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ホー・ツーニェンと「京都学派」

京都芸術センターでやっているホー・ツーニェンの『ヴォイス・オブ・ヴォイド(虚無の声)』を観てきました。京都学派の御大西田幾多郎、その直弟子田辺元、さらにその弟子にあたる三木清、戸坂潤、それぞれの経歴を短い映像で紹介したものと京都学派の四天王と言われた西谷啓治、高坂正顕、高山岩男、鈴木成高の4人のアニメーション映像と、その4人が中央公論のために行った座談会の現場に速記者として参加するVRアニメーション作品(VRは、立つと、ザクになって空を飛んでいるシーンに、寝転がると三木清と戸坂潤のいた監獄に行く)から構成されています。

先にアニメーション画像で、京都学派とはどういう人たちなのかを掴んだ後で、VRで座談会のアニメーション映像を観るのが順番としてはいいかもしれません。ホー・ツーニェンの意図が京都学派のどういう側面を伝えたいのかよくわからなかったのですが、ほとんど忘れられている京都学派に関心を喚起するということではとても意義があるものだと思いました。

『ヴォイス・オブ・ヴォイド(虚無の声)』の体験

ホー・ツーニェンの展示で印象的だったのは、以下の3点です。

1)すべての展示の部屋に入る際に靴を脱いで入ること

2)すべての映像作品が同じ上映時間で導入部が同じであること

3)VRが空の上、対談会場、監獄の中という三層構造になっていること

1)によって、1つ1つの映像体験の前に、その前の体験を一度リセットする感じがして、別の体験をするんだという気にさせます。2)については、同じのような流れで、説明されることで時代背景と京都学派としての共通性ということをすごく意識させられます。3)については地上の座談会で語られる討論の場に立ち会うことで彼らと同じ時間を過ごす感覚を感じ、空の上でザクとなり散っていくことで、対談者の指導者にあたる田辺元の思想に心情として共感し学徒出陣し散っていく学生たちの事に想いを致し、また監獄の中を覗くことで同じく田辺元の指導を受けながらもマルクス主義者として獄死した三木清、戸坂潤の心中を想ったりします。

京都学派の主要人物についての理解と、ざっくりとした彼らの思想と時代背景を印象付ける展示の仕方はなかなか見事なものでした。

その一方で、この展示だけでは十分に伝わらない部分ももちろんあるなとも思いました。それは京都学派の第2世代の四天王の思想については、あの座談会の内容だけでは伝わらないし、西田幾多郎の哲学の最良の部分はむしろ京都学派には受け継がれていないことです。なにより京都学派の思想が、当時の欧米との対立の中で、如何に日本の権益を守るかということを、思想の面からどのように考えるべきなのか、また弾圧されていたとはいえマルクス主義の影響の中で、それとは違う資本主義を乗り越えるにはどうすべきであるか、その中で如何に独自の思想を打ち立てられるかという試みであり、それ以前もそれ以降も日本独自の哲学や思想がほとんどない中で、日本が西欧から独立して生き延びようとしていた中で生み出そうとしていた知的エリートのエネルギーの迸りのようなものであったことです。

また京都学派自体も弾圧の対象であったのですが、映像の中でも少し触れられているように陸軍報道部と海軍報道部の対立の中で、海軍側と通じることによって中央公論の対談も出版され得たということも忘れてはなりません。要は、全く軍部の意向に沿わない思想は弾圧の対象であり、京都学派の思想も表に出る部分においては日本の大陸侵攻を肯定するものになっています。逆にそのような状況において如何に弾圧されずに哲学や思想を考えるとはどういうことなのかということも考えたりしました。

京都学派の御大西田幾多郎の哲学と京都学派の間には、もちろん影響関係があり、それは一方的なものでもなく、相互的でもあったようですが、彼らは当時の西洋哲学に通じており、その上で西田哲学は世界の最先端であると考えていたのであり、そこにはまだ学ぶところがあるように思います。最後に西田の短歌で印象的な一首を引用させて頂きます。

赤きもの赤しと云はであげつらひ五十路あまりの年をへにけり 西田幾多郎


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