ。

風の便り第176便

これは、なかなか考えさせられる内容ですね。
人は英雄を求めている。
そういうと、そんなことはないと思う人も多いかもしれませんね。

ですが、自分が不幸なのは「○○のせいだ」と環境や他人のせいにしていたりしませんか?
それは、誰かがやってくれると思っているのではないでしょうか?
「私のことを本当に理解してくれる人がいたら・・・」と思っていないですか?
まあ、私がそうだったのですが。(^_^;)

宗教を信じると救われる?


宗教も救いを求めて入ってくる人が多い。
それは、自分を救ってくれる英雄を待ち望んでいることでもあるように思います。
ですが、宗教とは救われるために信じるものではないと思っています。

結果的には、救われるということであって救われるために信じるとなると違うと思う。
「信じれば救われる」は間違っていないが、ちょっと認識に違いがあるように感じています。

家庭連合(旧統一教会)も教祖である文先生が絶対であり、英雄的な立場にあると思われています。
ある面正しいところもあるでしょうが、やはりちょっと違う。

また、書く機会があれば書こうと思いますが、人は自分のことは複雑な存在であり、簡単に一言でまとめないでほしいと思っています。
ですが、他人のことになると「こういう人だ」と決めつけて考えてしまいやすいところがあります。
ですから、単純に考えてしまうと間違ってしまいやすいということです。

自分の良心を信じる

文先生が語られた内容に良心革命というのがあります。
『良心革命は何を意味するのですか。良心の声に絶対服従しなければならない内的革命です。』
「自分の良心の声に絶対的に従いなさい」ということを語っています。

そのために良心を強くするということも必要になってきます。
私は、この良心を強くするところが宗教ではないかと思っています。

信じるということは簡単ではない。
自分自身を信じることであり、自分の中にある良心を信じて従うこと。
そのためには、良心を強くしていかないといけない。

英雄を求めるのではなく、誰もが英雄になれる。
それを信じて実行する。
人それぞれ、違った英雄になれるのだから。


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